新・「自由研究」のすすめ試論(124)
▼発芽(発根)した実生ヒガンバナ3つは順調に育っていた。緑はますますこくなっていくようだ。土にもぐり込んだ部分は少し太ってきただろうか。さて、いつ大きな植木鉢に移し替えようかな。
2014年の秋に「種子」を採集、2015年の春に発芽(発根)に成功した分については、「出葉」していた葉もすっかり枯れていた。
ずいぶん気長な「研究」である。
「実生ヒガンバナの研究」は同時並行ですすめるいくつかの私の「自由研究」のなかでもいちばん年季が入ったものだった。
▼営々と今日まで引き継がれてきた「自由研究」の思念とは!?
そこから話をつづけよう。ここからは、「我田引水」の勝手気ままな試論である。
さらにできるだけ「理科」に特化して考えてみる。
例によって3つだ。
(1) 「自由研究」は「自由」である!!
(2) 「自由研究」は「研究」である!!
(3) 「自由研究」は学びの楽しさを体感するものである!!
▼なにか禅問答のようなわかったようなわからない話だ。
悟った人間のコトバにも…、心配しなくてもそうは見えないか(^^ゞポリポリ
少しだけ解説・蛇足を加えてみる。
(1) 「自由研究」は「自由」である!!
なんというアタリマエ!!
「個人の興味と能力に応じた教科の発展としての自由な学習」
「児童生徒に任意の題材を選択させ」
つまりはテーマ選びが「自由」であるということだ。これが「自由研究」の本質であり、魅力的なところだ。
ところがこれが現実的にはいちばん悩ましいところでもある。
(2) 「自由研究」は「研究」である!!
これまたアタリマエすぎるほどアタリマエのこと!!
「研究」であるかぎり最も大切なことは「研究」プロセスである。
「研究的態度の養成」にこそ真のねらいがある。
「研究」の方法を学ぶのである。一生の「たからもの」を手に入れるチャンスかも知れない。
▼私がもっとも強調したいのはこれだ。
(3) 「自由研究」は学びの楽しさを体感するものである!!
教育課程からは名を消しながらも、今日まで営々と引き継がれてきた「自由研究」!!
学ぶこと、「研究」することの楽しさを発見する最高の機会なんだ。
それを多くの人が体験的に認めてきたからこそ今日まで生き残ってきたのだ。
自分自身の目と手で自然にはたらきかけ、自然の「謎解き」に挑戦する。
その面白さ・楽しさを体験する。それが「自由研究」!!
「なぜ理科を学ぶのか?」
その答えも「自由研究」のなかにあるのかも知れない。
理科の「自由研究」にも「不易流行」がある。次はそのあたりを…
大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから、蓮根の植え替えから7週目であった。
花芽1号の「あこがれの4日間」のはじまりはいつだろう?
(つづく)
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