牧野富太郎の『赭鞭一撻』を読む。(3)
▼あれっ!?
今年はじめて出会ったコガネグモ1号の近くに、もう一匹のクモが!?いや獲物だろうか!?
近づいてじっくり見るとちがっていた。脚の模様の跡からもわかった!!
脱皮したのだ!!
クモは昆虫のように変態をしない。出のうしてきて、団居(まどい)をしているときからクモの姿をしたクモの赤ちゃんだ。
脱皮を繰りかえしながら成長していくのだった。
1号くんもこれでひとまわり大きくなったのかな。
さあ、いつまでつき合ってくれるかな!?
▼牧野富太郎の『赭鞭一撻』を最後まで続けよう。
〇跋渉ノ労ヲ厭フ勿レ
峻嶺岡陵ハ其攀登ニ飽カズ洋海川河ハ其渡渉ヲ厭ハズ深ク森林ニ入リ軽ク巌角ヲ攀(よ)ヂ沼沢砂場ニ逍遥シ荒原田野ニ徘徊スルハ是レ此学ニ従事スルモノヽ大ニ忽(ゆるがせ)ニス可ラザル所ニシテ当ニ務テ之ヲ行フベキナリ其之ヲ為ス所以ハ則チ新花ヲ発見シ土産ヲ知リ植物固有ノ性ト其如何ノ処ニ生ズルカヲ知ルニ足レバナリ○植物園ヲ有スルヲ要ス
遠地ノ産ヲ致シ稀有ノ草木ヲ輸スルトキハ皆之ヲ園ニ栽(うえ)テ之ヲ験スベキナリ又賞玩ノ草木ニ至テハ随在之ヲ自生スルモノニ非ズ故ヲ以テ之ヲ園ニ培養セザルヲ得ズ又山地沼沢等ノ草木ヲ栽蒔(さいじ)シテ他日ノ考ニ備フルハ大ニ便ヲ得ル有ルナリ故ニ植物学ヲ修スルノ輩ハ其延袤(えんぼう)ノ大小ヲ問ハズ当ニ一ノ植物園ヲ設置スルヲ以テ切要トスベシ既ニ園ヲ設クレバ則チ磁盆鋤鍬(じょしょう)ノ類ヨリシテ園ニ俟(ま)ツノ物ハ一切予置スルハ更ニ論ヲ俟ザルナリ○博ク交ヲ同志ニ結ブ可シ
道路ノ遠近ヲ問ハズ山河ノ沮遮ヲ論ゼズ我ト志ヲ同クスルモノアレバ年齢ノ我ニ上下スルニ論ナク皆悉ク之ト交ヲ訂シ長ヲ補ヒ互ニ其有スル所ヲ交換スレバ其益タル少小ニ非ズシテ亦一方ニ偏スルノ病ヲ防グニ足リ兼テ博覧ノ君子タルコトヲ得ベシ○邇言ヲ察スルヲ要ス
農夫野人樵人漁夫婦女小児ノ言考証ニ供スベキモノ甚ダ多シ則チ名ヲ呼ビ功用ヲ称シ能毒ヲ弁ズルガ如キ皆其言フ所ヲ記シ収ムベシ他日其功ヲ見ズンバアラザルナリ故ニ邇言(じげん)取ルニ足ラズト云ガ如キニ至テハ我ノ大ニ快シトセザル所ナリ○書ヲ家トセズシテ友トスベシ
書ハ以テ読マザル可ラズ書ヲ読マザル者ハ一モ通ズル所ナキ也雖然其説ク所必ズシモ正トスルニ足ラザルナリ正未ダ以テ知ル可ラズ誤未ダ以テ知ル可ラザルノ説ヲ信ジテ以テ悉ク己ノ心ニ得タリト為シ独(た)ダ一ニ書ヲ是レ信ジテ之ヲ心ニ考ヘザレバ則点一ニ帰スルナク貿貿乎トシテ霧中ニ在リ遂ニ植学ヲ修ムル所以ノ旨ニ反シテ其書ノ駆役スル所トナリ其身ヲ終テ後世ニ益スルナシ是レ書ヲ以テ我ノ家屋ト為スノ弊タルノミ如此(かくのごと)クナラザル者ハ之ヲ心ニ考ヘ心ニ徴シテ書ニ参シ必シモ書ノ所説ヲ以テ正確ニシテ従フベキト為サズ反覆討尋其正ヲ得テ以テ時ニ或ハ書説ニ与シ時ニ或ハ心ニ従フ故ヲ以テ正ハ愈(いよい)ヨ正ニ誤ハ益(ますます)遠カル正ナレバ之ヲ発揚シテ著ナラシメ誤ナレバ之ヲ擯(しりぞけ)
テ隠ナラシム故ニ身ヲ終ルト雖ドモ後世ニ益アリ是レ書ヲ以テ家屋ト為せズシテ書ヲ友トナスノ益ニシテ又植学ヲ修ムルノ主旨ハ則チ何ニ在ルナリ○造物主アルヲ信ズル毋(なか)レ
造物主アルヲ信ズルノ徒ハ真理ノ有ル所ヲ窺フ能ハザルモノアリ是レ其理隠テ顕レザルモノアレバ其理タル不可思議ナルモノトシ皆之ヲ神明作為ノ説ニ附会シテ敢テ其理ヲ討セザレバナリ故ニ物ノ用ヲ弁ズルコトハ外ニ明ナリト雖ドモ心常ニ壅塞ようそく丕閉(ひへい)シテ理内ニ暗シ如此ノ徒ハ我植学ノ域内ニ在テ大ニ恥ヅベキ者ナラズヤ是レ之ヲ強求スレバ必ズ得ルコトアルモ我ノ理ノ通ゼザル処アレバ皆之ヲ神明ノ秘蘊ニ托シテ我ノ不明不通ヲ覆掩修飾スレバナリ
▼これまでと同様、今回も『赭鞭一撻ノート』から現代語訳の一部を引用させてもらおう。
十. 跋渉(ばっしょう)の労を厭ふなかれ
ー方々の山野を歩きまわる努力を嫌がるな
十一. 植物園を有するを要す
ー植物園が必要である
十二. 博く交を同士に結ぶ可(べ)し
ー多くの同好者と友達になりなさい
十三. 迩言(じげん)を察するを要す
ー一般の人が使う名前や呼び名から推測することも必要である
十四. 書を家とせずして、友とすべし
ー本に書かれていると安心せずに、本を対等の立場の友と思いなさい
十五. 造物主あるを信ずるなかれ
ー神を信じてはいけない
▼今回もやっぱり納得することばかりだ!!
二十歳前の少年(どう考えても青年)がこんなことを書いたのだろうか!?
やっぱり牧野富太郎は知の巨人だ。
どれも納得し、学ぶことばかりだが 特に次の三ついたく同感し感動するのである。
十一. 植物園を有するを要す
ー植物園が必要である
大がかりな「植物園」とは限らない。
身近にあって、自分の手で育ててみてはじめて「発見」することも多々あるのである。
私にとって大賀ハス然り、実生ヒガンバナ然りなのである。
先日、子規庵のヘチマ 発芽した4つを、大きな植木鉢に植え替えた。
はたしてどこまで…
「植物園」にかぎらない!!毎日の散策コースは「クモ観察園」でもあった。
少しだけ見方を変えたら、まわりは全て「自然観察園」だ!!
十二. 博く交を同士に結ぶ可(べ)し
ー多くの同好者と友達になりなさい
これは日々実感しているところである。
牧野富太郎のつくり出したヒューマンネットワークを知ればこのコトバがよりいっそう説得力を持ってくる。
十三. 迩言(じげん)を察するを要す
ー一般の人が使う名前や呼び名から推測することも必要である
ここにこそ、生涯熱く学び続けた牧野富太郎の「原点」を見る思いだ。
シロウト「研究」、私の「自由研究」の方向が見えなくなったら、またこの『赭鞭一撻』を読んでみよう!!
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