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『「丹生」を追う』のこれまで(2) #丹生 #朱 #辰砂 #水銀 #Hg

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「情報は発信するところに集まる!!」
はそのころからの真実だった。
 私は取り憑かれたように「丹生!!」「朱!!」とことあるごとに叫びまくっていた。

◆朱(丹)を追え(2) (「地下茎」第41号P7-11)

 不思議なもので、そうして語っていると、今まで気にもとめなかった新聞記事やテレビ番組が気になりだした。
少しでも「丹生」「朱」「水銀」などに関係する言葉がでてくれば反応した。
 「丹生・山田の里」の記事を今も残していた。
▼こういうときに同じ不思議を追う先行者がいるということはうれしいことだ。
 同じように「丹生」を追う人がいた。それも半端ではなかった!!
 私よりかなり先を行っていた。
 奈良の中谷隆夫さんである。

◆奈良の博物学・水銀ものがたり(第1部) 中谷隆夫著

◆水銀利用の歴史にちなんで(第2部) 中谷隆夫著

 今読み返してもワクワクドキドキしてくる迫真のドキュメントレポートだ。
 中谷隆夫さんは、奈良の桜井市にお住まいだった。あるとき、お家の前に大きな穴があいた!!
「どうして!?」からはじまる水銀ものがたりは面白すぎる。
 今から考えてみると、このあとの私の「「丹生」を追う」は、このレポートに大きく影響を受けたと言える。
▼シロウトのこわくて面白いのは、専門家からすると、とんでもないことをツナゲテ考えてしまうことだ。

昭和59年(1984年)5月30日午前9時39分!!

 私が「丹生」にはまる2年前だ。
 山崎断層系断層・護持暮坂断層が動いたのだ!!(「山崎断層地震」)
 最初の「仁豊野」(にぶの)は、この断層の近くにあった。
 
 「断層」→「断層破砕帯」→「ガレ場」→「熱水性鉱床」→水銀鉱床(朱、辰砂)

 (゜o゜)ゲッ!!なんというヒヤク!!

▼そのヒヤクを先行者は強く否定されなかった。
 むしろ話は、もっと豊かに膨らんでいった。

 「断層」と言えば、超一級の断層があった。
 中央構造線だ!!

 中央構造線と水銀鉱床の関係についても「水銀ものがたり」にはふれられていた。
 
 話はますますふくらんでいく。
 ならば「中央構造線へ…」

(つづく)

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