新・「自由研究」のすすめ試論(122)
▼大賀ハス花芽第1号は、梅雨空のもとでも「あこがれの4日間」をめざして着実に成長していた。
ここ9年の間にいくつの「あこがれの4日間」を見てきただろう?
まったく「未整理」のままであるが、【大賀ハス観察日記】に記録だけはしてきた。しかし、その謎解きはまだまだ続いていた。
・「あこがれの4日間」はなぜ4日間なのか?
・4日間のプログラムはどのような「からくり」で埋め込まれているのか?
・初日の開花時刻はあらかじめ決まっているのか?
・「目覚まし時計」のシステムは?
・開閉のシステムは? その「からくり」は?
等々
今年の観察で、どこまで謎解きは進むだろうか。あらたな「発見」はあるだろうか?
▼「自由研究」の話をつづけよう。
「自由研究」の「これから」を考えていく前にやっぱり「これまで」を大雑把にでもふり返ってみておこう。
これもまたそもそも話からいこう。
そもそも日本の理科教育史のなかで、「自由研究」はいつから登場したのか?
またまた大風呂敷広げるような話だ。(^^ゞポリポリ
▼ここでもまた寺田寅彦がヒントとなりそうなことを書き残してくれていた。
のなかに「自由研究」という言葉をみつけた。以下のように
小学校でも中学校でもせめて一週間に一時間でもいいから、こういう「自由研究」の時間を設けて、先生も生徒も一緒になって、何でも手近な題目を取扱い、そうして、自然が如何に分らない事だらけであるかという事、その分らない事が、熱と根気で向って行けば少しずつ少しずつ分って行く事、その少しずつ分って行く少なくも分ったような気がして行く事が如何に愉快なものであるかという事などを実習したらいいだろうと思う。先生の分らない事は大抵誰にも本当はよく分らない事である。分らない事は恥でも何でもない。分らない事を分ったような顔をするほど恥ずべき事はない。
なんともうれしい理科教師に向けた熱きエールではないか!!
ところで「自由研究」であるが、寅彦がここでこのように使っているということは昭和3年以前にすでに日本理科教育史のなかに登場していたということだろう。
▼では、それはいつか?
不勉強な人間のシロウト考えだが大正時代の自由民権運動、自由教育と深く関わっていると思うのだ。
しかし、まだ具体的に「自由研究」という文言が
・いつ?
・どのように?
登場したかは不確かである。もう少し調べてみようと思う。
(つづく)
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