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「予想」と科学教育(3)

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▼これはまったくの偶然であった!!
いや偶然にしてもできすぎた話だった。しかし、事実であるから記録しておくことにする。
 一昨日の真夜中のことである。イモリたちの飼育ケースをいつでも観察できるようにと玄関先に置いた。
か目前の壁にはり付いて貴奴がいた。ヤモリだ!!
 最初、自分でも寝ぼけているかと自分を疑った。だってイモリの次がすぐさまヤモリだなんて捜してもなかなかそう都合よく行く話ではない。でも事実、目の前にいた、起きてからゆっくり観察してみようといつものケースに入れた。
 昨日朝のうちにじっくりと観察させてもらった。
問題の足の裏もあれこれ「予想」をしてから観察させてもらった。
やっぱり驚きだった!!
▼「予想」と科学教育を続けよう。
 庄司氏が、「予想・仮説の着目史」として2つめにとりあげたのはつぎのようなものだった。

「理科教育における「予想・仮説」着目史」
§3. 着目史その2 - 理科実践論
◆高橋金三郎・菅野聡共著『理科実践論』(1959年刊、同学社)

 庄司氏は、この本を次のように紹介していた。

これは、現今の理科教育への切りこみ作戦論といっていいものである。この「実践論」は単なる”実行論”ではない。1つのはっきりした立場からのメス入れである。
 「予想・仮説」については、数ヵ所にわたってうんぬんされてある。

▼高橋金三郎氏の著作はだいたい手元にあるが、この著はなかった。
庄司和晃氏が、上記の紹介につづいて同書から引用した文章は興味深く示唆的である。
また引きというかたちになるが、いくつかを引用させてもらう。

 自然科学とは、自然の運行に関する知識、すなわち、「それによって未来の現象ように組織された知識」であると、わたくしは考える。未来の判断こそ自然科学の生命ではなかろうかと思う。(p.24)
計画的な改変は、未来の現象についての予測なしにはできないのである。(p.25)
「ありのままの観察」というのは科学的な観察ではない。(p.211)
目的をはっきりさせないでありのままの観察を指導するのはまったくの誤りである。(p.211)
 わたくしは、予想をもたない観察はあり得ないと考える。ところで予想というのは、先入主であり何かの推理である。したがって、推理のない観察はあり得ない。推理をオミットして、観察の精密さを要求するのは、危険な指導である。(pp.211~212)
 科学的観察というのは、予想を意識の外に追いやるので なく、「自分が何を見ようとしているのか」はっきり確認することがもっとも肝腎で、つぎに、「その予想が本当であるかどうか」検証する態度で観察するのでなければならない。「予想を立てる」ことの重要性はここにある。(p.212)

まだまだあるがこれぐらいしておく。
「観察論」「実験論」にひきつづきあがっている具体的実践についても庄司氏はふれていた。

▼つづけて庄司氏が「着目史」であげた例は次のようなものであった。

「理科教育における「予想・仮説」着目史」
§4. 着目史その3 - 予想実験をさせる授業
◆井上弌善氏「ふりこの等時性の授業」(『科学教育ニュース』No.103 1960年7月)

ここでは、授業過程に注目していた。特に「予想の人数」を数えるというところに注目していた。
また、「予想分布表」もすでに実践されていた。

3月は終わる!!
 しかし、私の「予想」と科学教育についての書き込みはまだ終わりそうにない。
ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

(つづく)
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