本日(2017/01/27)、第151回オンライン「寅の日」!!#traday
▼昨日(2017/01/26)の朝はほんとうによく冷え込んでいた!!
空も凍てついていた。「一日でいちばんきれいな空」は一際美しかった!!
細い細い月が刺さり、その月の「地球照」もまたみごとであった。
こんな景と出会ったとき、「では一句…」と詠めたらと願うようになったのはいつのころからだろう?
オンライン「寅の日」をはじめて、寅彦の随筆を読むようになったことと深く関係していることだけは確かだ。
▼本日(2017/01/27)は、その第151回オンライン「寅の日」だ。
151回目ということで、あらたな気持ちですすめたい。
1月のテーマは 寅彦と「俳句」 だった。
その3回目、最終回だった。読むのは「俳諧の本質的概論」である。
◆本日(2017/01/27)、第151回オンライン「寅の日」!!#traday
▼正直言って、今回の「俳諧の本質的概論」は、ちょっと「俳句」に興味を持ちはじめた程度の私には難解であった。難解すぎた。
「何が書いてあるのだろう?」
その概要をみつけるがやっとである。それとてその理解が正しいかは別にしてである。
・俳諧の本質とはなにか?
・俳諧の歴史とは?
・これからの俳諧とは?
等が書かれているようだ。
私なりの理解に基づいて少し引用させてもらう。
俳諧はわが国の文化の諸相を貫ぬく風雅の精神の発現の一相である。風雅という文字の文献的起原は何であろうとも、日本古来のいわゆる風雅の精神の根本的要素は、心の拘束されない自由な状態であると思われる。
「風雅」「自由」がキーワードのようだ!!
私にとっては少し救われた気分になる一文があった。
「風雅の誠をせめよ」というは、私わたくしを去った止水明鏡の心をもって物の実相本情に観入し、松のことは松に、竹のことは竹に聞いて、いわゆる格物致知の認識の大道から自然に誠意正心の門に入ることをすすめたものとも見られるのである。この点で風雅の精神は一面においてはまた自然科学の精神にも通うところがあると言わなければならない。
(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
▼どうやら寅彦は芭蕉にかなり惚れ込んでいたようだ。
芭蕉はもう一ぺん万葉の心に帰って赤裸で自然に対面し、恋をしかけた。そうして、自然と抱合し自然に没入した後に、再び自然を離れて静観し認識するだけの心の自由をもっていた。
芭蕉に俳諧の「理想」をみつけていたようだ。
「不易流行」
「連句」
「連句と映画のモンタージュ」
そしてあの高知で聞いた「連句的物理学」!!
興味はつきないが、私の理解がついていかなかった。
最後にこの一文を引用させて終わる。
風雅の道も進化しなければならない。「きのうの我れに飽きる人」の取るべき向上の一路に進まなければならない。
さすが寅彦だ!!
また読んでみようと思う。
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