「俳句」という自然観察の方法について(1)
▼久しぶりにじっくりと定点観測地からの「雲見」をした。
「四日」の「雲見」である。とても正月とは思えぬ陽気であった。
今、アメダスで確認したところ15.2℃まであがっていたようである。
午前中は恒例の「とんど」準備をした。「とんど」本番は14日夕方である。
▼昨日、気象庁から
◆2015年(平成27年)の日本の天候
の発表があった。
2015年を「記録」した貴重なデータである。
「平年値」とは、「1981~2010 年」の30年間のデータに基づいたものである。
最新データの「日本の天候」とはこれである。
では、100年、200年、300年前の「日本の天候」とはどうだったのだろう。
少しばかりの変化があるかもしれないが、ベースとなる四季に応じた「日本の天候」があるのではないだろうか。
それを少しずつでも理解していきたいものだ。
▼「雲見」「天気コトワザ」につぐ第3の有効な手段を捜していた。
とても唐突な話ではあるが、私はそれを「俳句」に見出そうとしていた。
80年前、寺田寅彦は『日本人の自然観』で次のように言っていた。
短歌俳諧(はいかい)に現われる自然の風物とそれに付随する日本人の感覚との最も手近な目録索引としては俳諧歳時記(はいかいさいじき)がある。俳句の季題と称するものは俳諧の父なる連歌を通して歴史的にその来歴を追究して行くと枕草子や源氏物語から万葉の昔にまでもさかのぼることができるものが多数にあるようである。私のいわゆる全機的世界の諸断面の具象性を決定するに必要な座標としての時の指定と同時にまた空間の標示として役立つものがこのいわゆる季題であると思われる。
ここに大いなるヒントがあるように思えてならないのである。
「最も手近な目録索引としては俳諧歳時記(はいかいさいじき)がある」
に注目したいのだ。
自然を切り取って、5・7・5で詠む。そのときの「季題」!!
それは「雲見」における「10種雲形」のような役割をするのではないか。
それが、私の作業仮説であった。
▼私の手持ちも歳時記は『俳句歳時記』(角川学芸出版編 角川文庫)である。
「春」「夏」「秋」「冬」「新年」の5巻に分かれている。
シロウト丸出しの私が最初に驚いたのは、「新年」の巻があることである。
もちろん「総索引」も兼ねての一巻であるので、丸ごと「新年」ではないが、それでもやっぱり驚きなのである。
それだけ「新年」は意味ある「季節」なのであろう。
「新年」の巻の【時候】を見て、さらに驚くのであった。
「新年」
「正月」
「元日」
「三が日」
までぐらいは季語になるだろうことはシロウトの私にも理解できる。
驚いたのは次だ。
「二日」
「三日」
「四日」
「五日」
「六日」
「七日」
まで、みんな「季語」なんだ!!
一日一日が意味ある日々なんである。
なんかこの世界は奥深そうだ!!
今日は「五日」だ。
「五日」の「雲見」とはどんなだろう?
(つづく)
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