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「俳句」という自然観察の方法について(3)

Dscn9951
▼「六日」「小寒」の「雲見」!!
 ついに「寒」に入った。しかし、それはあくまで暦のうえでのこと、少しは寒くなってきたというもののその実感はなかなか湧いてこなかった。
 「雲見」をして、10種雲形の「もくもくシール」からどれかひとつを選び、「雲見」カレンダーに貼り付けるだけ。
きわめて単純な作業である。
 昨年一年間、毎日繰り返した作業だ。今年もこれを続けていた。
 昨日もよく迷った。定刻の9時には、まったく青空がなかった。
「高層雲」だろうか、「巻層雲」だろうか?
「地面に太陽の影はできているだろうか?」「真っ白or灰色?」
まちがったからと言ってどうってことはない。
でも、この迷うことがすごく大切だと思っていた。
「高さは?」「水滴か氷晶?」等々の付加情報をいっぱい考えることになるから…。
一時間もしたら、その迷いはウソのような空になった。
単純に思えた「雲見」もなかなか一筋縄ではいかない。
だからこそ面白い!!
▼第3の「俳句歳時記」にも同じようなことが言えるのではないだろうか。
ある作業を意図して観察するとこれまでとまったくちがったものが見えてくるのではないだろうか。
 ここで、再び師匠・寺田寅彦(勝手に師匠にしてしまっている(^^ゞポリポリ)のコトバを借りよう。

 

俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の練磨(れんま)を要求する。俳句をはじめるまではさっぱり気づかずにいた自然界の美しさがいったん俳句に入門するとまるで暗やみから一度に飛び出してでも来たかのように眼前に展開される。今までどうしてこれに気がつかなかったか不思議に思われるのである。これが修業の第一課である。(『俳句の精神』より)

さすが師匠!!
うまく言うな。これぞ、寅彦流「俳句入門のすすめ」だ。
▼師匠のコトバは、甘いだけではなかった。きびしくもあった。
続けてこう言っていた。

しかし自然の美しさを観察し自覚しただけでは句はできない。次にはその眼前の景物の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要である。これはもはや外側に向けた目だけではできない仕事である。自己と外界との有機的関係を内省することによって始めて可能になる。  句の表現法は、言葉やてにはの問題ばかりでなくてやはり自然対自己の関係のいかなる面を抽出するかという選択法に係わるものである。  このような選択過程はもちろん作者が必ずしも意識して遂行するわけではないが、しかしそういう選択の能力は俳句の修業によって次第に熟達することのできる一種不思議な批判と認識の能力である。こういう能力の獲得が一人の人間の精神的所得として、そう安直な無価値なものであろうとは思われないのである。(『俳句の精神』より)

「焦点となり象徴となるべきものを選択」するとはどんな作業?
入門希望の超初心者の私は、「季語」の選択と読んだが?

師匠は、究極のツボにも言及されていた。

これは普通字句の簡潔とか用語の選択の妥当性によるものと解釈されるようであるが、しかしそれよりも根本的なことは、書く事の内容の取捨選択について積まれた修業の効果によるのではないかと思われる。俳句を作る場合のおもなる仕事は不用なものをきり捨て切り詰めることだからである。。(『俳句の精神』より)

これは道が遠そうだ!!
まあ、ゆっくりボチボチといこう。
▼夕方になって、再び雲がおおくなって、一昨日のように「時雨」て来そうな気がした。
待てよ!!
寒に入っても「時雨」って言うのかな。
再び『俳句歳時記』で【時雨】を見た。

【時雨】時雨る 朝時雨 夕時雨 小夜時雨 片時雨

「時雨」にもいろんなバリエーションがあるものだ。
それが面白い!!
もっともびったりとくるものを「選択」していくのだ。それが修行!!

今日は「七日」、七草粥を食べる「七日正月」だ。
歳時記を開けているついでにながめているあいだに「人日」という季語をみつけた。
そうか、今日「七日」は「人日」とも言うのだ。発見!!
「人日」の「雲見」は!?

(つづく)
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