本日(2017/02/20)、第153回オンライン「寅の日」!!#traday
▼東の畑の紅梅が満開である!!
やっぱりこんなときはカメラを向けたくなる。究極の道楽「雲見」「宇宙見物」のときも、朝夕の散策のときもカメラをぶらさげていた。いっこうに撮影スキルは向上する気配はなかった。それについては半ばあきらめていた。
でもやっぱりいつもカメラだけは手放せない。
寅彦の時代はどうだったんだろう?
▼本日(2017/02/20)は第153回オンライン「寅の日」である。
2月オンライン「寅の日」のテーマは
・寅彦と「道楽」
である。前回は「地図」だった。
そして、今回はその「カメラ」である。「カメラをさげて」を読む。
◆本日(2017/02/20)、第153回オンライン「寅の日」!!#traday
▼まず寺田寅彦は「カメラ」という道具をどうとらえていたのだろう。
しかし写真をとろうという気で町を歩いていると、今までは少しも気のつかずにいたいろいろの現象や事実が急に目に立って見えて来る。つまり写真機を持って歩くのは、生来持ち合わせている二つの目のほかに、もう一つ別な新しい目を持って歩くということになるのである。
少なくも自分の場合には何枚かの六×九センチメートルのコダック・フィルムの中に一九三一年における日本文化の縮図を収めるつもりで歩くのであるが、なかなかそううまくは行かない。しかしそういうつもりで、この特別な目をぶらさげて歩いているだけでもかなり多くの発見をすることがある。
誰しも言われてみればナルホド!!ソノトオリ!!と納得することをコトバにしてしまう、それが寅彦だった。
そのコトバは時空を越えて今も響く!!
▼「カメラ」を語りながら、日本文化論、自然観まで語ってしまう。それが寅彦の凄いところでもあった。
また最後に「カメラ」の得意技にもどり、こう語っていた。
親譲りの目は物覚えが悪いので有名である。朝晩に見ている懐中時計の六時がどんな字で書いてあるかと人に聞かれるとまごつくくらいであるが、写真の目くらい記憶力のすぐれた目もまた珍しい。一秒の五十分の一くらいな短時間にでもあらゆるものをすっかり認めて一度に覚え込んでしまうのである。 その上にわれわれの二つの目の網膜には映じていながら心の目には少しも見えなかったものをちゃんとこくめいに見て取って細かに覚えているのである。
きわめて納得である。(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
その「瞬間」を「記憶」したい。「記録」したい!!
その願望が、いっこうにすごい写真は撮れなくても、いつもカメラをぶら下げている理由だった。
そして、その「下手な鉄砲」方式の写真にもとてもうれしいことがある。
そのときには気づかなかったものが映っているのだ!!
これで何度、いろんな「発見」をしたことだろう。
やっぱり今日も一日カメラをぶらさげておこう(^^)V
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