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「予想」と科学教育(6)

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▼「春の嵐」は満開の桜を散らして去っていった。
 雨はけっきょく夜まで続くことになった。こんなときの「雲見」でちょっと迷っていることがあった。
 それはこんなときの「もくもくシール」はなににするかだ。「乱層雲」か?「積乱雲」か?に迷っているのだった。
夏の夕立のときのような単一の「積乱雲」であれば顕著であるが、それ以外の場合は雨の降り方で想像するしかなかった。はげしい雨風、ときには雷を伴うとなるとこれは「積乱雲」だろうと。
 しかし、「雲見」観測時間にちょうどそうなることはまれであった。だから、「もくもくシール」の「積乱雲」だけはどんどんあまっていく…(^^ゞポリポリ
 いずれにしても「大気の物理実験室」のなかで、次なる展開を「予想」しながら「実験」を観察することはなかなか面白い作業だ。
 それを繰り返しているうちにやがて思えてくるのだった。
「予想」する=「科学」する!!
ではと。
▼ちよっと「歴史」をはしょりすぎた。また元にもどって続けよう。

§5. 着目史その4 - 理科ノート方式
◆細谷純・永野重史・新田倫義「理科ノート方式による授業の創造と研究」(『学習心理』第4巻第4号、小学館 1963年7月)

 庄司和晃氏自身は、この「理科ノート方式」をどう評価していたのだろう。

 しかしながら、”予想・仮説”をかなり組織的に、意識的に具体化した「理科ノート」は、自然科学教育という面からみても、新生面を開いたものといえる。「授業研究」法などというコロモをはぎとってみれば、理科ノートはスバラシイ自然科学教育の本道を明示したといえるかと思う。たとえ心理的いじくりまわしの気配があるとはいえ、たいした教育的発想である。キリスト教を例にとって、「仮説実験授業」を新約とすれば、「理科ノート方式」は旧約にも相当するといってもさしつかえなさそうである。  事実、仮説実験授業は「理科ノート方式」に一面のヒントをえたものである。

 と高く評価している。
▼それでは、もう少し具体的に「理科ノート方式」とはどんなものだったのだろうか。
 そのなかで「予想」はどんな位置にあったのだろう。庄司氏の文章から引用させてもらう。

「教案の配列……基本的には、……われわれが目標として設定した一般的原理の把握をめざした、《仮説ー演繹的経過》の反復であると言えよう。」
[各経過のステップ]
(1) 特定の実験事態を与えて、その結果を予想させる。
(2) 全員の予想を発表させて、対決させ、討論を行なわせる。
(3) 子どもたちのあげる属性について、統制を行ない《思考実験》を行なわせ、予想をたてなおさせる。
(4) 予想をたしかめたり、他の予想を消すための実験のやり方を考えさせる。または説明し、納得させる。
(5) 実験を行なってみせる。または行なわせる。結果を記録する。
(6) 結果をみながら、初めの予想をも含めて、討論する。
(7) 結果を、一般的な命題の形にして表現させる。そして、その命題を、まわりの種々の実態に適応してみる。
次の実験事態へと進んでいく。

このプロセスについても、庄司氏は次のように高く評価していた。

科学の方法と集団学習を決着させているあたりはすばらしいものだ。認識はいかにして成立するものか、に心をくだかないでは、このような教案作りの発想は生まれないはずだ。

▼その後も、さらに具体的例をあげ、また他の論文を引用し、「理科ノート方式」を絶賛していた。
そして、最後につぎのようにしめくくっていた。
 仮説実験授業の誕生以前に「理科ノート方式」という組織だてによって、予想(仮説)をうんぬんするような子どもたちのいたことは、特記に値することがらである。
 ともかく「理科ノート方式」というものは予想(仮説)の着目史からいっても、1つの世界をもった特色のある研究である。

(つづく)


  

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