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講演『オンライン「寅の日」の取り組みを通して~今、なぜ寺田寅彦なのか!?~』 #traday #寺田寅彦

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▼私が、はじめて土佐の「寺田寅彦記念館」を訪ねたのは、2012年の夏の終りだった。
 庭に咲くシロバナヒガンバナについて、ひつこく尋ねた記憶がある。
 2012年と言えば、オンライン「寅の日」をはじめた年である。その年の4月からスタートしたのだった。
 この土佐への旅が、オンライン「寅の日」の取り組みと深く関わってくることは当時まだそれほど意識していなかった。
 この旅をきっかけに、「寺田寅彦記念館」を基点にして「土佐の寅彦」を訪ねる旅にはまってしまった!!
 名づけて、「土佐の寅彦」詣!!
 この「土佐の寅彦」詣は、今年の春でついに10回となった。
▼この「土佐の寅彦」詣の参考にさせてもらっている最高のページがあった。
 
土佐の寅彦 寺田寅彦記念館友の会公式HP

 最初の「土佐の寅彦」詣から、このページを参考にさせてもらいながら「ゆかりの地」を巡った。
 「友の会」にも加えてもらった。
 「友の会」の総会、研修会、懇親会にも参加させてもらうようになった。
 いつも、寅彦に関する多くのことを学ばせてもらっている。
 にわかファンの私など、先達会員のお話を聞く度に感動するばかりだ!!
▼昨年の秋の終りにお話を聞いた。
 「来年総会のときに、取り組まれていることについて話をしてくれないか?」と。
 元々人前で話をすることなど苦手な方だ。ましては、現場を離れて月日も経っている。
 おことわりすべきだったが、つい簡単に「わかりました。」返事をしてしまったのだ。
 後でゆっくり考えるとあせってきた。
 あの「友の会」の方々を前にと思うと…(^_^;)
 その後、「まあ自分にできるかぎりのことをお話しして、自分の勉強の機会にしよう。」と思い直し、今年の総会で話をさせてもらった。
 そのときの話を、「友の会」会誌編集部山本さんの方でPDF化してくださっていた。(友の会HP「友の会文庫」より)

◆槲85号「オンライン『寅の日』の取り組みを通して 楠田 純一(平成31年度総会報告)」 /編集部山本 PDF版
  (寺田寅彦記念館友の会公式HP「友の会文庫」より )

 
 今、読み返しみても赤面するばかりだ。(^^ゞポリポリ

▼話の終りの方で、オンライン「寅の日」の「これから」についてふれている。
 Facebook版・サイエンスカフェ「寅の日」の取り組みも少しずつ少しずつすすんできている。
 お恥ずかしいかぎりの話だったが、ひとつの「成果」としてあらたに若い人たちのツナガリができつつあるのがとてもうれしい!!
 
 次回オンライン「寅の日」は、8/9(金)第230回である。


 

 

 

 

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コメント

寺田寅彦は、なんとなく、最初から東京の人だと思っていたので、
高知県にゆかりがあるというと、不思議な感じがします。

土佐は、倒幕派「薩長土肥」の4藩の一つであり、
坂本龍馬や、海援隊を経て、三菱の創業者の岩崎弥太郎が出たところですね。
http://www.tosa-jin.com/iwasaki/iwasaki01.htm
他に、土佐というとこんな人たちがいる。
牧野富太郎は知っていましたが、そうなのかという感じ。

あの繊細な寅彦が、東京に出られたのは、勝ち組の藩にいたからなのか。
それほど、恵まれていたわけではなかったのか。
土佐に秘密はありましたでしょうか。

彼は、土佐でどのように科学の芽を育み、学び、あの感覚を作っていったのか?
今だったら、潰されそうな気もするんですよねえ。

投稿: 渡部義弥 | 2019/08/03 12:31

>渡部義弥さん
コメントありがとうございます。

>寺田寅彦は、なんとなく、最初から東京の人だと思っていたので、
>高知県にゆかりがあるというと、不思議な感じがします。

生まれは東京ですね。
4歳の時、郷里高知に転居していますね。

>土佐に秘密はありましたでしょうか。

まだまだにわかファンの私にはなにもわかりませんが、「土佐の寅彦」詣で多くのことを学びました。
高知には「寺田寅彦記念館」友の会の人をはじめ熱烈な寅彦ファンがたくさんおられることに驚きました。
みなさん寅彦を愛し、寅彦の随筆をほんとうによく読んでおられます。
寅彦自身も土佐の高知をこよなく愛していたのでしょう。土佐に関する随筆をたくさん書いていますから。

投稿: 楠田 純一 | 2019/08/04 09:48

楠田さん
 コメントをした後、年譜を見て、東京と高知、あと熊本にもいたことを知りました。身体が弱く受験を失敗したのに、飛び級編入もしているんですね。
 親の仕事の都合で、あっちいったりこっちいったりは、当時ではちょっと珍しいでしょうね。大多数は、農民漁民で、土地について仕事をしていたでしょうから。

 寅彦のような繊細な人が世に出れたのは、やはり生まれの運もあったようですね。同時期の野口英世が、ガツガツしないといけなかったのに比較するとより際立ちます。

投稿: 渡部義弥 | 2019/08/04 12:15


>渡部義弥さん
おはようございます。
熊本での漱石との出会いが、その後の人生を大きく変えることになったのではと思っています。
中谷宇吉郎をはじめすぐれた弟子たちとの出会いも、科学者としての生き方に大きく影響したのでしょうね。

投稿: 楠田 純一 | 2019/08/05 06:12

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