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新・「自由研究」のすすめ試論(146)

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『赭鞭一撻』ノート
という古めかしい一冊のノートがある。いつも手の届くところに置いていた。
 以前に「高知県立牧野植物園」を訪ねたときにミュージアムショップで手に入れたものである。ノートでありながら私はなにも記していない。
 目的は表表紙、裏表紙に記された「赭鞭一撻 牧野結網子稿」にあった。
 そこには次のように記してあった。

 故郷佐川にいた少年時代(十八歳~二十歳ごろ)、牧野富太郎が植物学を志すようになった頃の勉強心得。この若き日の抱負は、生涯を通じて実践された。(結網とは、牧野富太郎の号)(『赭鞭一撻』ノートより)

▼「自由研究」の「不易流行」をまた少しちがった角度から追ってみよう。
 夏休み「自由研究」の古典的定番として、昆虫採集をして「昆虫標本」づくり、植物採集をして「植物標本」づくりなどがある。本格的でこちらが圧倒されてしまうような作品にも出会ってきた。
 直接自然に触れる機会の多い夏休みならではの「自由研究」定番である。
 
 植物採集ですぐさま思い出すのがこの牧野富太郎の『赭鞭一撻』だった。

▼『赭鞭一撻』には15ヶ条の「心得」が書かれていた。納得することばかりである。
引用させてもらおう。

一、忍耐を要す(我慢することが必要である)

二、精密を要す(正確であることが必要である)

三、草木の博覧を要す(草や木についての豊かな知識が必要である)

四、書籍の博覧を要す(たくさんの本を読むことが必要である)

五、植学に関係ある学科は皆学ぶを要す(植物に関係する学科は全て学ぶことが必要である)

六、洋書を講ずるを要す(洋書を理解する必要がある)

七、当(まさ)に画図を引くを学ぶべし(理屈にあった図画技法の勉強をしなさい)

八、宜(よろ)しく師を要すべし(状況に適した先生が必要である)

九、吝(りん)財者は植物学たるを得ず(植物学者はケチではいけない)

十、跋渉(ばっしょう)の労を厭ふなかれ(方々の山野を歩きまわる努力を怠るな)

十一、植物園を有するを要す(植物園が必要である)

十二、博(ひろ)く交を同士に結ぶべし(多くの同好者と友達になりなさい)

十三、迩言(じげん)を察するを要す(一般の人が使う名前や呼び名から推察することも必要である)

十四、書を家とせずして、友とすべし(本に書かれていると安心せずに、本を対等の立場の友と思いなさい)

十五、造物主あるを信ずるなかれ(神を信じてはいけない)

(現代語訳『赭鞭一撻』ノートより)

▼含蓄のある言葉ばかりだ。
 これは「植物学」にかぎらず、すべての「学問」「研究」にあてはまることばかりだろう。
 とりわけ私が興味あるのは

十二、博(ひろ)く交を同士に結ぶべし(多くの同好者と友達になりなさい)

植物を学ぶ人を求めて友人にしなさい。遠い近いも、年齢の上下も関係ありません。お互いに知識を与えあうことによって、偏りを防ぎ、広い知識を身につけられます。

である。
 「自由研究」を機にあらたなヒューマンネットワークと出会うことができたら楽しいだろうな。
 そんなことがあってこそ、

 「自由研究」は一生モノ!!

(つづく)

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