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本日(2017/12/17)、第178回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

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▼昨日朝、大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから34週目であった。
連日の冷え込みは少しやわらいでいた。観察池には氷もはっていないように思われた。
 流星観察のため外に出たときは、暗がりのなかでは見えなかったので指で突っついてみて確かめた。
 夜が明けて、明るくなると見てわかった。やっぱり氷ははっていなかった。
 なぜそう判断したか!?
 「透明」で泥の底が見えたからだ。あれ!?、緑の植物らしきものも見える。
 液体の水と固体の氷 見た目どこがちがうの?

 実に「つまらない話」だ。
▼本日(2017/12/17)は、第178回オンライン「寅の日」である。
12月のテーマは
・随筆集『自由画稿』
である。その第二弾である今回は、そのなかから「十二 透明人間」を読む。

◆本日(2017/12/17)、第178回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

●「十二 透明人間」(『自由画稿』 青空文庫より)

▼今回のキーワードは「つまらない話」だ。
 寅彦流に言うと 「瑣末な疑問」 だ。

この映画を見ているうちに自分にはいろいろの瑣末(さまつ)な疑問がおこった。

 この「瑣末な疑問」がいかに興味津々の「科学」の話になるか!!
 お手並み拝見だ。

 いきなりこうだ。

 第一には、この「透明人間」という訳語が原名の「インヴィジブル・マン」(不可視人間)に相当していないではないかという疑いであった。 「透明」と「不可視」とは物理学的にだいぶ意味がちがう。たとえば極上等のダイアモンドや水晶はほとんど透明である。しかし決して不可視ではない。

 ナルホド(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
 と思えば、そこはもう寅彦の世界だ!!
▼「透明」と「不可視」はちがうと説く。そして、こう結論づける。

 こう考えてみると「透明人間」という訳語が不適当なことだけは明白なようである。

続けて言う。

そこで、次に起こった問題はほんとうに不可視な人間ができうるかどうかということであった。ウェルズの原作にはたしか「不可視」になるための物理的条件がだいたい正しく解説されていたように思う。

そして、「不可視人間」など存在しない!! に持って行くのである。
なんと科学的!!
みごとな展開である。

そして科学者・寺田寅彦は言う。

 以上は別にウェルズの揚げ足をとるつもりでもなんでもない、ただ現在の科学のかなり根本的な事実と牴触(ていしょく)するような空想と、そうでない空想との区別だけははっきりつけておいたほうが便利であろうと思ったからしるしておくだけである。

 オマケがついていた。このオマケがまたまた寅彦らしいものだった。

 これは全くよけいなことであるが、「人間」の人間であるゆえんもやはりその人間と外界との「境界面」によって決定されるのではないか。境界面を示さない人間は不可視人間であり、それは結局、非人間であり無人間であるとも言われるかもしれない。善人、悪人などというものはなくて、他に対して善をする人と悪をする人だけが存在するのかもしれない。同じように「何もしないがえらい人」とか「作品はあまりないが大文豪」とか「研究は発表しないがえらい科学者」とかいうものもやはり一種の透明不可視人間かもしれないのである。

ひょっとしたら、寅彦の本意はオマケの方にあるかも知れない。(^^)V

 私の「つまらない話」=「瑣末な疑問」はどうなっただろう?
 今朝は氷かはっているかな!?

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