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本日(2016/04/14)、第126回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼牡丹の花の蕾に蕊が顔を出しかけてきた。
となりでは少し遅れた蕾が後をおいかけていた。それを観察していたらポツリポツリと雨が降り出してきた。
慌てて前の竹藪に行ってタラの芽の「成長」を観察した。
芽はむっくり立ち上がりかけていた。
牡丹の花もタラの芽も刻々と着実に時間を刻んでいた。
寅彦ならこれだけの観察から何を語っただろう?
▼本日(2016/04/14)は、第126回オンライン「寅の日」である。
4月のテーマは寅彦の「観察眼」である。
その第二弾、本日は「沓掛より」を読む。昭和八年十月の作品である。

◆本日(2016/04/14)、第126回オンライン「寅の日」!!

●「沓掛より」(青空文庫より)
▼今回の作品は、2部構成になっていた。
一 草をのぞく
二 盆踊りとあひる
である。今回は一を中心に読み解きたい。
毎回のことではあるが、寅彦の「観察眼」には驚くばかりだ。
それだけではない。
 たったひとつの植物の観察からはじめて次々と発展し、巧みな文章力でまったく「新しい世界」の存在を教えてくれるのである。「一 草をのぞく」を次のようにしめくくっていた。

 

この数日間の植物界見物は実におもしろかった。もっともこんなことは、植物学者、あるいは学者とまでは行かずとも、多少植物通の人にとっては、あまりにも平凡な周知の事実であるかもしれないが、始めて知ったまるの素人(しろうと)には実に無限の驚異と、従って起こる無数の疑問を提供するものである。

さらには、このようにも言っていた。

こうして秋草の世界をちょっとのぞくだけでも、このわれわれの身辺の世界は、退屈するにはあまりに多くの驚異すべく歓喜すべき生命の現象を蔵しているようである

これぞ寅彦流「植物観察誘い」だった!!
▼さらに面白い思うのは、次なる一文も加えていることだった。

今でも浅間の火口へ身を投げる人は絶えないそうである。そういう人たちが、もし途上の一輪の草花を採って子細にその花冠の中に隠された生命の驚異を玩味(がんみ)するだけの心の余裕があったら、おそらく彼らはその場から踵(くびす)を返して再び人の世に帰って来るのではないかという気もするのである。

一だけを中心にと思っていたが、二の方にも面白い寅彦らしい文章もみつけたので、これまた少し長い引用になるが、引用させてもらう。

驟雨(しゅうう)が襲って来るとあひるは肩をそびやかしたような格好をしてその胸にくちばしをうずめたまま、いつまでもじっとしている。雨の落下の流れに対してあひるに可能な最小な断面を向けるような格好をしている。科学も何も知らないあひるは、本能に教えられて最も合理的な行動をすると見える。人間はどうかすると未熟な科学の付け焼き刃の価値を過信して、時々鳥獣に笑われそうな間違いをして得意になったり、生兵法の大けがをしてもまだ悟らない。科学はまだまだ、というよりはむしろ永久に自然から教えを受けなければならないはずである。科学の目的といえばもともと自然から学ぶということよりほかには何物もないはずであるのに、いつのまにかこの事を忘れ思い上がった末には、あべこべに人間が自然を教えでもするもののような錯覚を起こす。これもおもしろい現象である。こういう思い違いをすることも、しかし何かやはり人間に必要なことであるかもしれない。こういう自負心のおかげで科学が進歩し社会も進展するのかもしれない。

「観察」「自然」「科学」「人間」…。寅彦から学ぶことは尽きない!!

今朝雨はあがっている。
さて牡丹の花、タラの芽どうなっただろう。
「観察」にでかけてみよう。
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