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新・中学校「理科」を構想する。(31)

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▼この話を人から聞いたら、私はきっと信じないだろう。
「そんな奴はおらんやろ~!?」と。
 ところが目の前で起こっていることだったから事実として認めざるを得なかった。
 昨日(2016/06/17)の朝、雨はあがっていたので大賀ハスの花芽を観察してクモ散策にでかけようとした。
そのときである。視界に貴奴・コガネグモが現れたのだ。
 実は6月に入ってしばらくしてから東の石垣のしたにネットを張っていたのは知っていた。だからいちばん近くのコガネグモとして注目はしていた。しかし、昨日の朝はさらにその石垣の上に移動してきたのだ。
 大賀ハス観察池から1mの位置にだ!!
ここならいつでも気の向いたとき24時間観察できる。いや、観察するというより見えてしまう。(^^)V
狩りの観察もいつでもできる。アップの画像も撮れる。アリガタイ!!
 あのファーブルは、クモの旅立ちの様子を自分の仕事部屋にクモを入れて観察しているが、ひょっとしたら私はファーブル以上に恵まれているのかもしれない。
▼そのファーブルも理科の教師だったとき、「鉄と硫黄の団子(お粥)」の実験をやってことがあると聞いたことがあるが、それを確かめたことはない。
 【化学変化】の授業の話もながくなってしまった。これぐらいにして次に向かいたい。
でもどうしてもあとふたつのことだけにはふれておきたい。
 これからの私の「化学」のために。
▼ひとつは今や教科書にも定番化しつつある「カルメラ焼き」についてである。

◆カルメラ焼き

 私は、あえてこの実験を面白実験で済ませてしまうことに反対である。
絶対に受けること間違いないのないこの「実験」を使ってこそ言いたいのだ。
「化学」は暮らしのなかにある!!
と。
 私自身もこらからも暮らしのなかに「化学」をみつけ続けたい。
▼もうひとつは、現場にいるときにはついに実現しなかった「実験」についてだ。

◆「鉄づくり」の実験(たたら製鉄)

話としてしてきた。でもやっぱり実際に自分でやってみたかった。
物質探検の鍵となる物質、それはやはり金属だった。
しかし、金属は山に行った落ちているというモノでなかった。それを有用なかたちするための「技術」があり「科学」があった。こんなとき思い出すのは故高橋金三郎先生のコトバだった。

 科学者の方法は,前にも書いたように,多くの時間,労力,費用,技能を必要とするものだ。同時にそれは人間の歴史の長い積みかさねの産物だ。  科学は技術から生まれた「なんとかしてもっとよく,もっとたくさん,もっとらくに」の願望の歴史の中から技術が生まれ,科学へ発展したのだ。  科学者の直接の祖先は,農民であり職人なのだ。技術の方法と科学の方法に本質的な区別はない。農民や職人の生産の方法には,科学の方法が含まれている。そうでなかったら,一般市民のための理科教育に,科学の方法なんて無用になるだろう。子どもがすべて科学者になるわけではないのだ。(『科学の方法~ 科学的に行動する子どもをそだてるために~』(高橋金三郎編著 新生出版 1987.6.5)p14より)

 私は夢見てきたこの「実験」を、自分の手でやることをあきらめてはいない。

(つづく)
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