マッチの祖・清水誠を追う!!(1)~金沢編~ #マッチ #燐寸 #清水誠
▼「燐寸(マッチ)一本 化学の元!!」 ではすでに「これから」の課題として、宇田川榕菴 、久米通賢、川本幸民につづいて
マッチの祖・清水誠を追うこと をあげていた。
しかし、どこから巡るか?それをきめかねていた。
▼青春18きっぷの期限がせまっていた。
昨日(2019/09/09)、思い切って清水誠生誕の地=金沢から巡ることにきめた。
始発列車で福崎を出発して、金沢に着いたのは昼過ぎだった。
昼食をすませ向かったのは
「マッチの祖清水誠先生顕彰碑」がある卯辰山である。
はじめて行く場所だ。例によって駅の観光案内所で尋ねることにする。とても親切に教えてもらった。
別の情報で、卯辰山「花菖蒲園」の近くということも聞いていた。
「花菖蒲園」まで行って、そこで作業をしておられる方に尋ねるがわからないと言う返事だった。
しかし、とっていいことを教えてもらった。
「地図を見てもわからないようだったら、そこに書いてある金沢市緑と花の課に電話してみたら…」
進言に従って電話してみた。
忙しい中、電話に出られた方はとてもわかりやすく説明してくださった。アリガタイ!!
あった!!
卯辰山山頂に向かう途中の道沿いだった。
「マッチの祖清水誠先生顕彰碑」案内の標柱
「説明案内板」
「顕彰碑」
「顕彰碑」裏の説明書き 等々
ここぞとばかり写真を撮りまくった。
▼卯辰山をくだり、次に向かったのが清水誠の墓のある「玉泉寺」である。
寺町寺院群までの道のりは、歩いてさすが無理だった。
時間の制限もある。バスもあるが、ここはタクシーを利用した。
タクシーのナビを駆使してつれていってもらった。
しかし、現地についても、どこが「玉泉寺」なのかわからないのである。
なんとか小さな看板でそれとわかった。
奥へ入っていった左手に、ひときわ目立つかたちで「清水誠」墓石があった。
あらためてお寺の門にもどると
「日本燐寸創業者従五位清水誠」の碑があった。かなり朽ちかけている。
かろうじて読めるのは「清水」までであった。しかし、「燐寸」の文字をみつけたときは、とってもうれしい気分になった。
金沢まで来た甲斐があった!!
▼四時間たらずの短い時間であったが、見るべきものは見た!!
大大満足である。
それにしてもちょっと不思議に思ったことがある。「清水誠」の名前があまり知られていないということだった。
金沢に来て、私は何度も「なぜ清水誠を追っているか?」を話をすることになった。
姫路のマッチ産業のことを、そしてそのマッチ産業の創業者・清水誠のことを。
みんな一様に言われた。
「もう一度名前を言ってくれ」と。そしてメモされた!!
さあ、次はどこに「清水誠」を追うのか?
東京か? 神戸か?
(つづく)
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