新・中学校「理科」を構想する。(43)
▼第5大賀ハス「あこがれの4日間」の二日目。
ふつうは二日目は、もっとも大きく開花し、あの独特の芳香も遠くまで届き蜂たち虫も寄ってくる日。
ところが第5大賀ハスにこれまでのような精気がなかった。
一昨日はげしい雷雨が花粉も流し去ってしまったのだろうか。
第5大賀ハスにとってはとんだ災難だったのかも知れない。それでも全開時にはいくらかの蜂たちがやってきた。蜂たちは花粉まみれになりながら「仕事」をしてくれていた。
▼生きものたちにとって想定外の災難はつきものだ。
だから、生物(ナマモノ)の学習は、公式通りにはすすまない。それが難儀なところであり、醍醐味でもあった。
【動物の世界】の学習も然りである。
だからこそ生物学習においてはホンモノが説得力をもつのである。
▼可能な限りホンモノを教室に持ち込みたい。
たとえば「心臓」だ。
「全身に血液を絶え間なく送り続ける心臓は筋肉のかたまりである。」これは実際に心臓をさわってみて実感できるのである。左心室の壁の厚さは一目瞭然なのだ。
「血液」についてもそうだ。
ホンモノの「血液」に酸素を送りこめばみごとな「鮮血」となる。
血液のはたらきは一挙にナルホド(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウンとなる。
解剖学習があまり行われなくなったようだ。
しかし、工夫次第ではいろんな道が考えられそうな気がする。
▼動物の仲間分けの学習も、単なる外観的観点の「仲間分け」でなく、そこに「進化」「生命誌」の視点が必要だろう。
最終的には生徒たちから
「ナルホド、うまいことなっとるナ!!」
を引き出したいのだ。
こんなこと書いているとさも私がすべてをわかっているかのようだが、それはまったく逆である。
私はこれを書きながら、これを動物の「ふしぎ!?」の謎解きのあらたな契機にしようと思っているのである。
ナイロン袋のなかの7匹のコウガイビルは昨日も元気だった。
私に「生命」あるあいだは問い続けたい。
「生命とは?」
(つづく)
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