【お薦め本】『植物は<知性>をもっている』(S・マンクーゾ、A・ヴィオラ著 NHK出版)(2)
▼ヒガンバナと同様に年がら年中観察している植物に大賀ハスがある。
「大賀ハス観察池」を設けて毎日観察している。
今の観察池には、回収しなかった果托をひとつだけ残している。
それを見ていると思い出すのは、昨年の「あこがれの4日間」だ。
大賀ハスの一つの花は「4日間」だけ開閉を繰り返し散っていく。どうして「4日間」だけなのか?「4日間」はどうして判断しているのだろう?
開花一日目は朝、5時10分過ぎに開花が始まる。まるで「目覚まし時計」でもセットされているように。「ふしぎ!?」だ!!
開花していく様子も「ふしぎ!?」だった。開いていく花弁には、きっちりと順番がきめられているようだ。どんな「からくり」になっているのだろう?
四日目に散っていくときも、それはみごとなものだった。花弁だけでなく雄しべも同時に散っていった。それまでは強い風にも耐えていたというのに。
一日目、二日目に開花すると同時に蜂をはじめとする昆虫たちは遠くからいっきょに集合してくる。どんなサインを出しているのだろう?
等々。
あげ出したらきりのないほど大賀ハスにも「ふしぎ!?」があった。
▼この本には、これらの大賀ハスの「ふしぎ!?」を解くヒントがあると思った。
それがお薦めポイントの2つ目だ。
(2) これまでの植物の「ふしぎ!?」を解くヒントがここにある!!
この本の副タイトルは「20の感覚で思考する生命システム」だ。
植物の「かしこさ」は充分に認めるとしても、「
20」はオオバーなんでは?
と最初は半信半疑だった。
ところが著者はこう言い切っていた。
これまで見てきたように、植物は、人間と非常によく似た五感、つまり視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚をそなえている。つまり、感覚の鋭さについては、私たち人間に劣ることなく非常によく似ているといえる。ところが、じつはそうではない。植物は人間よりずっと敏感なのだ。人間のもっていない「感覚」を、少なくとも十五はもっているのだから!(同書P108より)
そして、植物が何故その「感覚」をもつことになったかを具体例をあげながら説くのである。
「そう言えばそうだな!!」と納得することばかりであった。
ひょっとしたら「20の感覚」を射程に入れるなら、これまでに抱いてきた植物の「ふしぎ!?」の謎解きができるかも知れないと思わせてくれるのだった。
▼そもそも<知性>とはなにか?
それをどう定義づけるか。それが問題だと思った。
それもきっちりと書いていた。
そこで、まず行うべきは私たちの問題にふさわしい定義を選択することだ。植物の知性を考えるために、かなり広い定義を使うことにしよう。それは、「知性は問題を解決する能力である」という定義だ。もちろん、植物に使用できるのは、これだけではないだろう。ほかのものでもうまくいくかもしれない。だがまあ、とりあえずはこの定義を使おう。(同書P165より)
ナルホド(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
また再びヒガンバナにもどろう。ヒガンバナにも数々の「ふしぎ!?」が残っていた。
とりわけ不思議に思っているのは、「自然結実」の「ふしぎ!?」だ。
一昨年採集した「自然結実」種子から育てた実生ヒガンバナ3つは、今も出葉したままである。
これは目の前にしている事実だ。
ヒガンバナに何が起きているのか?
「自然結実」ヒガンバナの群落で採集した鱗茎は「二重(二段)鱗茎」になっていた?
見えない地下で何が起こっているのか?
ヒガンバナの<知性>はいかなる問題を解決しようとしているのだろうか。
▼最後のお薦めボイントは
(3) これからの植物とのつきあい方を教えてくれている!!
である。実はこれがお薦めの最大の理由だった。
はじめて知って驚くことも多々あったが、特に共感したのは次のようなことだった。
「モジュール構造」
「分散型」
「根端は情報処理センター」
「植物は生きたインターネット」
「群れとしての生命体」
等々
そして、これからの植物とのつきあい方も提案してくれていた。
このように植物は、動物と同じことができる。それなのに「植物はあらゆる点で知的な生物である」と、どうして認めないのだろう?植物の活動を本当に観察したことがある人にとっては、あたりまえのことなのに。明らかな事実を否定するのでなく、植物が問題を解決している方法は、私たち人間にとって貴重な情報源だときちんと認めて、それを参考にする方が得策ではないだろうか?(同書P170より)
大賛成である!!
これからも永く永くつき合っていく植物!!
正当に評価し、つき合っていく方が実りあるものになるのでは。
それに、その方がずっと楽しいではないか。
さあ、目の前の植物たちは今日は何を教えてくれるだろうo(^o^)o ワクワク
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