« アプリ『もしも原子がみえたなら』を体験した!! | トップページ | 実生ヒガンバナ第3の発芽・発根はまちがいかも!?(2019/07/12) #ヒガンバナ »

次はマッチの始祖・清水誠を追え!! #マッチ

Dscn6847

Dscn6855

「燐寸(マッチ)一本 化学の元!!」では、「これから」の課題として5つのことをあげていた。
(1) 「日本燐寸工業会」訪問!!
(2) 初めて工業的にマッチの生産を始めた人(マッチの始祖)・清水誠を訪ねる旅!!
(3) マッチ製造工場の見学!!
(4) 学校現場でのマッチ使用状況の調査!?
(5) ミニテキスト試案『マッチ』!!
▼どれも並行しながらの取り組みになるかと思うが、この夏、特に
(2) 初めて工業的にマッチの生産を始めた人(マッチの始祖)・清水誠を訪ねる旅!!
に焦点をあててみたい。
 これまでに宇多川榕庵(津山)、久米通賢(坂出)、川本幸民(三田)と追いかけてきた。
 清水誠を追うには!?
 これまでもずいぶん利用させてもらってきた
◆マッチの歴史(「マッチの世界」 日本燐寸工業会)
から「清水誠」をピックアップしてならべて見る。

●1845 (弘化2)年 12月25日、燐寸(マッチ)開祖、清水 誠(しみず まこと)、金沢に生れる。
●1875 (明治8)年 4月、清水 誠、東京霞ヶ関、吉井友実卿私邸において黄りんマッチの試作に成功。
●1876 (明治9)年 9月、清水 誠、4月に東京三田四国町に設立したマッチ製造所「新燧社(しんすいしゃ)」を東京本所柳原町に移転し、安全マッチの本格的製造を開始。
●1877(明治10)年 第1回内国勧業博覧会に於いて、新燧社製安全マッチが鳳紋賞牌(ほうもんしょうはい)を受賞。
●1878(明治11)年 7月、清水 誠は大蔵卿大隈重信の依頼で糖業研究のため再渡欧中、再度マッチの研究に入り、スウェーデン式安全マッチの製造法視察のためスウェーデン、イェンシェピング工場を見学。
●1879(明治12)年 4月、清水 誠はスウェーデンから帰国後、渡欧中に全焼した工場を再建し、スウェーデン式安全マッチに倣ったマッチの生産を始める。
 清水 誠が全国唐物商を網羅し「開興商社」を設立。国産マッチの販売機関とする。
●1888(明治21)年 9月、清水 誠が連軸マッチ(ブックマッチ)の特許取得(第556号摺附木)。ブックマッチの嚆矢。
          12月、新燧社、倒産。清水 誠は金沢に隠退。
●1896(明治29)年 10月、清水 誠、摺附木軸排列機の特許を取得し、全国に販売。
●1897(明治30)年 清水 誠、尼崎にマッチ工場「旭燧館」の設立を申請し、新燐寸軸排列機の特許も得てマッチ事業へ貢献を果たす。
●1899 (明治32)年 2月8日、清水 誠、逝去、享年数えで55歳。8月、東京亀戸天神境内に「紀功碑」建立。

▼こうしてみると、清水誠という人物が明治期においてマッチ産業を牽引してきたことがわかる。
 その人物像は!?
 科学者・清水誠は!?
 どこを訪ねればその詳細はわかるのか。とりあえず3つの場所を設定してみた。
(1) 「マッチの祖清水誠先生顕彰碑」(金沢・卯辰山)
(2) 「新燧社」跡地の碑 (東京・都立両国高等学校校庭?)
(3) 東京亀戸天神境内の「紀功碑」
▼もうひとつ興味深いゆかりの地が近くにあった。
(4)「金星過日測檢之處」(兵庫県・諏訪山)
マッチとは直接関係ないが、清水誠が科学技術に長けた才能をもっていたかを物語っている。

さて、どの順番に巡るか? 
それは いつになるか?しばし思案してみる。

(つづく)

 
 
 

|

« アプリ『もしも原子がみえたなら』を体験した!! | トップページ | 実生ヒガンバナ第3の発芽・発根はまちがいかも!?(2019/07/12) #ヒガンバナ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« アプリ『もしも原子がみえたなら』を体験した!! | トップページ | 実生ヒガンバナ第3の発芽・発根はまちがいかも!?(2019/07/12) #ヒガンバナ »