本日(2017/09/24)、第171回オンライン「寅の日」!!#traday
▼「引っ越し」した大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから22週目だった。
先日の台風18号の風で直立した果托はもう一本もなくなってしまった。その向かいに我がヒガンバナ定点観察の庭があった。
定点A~D、東京からの「引っ越し」ヒガンバナの今(2017/09/23)を「記録」しておこう。
いつの日か「言葉」「文章」になることを期待して…。
▼本日(2017/09/24)、第171回オンライン「寅の日」である。
9月に読むのは 「科学と文学」 の一本である。
本日はその2回目だ。
◆本日(2017/09/24)、第171回オンライン「寅の日」!!#traday
▼にわかには84年も前に書かれたと信じがたい文章である。
きわめて示唆的かつ今日的「言葉」「文章」がならぶ。何度読んでもポンコツ頭にどれほど本意を読み解けたか不安ではあるが、ひとつの結論を持っていた。
これは、科学者・寺田寅彦の「随筆のすすめ」である!!
そう思ったところを少し引用させてもらおう。
そういうことから考えても、科学者が科学者として文学に貢献しうるために選ぶべき一つの最も適当なる形式はいわゆるエッセーまた随筆の類であろうと思われる。
それはとにかくとして、現在において、科学者が、科学者としての自己を欺瞞することなくして「創作」しうるために取るべき唯一の文学形式は随筆であって、そうしてそれはおそらく、遠き「未来の文学」への第一歩として全く無意味な労力ではないと信ずるのである。
▼「科学」に興味を持ち少しは関わってきたとは言え、「科学者」ではないポンコツ理科教師の私が言うのも少し恥ずかしいが、
私もいつの日か、寅彦の言う「随筆」を書いてみたい!!
と思っていた。
そんな私に次なる文章は示唆的だ。
科学者が自分の体験によって獲得した深い知識を、かみ砕きかみ締め、味わい尽くしてほんとうにその人の血となり肉となったものを、なんの飾りもなく最も平易な順序に最も平凡な言葉で記述すれば、それでこそ、読者は、むつかしいことをやさしく、ある程度までは正しく理解すると同時に無限の興趣と示唆とを受けるであろうと思われる。
それで、考え方によっては科学というものは結局言葉であり文章である。文章の拙劣な科学的名著というのは意味をなさないただの言葉であるとも言われよう。
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