新・中学校「理科」を構想する。(7)
▼
春
遠い峠田のてっぺん
あれはおかんかいな
鳥かいな
やっぱりこの時期、この詩碑の前に立たなければ落ち着かなかった。
昨日、雨が本格的に降り出
すまでに私のなかで恒例化しつつある
たったひとりの坂本遼『たんぽぽ忌』
にでかけた。
▼つづけよう。
私の「ふしぎ!?」から私の「科学」へ の全プロセスの展開構想!!
「原子論的物質観」それはお題目のように何度唱えても意味はない。
使ってみてこそナンボのモノ!!
では、いつどこから使うのか?
「原子」というコトバはいつ出すのか?
議論の分かれるところである。
私はやや無責任なひとつの結論を持っていた。
それは授業者の判断にまかされるべきだ!!そこで授業者の物質観がためされるのだ。
もっとオーバーに言えば「科学観」が試されるのだ。
できるだけ自然なながれのなかで、「原子」を登場させたいものだ。
私自身は はじめに「原子」ありき!!でいきたいと思っている。
だってその方が面白そうではないか。
それに「原子」が「使いモン(モノ)」になりそうだから…。
▼もうひとつ長い間課題としてきたことがあった。
それは
周期表をいつ出すのか?
である。これについても持論があった。
世界(もちろん国内も)を旅するとき「地図」は必携である。
同様に物質探検の旅に出るときも、物質の世界の「地図」=周期表は必携である。
これはきわめてアタリマエ!!
最初から「地図」を暗記するやつはいない、「地図」はあくまで使うのだ!!
「地図」で陸と海の境を意識するぐらいに、アルミの階段(金属と非金属の境)ぐらいは最初から触れておいてもいいかもしれない。その方が絶対面白い!!
を薦めてみるのもいいかもしれない。
▼ともかくいつでも、どこでも「原子」を使ってみることだ。
憶えるのではない。使ってみるのだ!!
21世紀の今、「ルクレチウス」の末裔を志すならば…。
朝方には三つの集団に分かれていたジョロウグモの子グモたちの「団居」、夕方にひとつの集団にもどっていた。しかし、最初見たときにくらべるとずいぶん膨らんでいた!!
無数に張られて糸が目立つ。
「団居」とは何をしているのだろう!?
私の「ふしぎ!?」も膨らむ一方だ。子グモたちが教えてくれていた。
最大の「ふしぎ!?」は、最も身近にある!!
と。
(つづく)
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