私の「科学」雑話(16)
▼それは黒川温泉から帰りのことだった。
枝の先は確かに三つ叉に分かれていた。三椏だ!!
それにしても夥しい数の三椏の群落を見るのははじめてであった。こんな近くにこんなところがあったとは…
その群落をぬけると「杉原紙の里」(杉原紙研究所)だった。ここで「杉原紙と三椏の関係について」聞いてみた。杉原紙で原料に使っているのは木は楮だけだった。杉原川には楮の白皮が「川さらし」がしてあった。こうすることで白さを増すのだと教えてもらった。
川べりにはそれが干してあった。この後、ソーダ灰と一緒に「釜だき」をするそうだ。
ここにも間違いなく「科学」あると思った!!
▼持病の「ばっかり病」と同時に「あれもこれも病」も発症しているようだ。(^^ゞポリポリ
「マッチばっかり病」を続けよう!!
『舎密開宗』以降の 日本のマッチの歴史を
◆マッチ年鑑 ~明治 (姫路のモノづくり・電子じばさん館)
で見てみよう。少し引用させてもらう。
●1839 (天保10)年 高松藩士、久米通賢(くめつうけん)栄左衛門がドンドロ附木、吹弾子(雷汞(らいこう)マッチ)を発明。史実としてはわが国最初の国産マッチの発明。
●1845 (弘化2)年 12月25日、燐寸(マッチ)開祖、清水 誠(しみず まこと)、金沢に生れる。
●1847 (弘化4)年 兵庫県加古郡横谷村(現在の三田市)出身の蘭学者、川本幸民(かわもと こうみん)が黄りんを使ったマッチの試作に成功。
●1848 (嘉永元)年 兵庫県の蘭学者、川本幸民(かわもと こうみん)が燐を用いて黄りんマッチを試作。
▼おおっ!!うれしい津山の「洋学資料館」で名前のあがっていた「川本幸民」が登場するではないか。
それも三田市とは比較的近くではないか!!
その前に登場する「久米通賢」!!聞いたことのない名前だ。
しかし、「わが国最初の国産マッチの発明」とは聞き捨てならぬ!!
▼ネットでいろいろ調べていたらこんなページをみつけた。
どうやら知らなかったことが少しはずかしくなってくるぐらいのすごい人物のようだ!!
坂出・高松 !!
行けない距離ではないな。少し追ってみるかな…o(^o^)o ワクワク
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