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本日(2018/01/10)、第181回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

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▼昨日(2018/01/09)はとても風の冷たい寒い一日だった。
 いつもの「雲見」定点より「雲見」をする。

 その「雲見」画像と「アメダス」の記録とリンクさせてみる。

 誰にでもできる小さな試みだ!!
 これが実に面白い!!

 やっぱり今、「アメダス」はとてもすぐれた教材である!!

▼本日(2018/01/10)は、第181回オンライン「寅の日」である。
 2018年になっての初回である。
 今月のテーマは 随筆集『空想日録』 である。
 本日は、そのなかの「二 製陶実演」を読む。

◆本日(2018/01/10)、第181回オンライン「寅の日」!!

●「二 製陶実演」(『空想日録』青空文庫より)

▼人はそれぞれの自分の「文脈」に引き寄せて人の「文脈」を読む。
 アタリマエすぎるほどアタリマエのことだ。
 
 私の「文脈」に沿ってこれを読んだ。いちばんナルホドと思ったのは終りの方にあった。

学問の場合には、素材というものの価値が実は非常に重大である。いい素材を発見しまた発掘するということのほうがなかなか困難であってひと通りならぬ才能を要する場合が多く、むしろそれを使って下手(へた)な体系などを作ることよりも、もっとはるかに困難であると考えられる場合も少なくはない。そうして学術上の良い素材は一度掘り出されれば、それはいつまでも役に立ち、また将来いかなる重大なものに使用されるかもしれないという可能性をもっている。

 私は、私の「文脈」において、寅彦の言う「素材」は「教材」に読み替えていた!!
  
▼それだけではないのが寅彦のすごさだ。
 続けてこうも言っていた。

これに反してその素材を用いて作り上げられた間に合わせの体系や理論の生命は必ずしも長くはない。場合によってはうちの台所の水甕(みずがめ)の生命よりも短いこともある。水甕の素材は二度と使えなくても、学説や理論の素材はいつでもまた使える。こういうふうに考えて来ると学問の素材の供給者が実に貴(たっと)いものとして後光を背負って空中に浮かみ上がり、その素材をこねてあまり上できでもない品物をひねり出す陶工のほうははなはだつまらぬ道化者の役割のようにも思われて来るのである。
 

 それにしても寺田寅彦の「文脈」は実に面白い。
 たまたま

三越(みつこし)へ行ったら某県物産展覧会というのが開催中であって、そこでなんとか焼きの陶器を作る過程の実演を観覧に供していた。
 

からはじめて、話をここまで展開するとはやっぱりスゴイ!!
さらにはきっちり落ちをつけていた。

 しかし、そういう理屈はいっさい抜きにして、あの陶工の両手の間で死んだ土塊が真に生き物のように生長して行く光景を見ている瞬間には、どうしても人間のものを生み出す創作能力の尊さを賛美しないわけには行かないのであった。

あなたの「文脈」に引き寄せて読めばこの随筆はどう読めますか!?

今年もオンライン「寅の日」をよろしくお願いします。<(_ _)>

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