« 新・私の教材試論(118) | トップページ | 新・私の教材試論(120) »

新・私の教材試論(119)

Dsc_5166

▼昨日(2018/01/11)早朝、私は一枚の写真を撮るのに四苦八苦していた。
「地球照+木星+火星」を一枚の写真に入れたかったのだ。
「地球照」からはじめる太陽系宇宙の学習を以前から提案していた。ここ何年か「地球照」だけなら撮り続けていた。
 「上弦までと下弦からは地球照が撮れる!!」
 勝手にこんな体験的ルールもつくるまでになった。

 「地球照+惑星」の写真はより説得力をもつすぐれた「教材」となると考えたからなんともしても、この一枚を撮りたかった。木星はなんとかコラボさせることができたが、火星まではなかなか難しかった。
 
 「教材になるかも!?」
 このひと言は今なお最高にモチベーションを高めてくれる魔力を持つコトバだ!!

▼「新・私の教材試論」を再開していこう。
 そう決めながらも、まだ躊躇する自分がいた。
 「ポンコツの繰り言にどんな意味があるのだ!?」ともうひとりの自分が問いかけてくるのだ。

 試論をはじめてからでももう10年にもなる。
 確かに時代は進み、「教材」をとりまく環境も大きく変わった。

 理科室で行われていた実験はYouTubeの動画で意図も簡単に見ることができる。
 なかなか入手が難しかった実験材料などもネットで瞬時に手に入れることができる。
 安価で多彩な材料が100円ショップで大量に手に入る。

 こんな時代の「教材」とは!?
 「教材論」とは!?

▼「新・私の教材試論」の「新・」に「新・新・新・新…」と「新」をいくつか追加しなければ語れないのかもしれない。
 しかし、ほんとうにそうだろうか?
 時代変わっても「不易」なものは存在するのでは。
 こんなときまたあの言葉を思い出す。

ホンモノの「流行」は「不易」を内包する!!
ホンモノの「不易」は「流行」を創造する!!

 私はこの教材の「不易流行」を追うところから再開していきたい。

▼こんなとき思い出す示唆的なコトバがあった。
   『やさしくて本質的な理科実験 4』(鈴木清龍・若生克雄編 評論社 2001.10.10)の「実験集の歴史と特質」のなかで鈴木清龍先生は次のように言った。

理科ぎらい、理科ばなれがいわれますが、そんな状況のなかで実験書、ものづくりは花ざかりのようです。超教科は脱学校を生みだしています。(それはあだ花か。)私たちは脱学校のなかから、学校での学習が再構築されると考えていますが。  それは、これまでの蓄積の成果を自らのものとして、子どもの要求に敏感に反応し対応できるように自らをつくっていくことによるしかないのではないでしょうか。 2001年8月  (同書P4)
 

なんと示唆的な!!
今こそ耳を傾けたいコトバだ。

今朝(2018/01/12)も、一枚の写真に挑戦してみた。
今朝は「火星」もバッチリだ (^^)V 

(つづく)

Dsc_5268


 
 

 

|

« 新・私の教材試論(118) | トップページ | 新・私の教材試論(120) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/62729/66268529

この記事へのトラックバック一覧です: 新・私の教材試論(119):

« 新・私の教材試論(118) | トップページ | 新・私の教材試論(120) »