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本日(2018/04/28)、第190回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

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▼先日の「寅彦を訪ねて」の旅で、「高知地方気象台露場」を見て以来、益々地元のアメダス測候所が気になってきた。
 
 そのアメダス測候所の近くの公園のヒラドツツジが満開であった!!
 
 七種川の対岸からであるが、風向風速計、雨量計をカメラにおさめてみた。

▼本日(2018/04/28)は、第190回オンライン「寅の日」である。
 4月のテーマは

【4月テーマ】 「寅彦を愉しむ」

である。読むのは前回に引き続き随筆集『備忘録』である。
 その最終回である本日はそのなかの「向日葵」を読む。

◆本日(2018/04/28)、第190回オンライン「寅の日」!!

「向日葵」(『備忘録』 青空文庫より)

▼自画自讃ながら4月にこの『備忘録』を読んだのは大正解であると思っていた。
 ここで読んだ「金平糖」「線香花火」そして今回の「向日葵」、それ以外にも面白い随筆がいっぱいだ!!
 初出は
 (昭和二年九月、思想)
 となっている。
 こんな興味深いことを次々と書いた昭和二年(1927年)とは寅彦にとってどんな年になるのだろう。
 これまた、高知県立文学館で手に入れていつも参考にさせてもらっている

◆『寺田寅彦~天然に育まれし眼差し~』(高知県立文学館編集・発刊)

から引用させてもらう。

一九二七年(昭和二年)  五〇歳(数え年)

3月、理学部勤務を免ぜられ、地震研究所所員専任となる(理学部では特別講義を持つ)。

4月、長男東一は東京帝国大学理学部物理学科、次男正二は静岡高等学校、三女雪子は三輪田高等女学校へそれぞれ入学。

7月1日、甥伊野部重彦が死去し帰高。(これが最後の帰郷となる)

7月18日、仙台の小宮豊隆と松島に遊ぶ。

8月末、豊隆、東洋城、青楓と塩原に遊ぶ。

 この随筆が出てきたバックグランドを想像しながら読むとより愉しめる気がしてきた。

物理学上の文献の中でも浅薄な理論物理学者の理論的論文ほど自分にとってつまらないものはない。論理には五分もすきはなく、数学の運算に一点の誤謬(ごびゅう)はなくても、そこに取り扱われている「天然(ネチュアー)」はしんこ細工の「天然」である。友禅の裾模様すそもように現われたネチュアーである。

 寅彦には理想に描くものがあった。


ほんとうにすぐれた理論物理学者の論文の中には、真に東洋画特に南画中の神品を連想させるものがある。一見いかに粗略でしかも天然を勝手にゆがめて描いてあるようでも、そこにつかまれてあり表現されてあるものは生きた天然の奥底に隠れた生きた魂である。こういう理論はいわゆる fecund な理論でありそれに花が咲き実を結んで人間の文化に何物かを寄与する。

理想芸術でもすぐれた南画まで行けば科学的にも立派であるように理論物理学もいいものになるとやはり芸術的にも美しい。

▼これは寅彦のいつもの手法かと思うことがあった。
 その手法とは 
 本意は最後の一文で語る!!
 であった。今回もその最後の一文を引用させてもらおう。

  向日葵(ひまわり)の花を見ようとするとわれわれの目にはすぐにヴァン・ゴーホの投げた強い伝統の光の目つぶしが飛んで来る。この光を青白くさせるだけの強い光を自分自身の内部から発射して、そうして自分自身の向日葵を創造する事の困難を思うてみる。それはまさにおそらくあらゆる科学の探究に従事するものの感ずる困難と同種類のものでなければならない。

 寅彦が亡くなったのは、1935年(昭和10)12月31日だった。
 こう書いてから8年後である。
 私には、この最後の一文が寅彦自身の強い「決意」を込めた文に読めてくるのだった。

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