六甲山地はどうやって生まれたか(1)
▼出かける前にひとつのメールが入っていた。
「芦屋から、奥池まで、バスまたは車で来られると思いますが、通る道の傾斜を感じながら来ていただきたい、ということです。山に入ると急斜面をヘアピンカーブで登り、しばらくすると急に平らになるのがわかります。六甲山の成り立ちと関係しますので、ぜひ実感しつつ奥池まで来ていただきたい。時間的には短いですので、おしゃべりをしていると気づかないかもしれません。」
▼見逃してはなるまい!!
とバスの車窓から外の景色のうつりかわりに注意していた。
確かにヘアピンカーブが多い。
それがわかった。そして平らとなりそこに奥池があった。
カーブの数までは数えることができなかった。研修会のなかで、その数は13あると教えられた。
カーブごとにプレートがつけられているとも。
帰りの車では、みなさんとカウントしながらおりた。
確かに!!

▼出かける前に、私は古びた二冊の本を本棚からひっぱり出してきた。
荷物になるとは思いながらも、カバンに入れた。列車の中で、それを少しだけ読んでみた。
面白い!!
その一冊は
◆『変動する日本列島』(藤田和夫著 岩波新書 1985.6.20)
である。思い出の多い一冊である。
「近畿トライアングル」を教えられ
「山崎断層」をより意識的にとらえさせてくれた本である。
また、1995年の兵庫県南部地震の後、いちはやく
【理科の部屋】オンライン学習会第2期(1995.4~1995.10)のテキスト
としてとりあげた本でもあった!!
▼もう一冊は、上記書をより詳細に語ったものだった。
◆『日本の山地形成論~地質学と地形学の間~』(藤田和夫著 蒼樹書房 1983.4.30)
もちろんページをめくった記憶がある程度で、すべてを理解しているわけではなかった。
わからないままであるが、読んでいたく感動した記憶だけ鮮明にある。
どこに感動したのだろう!?
今回、その少しがわかるかも知れないと思いながら研修を受けた。
(つづく)
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