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【お薦め本】『科学者が人間であること』(中村桂子著 岩波新書)

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▼頬に刺すような冷たい風を受けながらも、陽が当たるとあたたかい、そんな「雲見」も私は好きだ。
生野峠の方は、白くなっていた。
 空はツナガッテイルから、遠く離れた人の「雲見」を想像するのも楽しい!!
「雲見」の発明者は宮澤賢治だ。

眺(なが)めても眺めても厭(あ)きないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖(に)ていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処(ところ)を、蛙どもは雲見をやります。
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」
「実に僕(ぼく)たちの理想だね。」
(宮澤賢治『蛙のゴム靴』(青空文庫)より)

 発明者・賢治の「雲見」を想像していると、あの「デクノボーの科学」を思いだしてしまった。
▼私のレセプターが反応していた。
ガルバニーメーターの針が左右に大きく振れるように。
それはどこのレプターか?
なぜそのように反応しているかもまったく不明であった。
 今回の【お薦め本】はちょっとちがっていた。他人に薦めると言うより、正体不明のこの「反応」を自分に納得がいくように説明することが目的だった。
 この「反応」を引き起こした本はこれだった。

◆『科学者が人間であること』(中村桂子著 岩波新書 2013.8.21)

▼この本は、実は少し前に「生命誌研究館」に行ったときに手に入れていた。帰りの電車のなかで、すぐ読みはじめたもののその後、しばらく寝かせていた。
 長くなりそうだから、いつものように先にお薦めポイント(お薦め本の紹介でないと言いながら、矛盾!?)3つをあげでおく。

(1)「サイエンスコミュニケーター」必読の書!!

(2) 「重ね描き」というあらたな方法の提案がある!!

(3)これからの科学教育を示唆するものがある。!!


 さあ、これで正体不明の「反応」の謎解きに入ろう。

(1)「サイエンスコミュニケーター」必読の書!!

 まず目次(抜粋)をあげてみる。
「はじめに―科学者が人間であること
I 章 「生きものである」ことを忘れた人間
II章 「専門家」を問う―社会とどう関わるか
III章 「機械論」から「生命論」へ―「重ね描き」の提案
IV章 「重ね描き」の実践にむけて―日本人の自然観から
 1 日本人の自然観
 2 「重ね描き」の先達、宮沢賢治
 3 「南方曼陀羅」と複雑系の科学
 4 重ね描きの普遍性
V章 新しい知への道―人間である科学者がつくる
 おわりに 」
どこで針は大きく振れているのだろう?
 読んだのが、サイエンスコミュニケーターとしての「現在地」を5つの座標軸で確認している時期と重なったのが大いに関係している気がしていた。
Ⅰ章では納得はするが、針は大きく振れ始めてはいなかった。
Ⅱ章に入ってから変化は起きた。
 「サイエンスコミュニケーター」に触れた部分があった。

 もはや専門家が非専門家と語り合うのは不可能となったとされ、それを解決しようとして、現在多くの人が、この間をつなぐコミュニケーターが必要だと指摘し始めました。専門家は専門家として自らの分野に閉じこもっているという姿はそのままに、専門の内容を社会に向けて翻訳するプロを作ればよい、というわけです。
 このやり方に私は疑問を持っています。「専門家」というもののあり方、それに対する社会の受けとめ方はそのままに、コミュニケーターという別の専門家を設けたところで、またその専門家のことを理解させるためのコミュニケーターが必要になりかねません。基本的に間違っていると思います。(p56より)

なんと「サイエンスコミュニケーター」は無効だと言っているのです。
「文脈」がちがうので、一方的に判断することはできないですが。
 基本的は賛成であった。しかし、「サイエンスコミュニケーター」を名のるひとりとしては反駁したかった。
私がめざす「サイエンスコミュニケーター」はそれではない。
「真性サイエンスコミュニケーター」とは…。と自己弁明をしたかった。
しかし、私にはまだ「事実」がなかった。
ここで大きく針は振れだしたことは確かなようだ。
▼ここからはじまった振れは振幅をますばかりだった。

(2) 「重ね描き」というあらたな方法の提案がある!!
 著者はたいへん興味深い、「重ね描き」という方法を繰り返し、繰り返し提案していた。
このコトバに出会うのははじめてであった。
 しかし、読み進めていくと、どこか私には馴染みある営みに思えてきた。
この手法をうまく具体的に説明してくれる部分があった。
少し長くなるが、引用させてもらう。

 顕微鏡を使わなければチョウの足の毛は見えず、X線使わなければ人体の中は見えないように、略画的に描かれた世界では細部は見えませんし、不透明なところは見えませんので一見何もわからないままです。
 そこで、種子をまけば芽が出て最後には美しい花が咲くという植物の成長を見ると、あの黒い粒のような種子の中に何があったのだろう、緑の葉の中の一部が変化して赤い花になるのはどうしてだろうと、次々と問いが生まれてきます。科学はこの日常の問いを解こうとして始まるのです。研究者の視線は当然細胞へ、さらに細胞の中のDNAやタンパク質などの分子へと入り込みます。緑の葉が育つ過程で、ある時茎のてっぺんにある葉がめしべになります。個体として次の世代へつながる時期になるとこの変化が起きます。その後、おしべ、花びら、がくへの変化が起き、花ができます。ここに三つの遺伝子ABCが関わり、Aだけはたらくとがく、A・Bがはたらくと花びら、B・Cではおしべ、Cだけだとめしべになります。このABCモデルを生命誌研究館の展示パズル仕立てにした時は子ども大人も楽しんでくれました。皆の中で略画と密画が重なったのでしょう。
 重要なことは、「科学的」だからといって、密画のほうが略画より「上」なわけでも、密画さえ描ければ自然の真の姿が描けるわけでもないということです。密画を描こうとする時に、略画的世界観を忘れないということが大事なのです。(P108より)

そこで「略画」と「密画」を重ねて描く「重ね描き」というわけです。
大賛成です!!拙い歩みではあるが、私もそれをめざしてきたはずです。
上記の文章を引用させてもらっているとき、「えっ、これって最近読んだ文にあったのでは…」と思いはじめました。そうだ!!先日のオンライン「寅の日」で読んだ寅彦の『科学と文学』のあの一節にそっくりだ!!

顕微鏡で花の構造を子細に点検すれば、花の美しさが消滅するという考えは途方もない偏見である。花の美しさはかえってそのために深められるばかりである。花の植物生理的機能を学んで後に始めて充分に咲く花の喜びと散る花の哀れを感ずることもできるであろう。(寺田寅彦『科学と文学』より)

 ここにも針の振れの原因があるのだろう。

 針の振れの振幅がピークに達したのは、Ⅳ章だった。

IV章 「重ね描き」の実践にむけて―日本人の自然観から
 1 日本人の自然観
 2 「重ね描き」の先達、宮沢賢治
 3 「南方曼陀羅」と複雑系の科学
 4 重ね描きの普遍性

 私は、これまでに「常民の科学」からはじての「○○の科学」の遍歴を繰り返していた。
そのなかに、「デクノボーの科学」「南方マンダラ(萃点)の科学」「等身大の科学」等があった。
なんと著者が「重ね描き」の実践例としてあげたものは、そっくりそのまま出てくるではないか。
 書き出しから、膝を打つ。和辻哲郎の『風土』に触れるところからはじまるのである。
『風土』と言えば、寅彦か最晩年に書いた『日本人の自然観』の最後に、この影響を受けたと語っているものだ。
そして、宮澤賢治、南方熊楠へとつながっていくのであった。
振れはもはや「共振」にかわり「共鳴」に至っていた。

(3)これからの科学教育を示唆するものがある。!!
 これが、ほんとうは肝心のところでありながら、もはや蛇足的なる。
「共振」「共鳴」の当然の帰結として、これからの科学教育にヒントになることがいっぱい提言されている。
これまでの「理科」についての把握の仕方については全面的に賛成ではない。
それはアタリマエで、著者とちがった位置から「理科」を見てきたわけだから
 しかし、

理科教育、科学教育に「重ね描き」を!!

という主文脈・主提言は大大賛成である。
私のレセプターの針の振れの原因はある程度解明できた。
これ以上の検証は、ふたたび「生命誌研究館」を訪ねてみながら続けたい。
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