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『燐寸(マッチ)一本 化学の元!!』はどこまで!?(2) #マッチ

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「ばっかり病」にも利点があった!!
 病に「利点」とは不思議な話であるが、病であるがゆえに見えてくるものがあった。
 「ばっかり病」を発症しているときは、きわめて視野が狭い。
 それは逆に言えば、いらぬ雑なることを排して、純粋にそのものを焦点化できる。
 
 マッチばっかりに固執し、焦点化することによって、見えてくるツナガリがあった!!

▼宇田川榕庵、久米通賢と多くの人の世話になりながらの「日本のマッチ」を追う旅は、とても面白い展開となってきていた。私は完全に調子にのっていた(^^)V
 次なるターゲットは、川本幸民だった。
 ここでも私は、想像以上の成果をあげたのだった。

(18) 川本幸民の資料・文献は三田ふるさと学習館にある。川本幸民は郷土のほこりだった!!

(19) 川本幸民がつくった燐寸(マッチ)ついては、『川本幸民の 遠西竒器述 解読』(足立元之編著 NPO法人歴史文化財ネットワークさんだ 2010.4.10)にとてもくわしくわかりやすく書かれていた。
 もちろんこの段階では「黄リンマッチ」である。
 なんとうれしいことに、学習館の方のはからいで著者の足立先生と電話でお話をさせてもらった!!
 

▼ここで今一度、日本のマッチの歴史を「マッチの歴史(「マッチの世界」 日本燐寸工業会) 」を参考に三人の科学者についてピックアップしてみる。


●1837 (天保8)年
・ 宇田川榕庵(ようあん)が欧州の文献を参考にマッチについての記述もある化学書『舎密開宗(せいみかいそう)』を著す。

● 1839 (天保10)年
・ 高松藩士、久米通賢(くめつうけん)栄左衛門がドンドロ附木、吹弾子(雷汞(らいこう)マッチ)を発明。史実としてはわが国最初の国産マッチの発明。

●1848 (弘化4)年
・兵庫県加古郡横谷村(現在の三田市)出身の蘭学者、川本幸民(かわもと こうみん)が黄りんを使ったマッチの試作に成功。

宇田川榕庵、久米通賢、川本幸民を訪ねる旅でだいぶんその「マッチの歴史」が見えてきた!!
三人ともマッチだけでなかった。

(20) 宇田川榕庵、久米通賢、川本幸民はいずれもが最先端のきわめてマルチな科学者だった!!
 
▼これらの事実からもつくづく実感することがある!!

(21) 「マッチの歴史」は日本近代「化学」の歴史そのものである!!

(22) 「燐寸(マッチ)一本 化学の元!!」は本当だ!! 

 このふたつが、現段階の「結論」である。
 まだまだ旅はつづく!!

(つづく)

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