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【お薦め本】ヒガンバナ(曼珠沙華)と日本人 ~日本人の曼珠沙華との交流~( 樽本 勲 著MyISBN - デザインエッグ社)

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▼私は栗田子郎先生に薦めてもらってこの論文を読んだ。

◆樽本勲著「ヒガンバナと日本人」
雑誌「農業および園芸」連載 1回(91巻3号、2016)~15回(92巻6号、2017)

そのときのことを記録していた。
この論文の出だしがとても気に入っていた。

 著者は大学在職時に、ヒガンバナ属植物(Lycoris)を研究テーマの一つとして取り上げ、博士論文2件、修士論文3件などの指導をさせて頂いた。最初の目的は“冬のヒガンバナ”、すなわち冬に青々と葉を茂らせ、寒冷季に球根を太らせるヒガンバナの光合成能力に注目し、そのDNAを利用して寒冷気候帯の作物の生産向上を図れないかというものでした。

▼ヒガンバナに関するあることを検索していてこの論文を元に本になっていることを知った。

◆【お薦め本】ヒガンバナ(曼珠沙華)と日本人 ~日本人の曼珠沙華との交流~( 樽本 勲 著MyISBN - デザインエッグ社)

である。さっそく手に入れ読んでみた。
 やっぱり面白かった!!
 お薦めポイント3つ

(1)ヒガンバナ渡来の謎解き物語が面白い!!

(2)日本文化としてのヒガンバナ拡散の不思議を追う!!

(3)ヒガンバナと俳句の世界への誘い!!

▼気に入ったところだけ少し詳細に

(1)ヒガンバナ渡来の謎解き物語が面白い!!

 この本の本意を「まえがき」で語ってしまっていた。

 日本人の曼珠沙華への関心は高いのです。その関心の高さはどの程度かというと、日本への渡来、利用に関する書籍等が多い植物は1番がイネ、2番がサツマイモ、3番目がジャガイモですが、日本への伝播に限ってはジャガイモと曼珠沙華はほぼ匹敵するほどの書籍・資料があります。主要な食用植物や園芸植物でない曼珠沙華になぜそれほどの関心があつまり、また多くの書籍類があるのでしょうか。(同書p3より)

この素朴な疑問を解き明かすために、先の論文を書き

 曼珠沙華の渡来について①いつの時代に(when)、②何処から(where)、③誰が(who)、④何の目的で(why)もたらされたかを調べ、結論として室町時代に仏教新宗派臨済宗の伝教と普及に資するために曼珠沙華が伝播させたと論述しました。また⑤どのように日本で分布したか(how)や⑥日本文化への影響など論じました。(同書p3より)

 この謎解きをやっていくとき忘れてはならない事実があった。 
 日本のヒガンバナは3倍体(2n=33)で種子をつくらず、分球(球根(鱗茎)が分かれる)によってのみ殖えるという事実である。(これに待った!!をかけることができるか?というのが私の実生ヒガンバナ実験の挑戦なのだが)
 ヒガンバナ渡来の謎は、ヒガンバナ研究最大の謎であった。
 すでにいくつもの有力な仮説がたてられていた。
 筆者はすでに迷宮入りした難事件の謎を解く名探偵のように、その豊富な資料・文献(有力な証拠)を駆使して真実に迫っていく。それはまるで名探偵物語かハラハラドキドキの推理小説を読むように面白い!!
 まず「自然分布説」の3つの仮説
 (1)陸続き生き残り説 (2)渡り鳥起因説 (3)球根海流漂着説
 を次々とこれまでの先行研究も参考にくずしていく!!
 「休眠性がある生命のタイムカプセル」=「種子」をつくらないのはつらい!!

 「自然分布説」が無理であるなら「人為分布説」ということになる。
 いくつかの「人為分布説」の仮説がこれまでにも出ていた。
 たとえば
(1)縄文中期に渡来人によりもたらせられ、半栽培段階に食用植物として栽培されたという仮説
(2)弥生時代稲作と共に渡来したという仮説 
(3)万葉集「壱師」=曼珠沙華とする仮説
 等々である。
 それらを次々と具体的資料をあげながら可能性を否定していく。
 おみごと!!
 としか言いようがない。
 たとえば(1)を否定するのに「冬季8ヶ月間の栽培による曼珠沙華の球根重量の増加 浅尾・前田(2009)」(p24より)のデータ等をあげて、「このように低収量の曼珠沙華を食用作物として植えるだろうか」と疑問を呈する。
 このように用意された証拠はきわめて具体的で説得力をもつ。

 そして、最終的に

  「結論として室町時代に仏教新宗派臨済宗の伝教と普及に資するために曼珠沙華が伝播させた」

 と論じています。


(2)日本文化としてのヒガンバナ拡散の不思議を追う!!
 渡来の不思議に次ぐ次なる不思議は、不稔性のヒガンバナがどのようにして広がっていったのかである。
 ここでも著者の謎解きの推論はさえていた。
 特に興味深いと思ったのは、江戸時代のお伊勢参り(お蔭参り、抜け参り)とヒガンバナの里名の急増を関連づけてひとつの推論をたてているところだった。

 講から選ばれて代参して者は伊勢神宮のお札を持ち帰るだけでなく、村への新農作物と新品種の種苗、新農業技術情報や諸文化を持ち帰ることも重要な任務だったようです。これを曼珠沙華について見れば、四季を問わず球根が採種できるので、農民百姓は見逃さず球根を掘取り各地に持ち帰ったと想像されます。(同書p97より)
 

 その結果がヒガンバナの拡散にツナガリ、里名が急増していったことなると仮説を立てていた。お伊勢参りという大民族移動と関連づけたところが実に面白い。
 具体的な数値等(人口と参詣者数)あげての説明には説得力がある。

 忌み嫌われものとしての歴史はどこからはじまったのだろう!?
 
▼少しちがった角度から

(3)ヒガンバナと俳句の世界への誘い!!
 この本がとても気に入ったのは、ヒガンバナと俳句の関係をかなり本格的に語っているところだった。それは著者自身の第一の趣味が「俳句」であることとも大いに関係あるのだろう。
 第三章のはじまりに、子規と漱石の曼珠沙華を詠んだ句があがっていた。

 「草むらや土手あるかぎり曼珠沙華 子規」
 「曼珠沙華あっけらかんと道の端 漱石」 

 実にいい!!
江戸期に不人気だった「曼珠沙華」という季語を、子規は戦略的季語として多用したのでないかというのが著者の仮説だった。
事実、子規は「曼珠沙華」を多く詠んでいた。

子規としての秀逸の句ではないですが、曼珠沙華の赤さ、花の多さ、秋の趣を写生として詠んでいて、子規が因襲悪弊から脱却を図ろうとする強い意図が感じられます(同書p111より)

この後
・子規の曼珠沙華は明治期の小説、詩歌へ受け継がれた
・大正~昭和の短歌を季語「曼珠沙華」が先導
・曼珠沙華の俳句は大正、昭和に満開になった
へと続くドラスティクな展開もたいへん興味深い!!
その章のしめにもってきた二句も印象深い!!

「つきぬけて天上の紺曼珠沙華 誓子」

「西国の畦曼珠沙華曼珠沙華 澄雄」

最後に著者自身の詠んだ句もあげておきたい。(同書p155より)

 曼珠沙華の近句(樽本いさお):
ものによる赤の好き好き曼珠沙華
戦いとは信ずることや曼珠沙華  
曼珠沙華摩訶曼珠沙華曼荼羅袈

ヒガンバナファンならぜひぜひ読んでみよう。
あの「ふしぎ!?」が解決するかも知れない。

益々ヒガンバナ(曼珠沙華)の魅力に気づくにちがいない!!

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