新・私の教材試論(109)
▼庭の定点Dヒガンバナは今年も「自然結実」していた。他の場所のものは花茎ごと採集し「水栽培」で「完熟」させたが、ここのものは最後までこの場所で「完熟」を待とうと思っていた。
ここなら毎日、いつでもその様子が観察できるからだ。しかし、それも昨日が限界かと思ったので枯れた花茎と一緒に採集した。これ以上やっていると「目玉オヤジ」状態になった「完熟」種子は草むらにこぼれ落ちてしまい見失ってしまう可能性があると判断したからだ。
前の道路に枯れた花茎とともに置いてみた。
長い花茎だ、なんと75㎝もあった。
ここを最後の最後まで栄養と水を送りつつづけたのだ。
「完熟」種子のために…!!
やっばり植物「ヒガンバナ」は面白い!!
植物「ヒガンバナ」の教材化の夢はなおあきらめてはいなかった!!
▼「教材化」!!
自然観察をしているときはもちろんのこと、日常生活のなかでもなにか面白いことに出会うと、つい「それは面白い!!すぐれた教材になるんではないか。」と考えてしまうのである。
それは長年の生活のなかで染みついてしまったやむにやまれぬ「クセ」のようなものだった。職業病の一種かも知れない。(^^ゞポリポリ
私は、ここで間欠的に「新・私の教材試論」を展開していた。ここのところずいぶん書き込んでいなかった。前回は今年の2月のようだ。
ところが、先日のファラデーラボで面白い実験の数々を見せてもらって、すっかり焼け木杭に火がついてしまった。「試論」を再燃させてみたいという気持ちになってきた。
とは言っても、もともと気ままな取り組みだ。
すぐやめてしまうかも知れないが、とりあえず久しぶりに再開してみる。
▼根っこのところから再開してみよう。
私は、この試論のなかで、2つの「すぐれた教材の法則」をつくつていた。
それは
●「3K1Aの法則」!!
●「3Hの法則」!!
である。これが今なお有効なのか?
それを吟味するところからはじめてみよう。
▼●「3K1Aの法則」!!
とは何か?
3Kとは
●「感動」のK
●「簡単」のK
●「きれい」のK
1Aとは
●「安全」のA
だった。
・「感動」をいちばん最初に持ってきた。アタリマエすぎるほどアタリマエのことだった。
まずは教師自身の「感動」だ。自らの「感動」なくして、生徒の「感動」を引き出すことなどできるはずがない。
・次は「簡単」ということだ。
シンプルイズベスト!!なのだ。それだけではない、いくつかの意味を付与していた。
複雑にいろんな法則が絡まった教材は面白くない!!その前にわかりにくい!!
原理・原則がむき出しのままのものがいい。
教師の思い入れだけではすぐれた教材にはならない。
・「きれい」は「感動」「簡単」と関係が深かった。
自然の法則は美しい!!きれいだ!!法則を「見える化」したものはきれいだ!!
・最後の1A「安全」もまた当然すぎるほど当然!!
「安全」を配慮しないような教材でほんとうの「感動」を呼ぶことなどてきるはずがない。
自然のルールとは「安全」の科学を内包しているものだ。
なんか最初からくどくなりそうだ。(^^ゞポリポリ
次にいこう!!
(つづく)
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