本日(2016/03/09)、第123回オンライン「寅の日」!!#traday
▼仕切り直しの椿がいよいよ本格的に落ち始めた。
落ちた椿の花で、「うつ伏せ」はいまのところこのひとつだけだった。圧倒的に「仰向き」の方が多かった。
これは寅彦の観察とも一致する。
それがきっと椿の花の落下における「自然の方則」なんだろう。
▼本日(2016/03/09)、第123回オンライン「寅の日」である。
2・3月は連続して5回、その寅彦の警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」をテーマにやっていた。
今回はその4回目である。読むのは「津浪と人間」である。
いよいよ3.11から5年が近づいて来た。今、この「津浪と人間」を読むことはとても意義深いことだと思っている。
◆本日(2016/03/09)、第123回オンライン「寅の日」!!
▼「これっていつ書かれたものなんだろう!?」
何度読んでも、いつでもそう思う。
それほどいつも「今日的!!」なのである。
書かれたのは、1933年(昭和8)だから今からなんと83年も前なのである。
寅彦が亡くなる2年前である。
1923年(大正12)に自ら関東大震災に遭遇してから10年。それ以降強く警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」を打ち続けてきていたのだろう。
だからこそであろう。頭ごなしの持論を語ってはいなかった。
それぞれの立場の人の意見を代弁していた。だから、誰に対しても説得力があった!!
でもきっちりと言いたいことは言っていた。
現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。
これは、83年経った今も、間違いのない事実なのである。
そして、この文章のなかで、私がもっと大きく膝をたたくのは次だ。
しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方則とは畢竟(ひっきょう)「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。
ではどうすればよいか?ひとつだけ方法があると…。
残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう。
▼科学者・寺田寅彦は諦めはしていなかった。
「科学」に希望を見出そうとしていた。
人間の科学は人間に未来の知識を授ける。
そしてこうも言っていた。
それで日本国民のこれら災害に関する科学知識の水準をずっと高めることが出来れば、その時にはじめて天災の予防が可能になるであろうと思われる。この水準を高めるには何よりも先ず、普通教育で、もっと立入った地震津浪の知識を授ける必要がある。
それで日本のような、世界的に有名な地震国の小学校では少なくも毎年一回ずつ一時間や二時間くらい地震津浪に関する特別講演があっても決して不思議はないであろうと思われる。地震津浪の災害を予防するのはやはり学校で教える「愛国」の精神の具体的な発現方法の中でも最も手近で最も有効なものの一つであろうと思われるのである。
なんと示唆的な!!
83年たった今はどうだろう?
誰でも、いますぐできることがある!!
まず、この「津浪と人間」を読んでみることだ!!
さあ、私ももう一回…
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