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「予想」と科学教育(2)

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▼一昨日、孫たちと一緒にでかけたフィールドワークで手に入れたイモリくんたち3匹をしばらく水槽で飼ってみることにした。朝から近くの川で採集した水草(クロモ)を水槽に入れた。
 それだけでずいぶんそれらしい環境ができたように見えた。
 イモリを飼うのはずいぶん久しぶりだった。飼育は案外簡単であるという印象を持っていた。
それにイモリは『動物の世界』の学習では、お気に入りの定番教材でもあった。
 夕方にホームセンターのペットコーナーに行ってエサ(イトミミズを乾燥させたもの)を買ってきた。
さて、いつまでつき合うことできるかな?
「予想」では…?
「歴史」はツナガッテイル!!

●1965年(昭和40) 「理科教育における「予想・仮説」着目史」(庄司和晃著『仮説実験授業』p82より 国土社刊) 

を続ける。
 これがきっと最後の機会になるだろうから、少していねいに詳細を読み解いてみることにする。
まず年代だ。
 庄司和晃氏がこの文章を書いたのは、1965年!!
戦後20年という節目の年である。昨年で書かれてから50年・半世紀である!!
読みはじめるとすぐに気づく。
「歴史」はツナガッテイル!!如何なる「歴史」も地続きでアル!!
このアタリマエ!!に。
▼最初に語られているのは
「§1. 仮説実験授業を発想したひと」
である。
 板倉聖宣氏がいかにして「仮説実験授業」を発想するに至ったかのプロセスがくわしく書かれていた。
その必然がわかりやすく書かれていた。
 庄司氏自身もその渦中の人だったから、その渦中から視た熱き「仮説実験授業」論だった。
でもそれだけではない!!
 私がいちばん注目したいのは、これは庄司和晃自身の「理科授業論」になっているところだ。
庄司氏は渦中にあっても客観的な視点を忘れてはいなかった。
 ある日の突然、唐突な「発想」が生まれるわけはない。
どんな「発想」にもかならずそこに「歴史」の必然がある。それを認識した上で

「予想」というものについて意識的にまともにとりくんだ”論”、思想論ともいうべきものはほかにないのではないだろうか。

と礼賛しているのである。
かくして「予想をもって自然に問いかける」は理科教育におけるスタンダードな姿勢となるのである。
▼ここから庄司氏は「歴史」を追うことをはじめる。
「§2. 着目史その1 - 新学習過程」
「予想」に着目した理科教育史の筆頭にあげたのは、
◆神戸井三郎『理科学習原論』(昭和11年(1936年)刊、初版は大正15年(1926年)、東洋図書)
であった。
 

中味は、”仮定・予想”論でみなぎっている。

とまで評している。
 そしてさらに注目し驚いたのは「新学習過程」として提唱されているなかに、ひとつの段階として「仮定=結果の予想」がはっきりと位置づけられていることだった。
 以下連綿とこの先行する取り組みについて詳細にのべている。
やがて生まれてくる不思議があった。
 この先駆的取り組みは引き継がれなかったのだろうか?

 水槽に水草を入れてイモリの環境が整った昼頃、空を見上げたら「日暈」ができていた!!

(つづく)
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