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本日(2016/11/28)、第145回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼昨日は一日雨だった。
 もう11月が終ろうとしていた。10月後半~11月にかけて採集した「自然結実」ヒガンバナの花茎を「水栽培」して「完熟」を待っていた。その「完熟」種子は次々と落下し、もう残りわずかとなっていた。
 花茎も萎れうなだれ、黒々とした「完熟」種子は雨にうたれ今にも落ちそうだった。
 でもなかなか落ちない!!そのときだ、気づいた!!
 花茎の先の子房部を支える部分に緑が残っていることに。まだツナガッテいるのでは!?
 とるにたらぬ「つまらない」ことである。でもやっぱりあの人のコトバを借りたくなったなった。

 「ねえ君、不思議だと思いませんか?」

▼本日(2016/11/16)、第144回オンライン「寅の日」である。
11月のテーマは、【理科の部屋】の誕生月にちなんで

●寅彦と「科学教育」(理科教育)

だ。本日はその第三弾として「物理学実験の教授について」を読む。

◆本日(2016/11/16)、第144回オンライン「寅の日」!!#traday

●「物理学実験の教授について」(青空文庫より)

▼最初からであるが、自画自賛、我田引水的結論から入る。

この随筆はすべての理科教師が読むべきである!!

 自らを省みることない断言である。少し冷静になると恥ずかしくなるかも知れないが、今朝、読み直しての
結論である。この随筆を今回読むことにしたときは、さほどそうは思っていなかった。
 なんとなく「理科教師にとって参考になることが書かれているな」という程度のものだった。今、この選択は正しかった強く強く思っている。そして、きわめてタイムリーな選択だったと思っている。
 書かれたのは、大正7年(1918)。つまり98年、ざっと100年前!!である。
それは頭に置いておこう。

まずは理科教育における「実験」の有効性についてである。

云うまでもなく、物理学で出逢う種々の方則等はある意味で非常に抽象的なものであって、吾人の眼前にある具体的な、ありのままの自然そのものに直接そっくり当て嵌はめられるようなものはほとんどないとも云われる。「AがあればBが生ずる」というような簡単な言葉で云い表わしてある方則には、通例「ただAだけがあってその他の因子A'の図A''の図……等がないならば」という意味を含めてある。
眼前の自然は教科書の自然のように注文通りになっていてくれぬから難儀である。
 その他「完全なる剛体」とか「摩擦なき面」とか「一定の温度」とか一々枚挙に遑いとまはないが、こういう言葉を如何に理解し如何に自然界に適用すべきかという事を実験の途中で漸次に理解させるが肝要であろうと思う。これを誤解すれば、物理学を神の掟のように思って妄信もうしんしてしまうか、さもなくば反対に物理学の価値を見損なって軽侮してしまうかの二つに一つである。

▼引用ばかり多くすると読む前から興ざめであると危惧するのだが、どうしても「こうも言っている!!」と伝えたくなってしまうのである。お許しいただきたい。
 寅彦のすごいと思うところは、単に「評論」するのでなく、具体的実践を示唆してくれているところだ。

ビーカーに水を汲むのでも、マッチ一本するのでも、一見つまらぬようなことも自分でやって、そしてそういうことにまでも観察力判断力を働かすのでなければ効能は少ない。
先生の方で全部装置をしてやって、生徒はただ先生の注意する結果だけに注意しそれ以外にどんな現象があっても黙っているようなやり方では、効力が少ないのみならず、むしろ有害になる虞おそれがある。御膳を出してやって、その上に箸で口へ持ち込んでやって丸呑みにさせるという風な育て方よりも、生徒自身に箸をとってよく選り分け、よく味わい、よく咀嚼そしゃくさせる方がよい。
 数十種の実験を皮相的申訳的にやってしまうよりも、少数の実験でも出来るだけ徹底的に練習し、出来るだけあらゆる可能な困難に当ってみて、必成の途を明らかにするように勉つとめる方が遥かに永久的の効果があり、本当の科学的の研究方法を覚える助けになるかと思う。実験を授ける効果はただ若干の事実をよく理解し記憶させるというだけではなく、これによって生徒の自発的研究心を喚起し、観察力を練り、また困難に遭遇してもひるまずこれに打勝つ忍耐の習慣も養い、困難に打勝った時の愉快をも味わわしめる事が出来る。その外観察の結果を整理する技倆も養い、正直に事実を記録する癖をつける事やこのような一般的の効果がなかなか重要なものであろう。
物理実験を生徒に示すのは手品を見せるのではない。手際てぎわよくやって驚かす性質のものではなく、むしろ如何にすれば成功し如何にすれば失敗するかを明らかにする方に効果がある。それがためには教師はむしろ出来るだけ多く失敗して、最後に成効して見せる方が教授法として適当であるかと思う。
もともと実験の教授というものは、軍隊の教練や昔の漢学者の経書の講義などのように高圧的にするべきものではなく、教員はただ生徒の主動的経験を適当に指導し、あるいは生徒と共同して新しい経験をするような心算つもりですべきものと思う。

「ナルホド!!その通り!!」と膝を打つ理科教師もおおいだろう。
いや「それは理想であって…」と反駁したくなる理科教師もいるだろう。
これを読んでなんの反応もしない理科教師がいたらお目にかかりたいものだ。
繰り返してもう一度言う。

この随筆はすべての理科教師が読むべきである!!

これは100年の時空を越えた寅彦からの理科教師へ向けた熱きエールである!!

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