本日(2017/05/27)、第161回オンライン「寅の日」!!#traday
▼第35号コウガイビルは消えた!!
私はこの話を人から聞いたならにわかには信用しないだろう。しかし、これは私が自分の眼で見た「事実」であるから信用するしかない!!
5/10に出会った第35コウガイビルはナイロン袋のなかで5/25生命活動を終えた。
そしてすばやく「とけるように」消えた!!
毎日、朝夕には「生きている」ことを確認するようにしていた。「夏日」が続くことが心配だった。家の中でいちばん気温が低いであろう場所にも移動させていた。でもやっぱりダメだった(/_;)
「とけるように」消えるコウガイビルを見ながら考えた。
「生命とは何か?」と。
なぜか、こんな私のわけのわからないような話しも寅彦ならば真剣に聞いてくれそうな気がするのだ。
▼本日(2017/05/27)はその寅彦を読む日。第161回オンライン「寅の日」である。
5月のテーマは
・「寺田物理学」って!?
本日はその第三弾、「量的と質的と統計的と」である。
◆本日(2017/05/27)、第161回オンライン「寅の日」!!#traday
▼なんと強引なこじつけ話だ。(^^ゞポリポリ
寅彦なら「コウガイビル」の話しを聞いてくれそうだとは。
でも私にはやっぱりそう思えるのだ。
こんなコトバにそれを感じるのである。
これらの発見の重大な意義はと言えば、それらのものの精密なる数値的決定より先にそれらのものが「在ある」ということを確立することである。もっともそのためには精密な計画と行き届いた考察なしには手を出せないことは言うまでもないことであるが、その際得る数字の最高精度は少なくも最初には必ずしも問題にならないのである。おもしろいことにはこの種の Residual effect はしばしばそれが「発見」されるよりずっと前から多くの人の二つの開いた目の前にちゃんと現在して目に触れていても、それが「在る」という質的事実を掘り出し、しっかり把握はあくするまでにはなかなか長い時を待たなければならないのである。
もちろん質的の思いつきだけでは何にもならないことは自明的であるが、またこれなしには何も生まれないこともより多く自明的である。
▼なんとも示唆的なコトバが続く!!
こういう時代において、それ自身だけに任せておくととかく立ち枯れになりやすい理論に生命の水をそそぎ、行き詰まりになりやすい抽象に新しい疎通孔をあけるには、やはりいろいろの実験が望ましい。それには行ない古したことの精査もよいが、また別に何かしら従来とはよほどちがった方面をちがった目で見るような実験的研究が望ましい。ことにこの眼前の生きた自然における現実の統計的物理現象の実証的研究によって、およそ自然界にいかに多様なる統計的現象がいかなる形において統計的に起こっているかを、できるならば片端から虱しらみつぶしに調べて行って、そうしてそれらの現象の中に共通なる何物かを求めることが望ましく思われる。
この難儀の問題の黒幕の背後に控えているものは、われわれのこの自然に起こる自然現象を支配する未知の統計的自然方則であって、それは――もしはなはだしい空想を許さるるならば――熱力学第二方則の統計的解釈に比較さるべき種類のものではあり得ないか。マクスウェル、ボルツマン、アーレニウスらを悩ました宇宙の未来に関するなぞを解くべきかぎとしての「第三第四の方則」がそこにもしや隠れているのではないか。
寅彦がこう書いたのは1931年(昭和6)だ。
あのシュレーディンガーが『生命とは何か』を書いたのは1944年だ!!
やっぱり寅彦は面白い!!
36号コウガイビルと出会えるのはいつだろう。今度は…
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