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「俳句」という自然観察の方法について(4)

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▼「七日」「七日正月」「人日」の「雲見」!!
朝から七草粥を二杯、昼にも二杯もいだいてしまった。少し食べ過ぎた。
いつものように「雲見」三昧の一日だった。
寒に入っているというのにやっぱりあたたかかった!!例年の「七日正月」ではなかった。
「雲見」定点観測地の足元には、はやくもホシノヒトミがめざめていた。
▼一日おだやかな「雲見」かと思ったらそうではなかって、夕方近くになって、ほんのわずかであったが「時雨」がしてきた。こんな「時雨」はなんと呼べばいいのだろう。
数ある「時雨」バリエーションのなかから「選択」しようとするが、ピンと来るのがない。
ないときは、創る!! それが我が儘な私流!!
冷たい風は日本海を渡り、生野峠にぶち当たり「上がると シンシン」で雪が降っているのかも知れない。
その「おこぼれ」が、市川を沿った谷からやってきたのか!?
だから、「こぼれ時雨」「おすそ分け時雨」!!
でもきれいじゃないな。(^^ゞポリポリ
ピッタリのはないかな???
 またしても、師匠・寺田寅彦のコトバのお世話になろう。

だまされし星の光や小夜時雨     羽紅

 見方によつては厭味[#「厭味」は底本では「壓味」]な所謂月並にもなり得るであらうが、時雨といふ現象の特徴をよく現はしたもので、氣象學教科書に引用し得るものであらう。(『天文と俳句』より)

師匠にこう言ってもらえるような呼び名はないかな?
▼「雲見」「天気コトワザ」「俳句歳時記」、この3ついずれも私は「大気の物理学」とリンクして考えたかった。
けっして「大気の物理学」と対峙するものと考えたくはなかった。
私は今、「科学」とはそんなものだと考えている。
ここでもやっぱり師匠のコトバを借りよう。
これからの「科学者の仕事」として次のように言っていた。

 現在の意味での科学は存在しなかったとしても祖先から日本人の日常における自然との交渉は今の科学の目から見ても非常に合理的なものであるという事は、たとえば日本人の衣食住について前条で例示したようなものである。その合理性を「発見」し「証明」する役目が将来の科学者に残された仕事の分野ではないかという気もするのである。(『日本人の自然観』より)

これは「科学者の仕事」!!
ナラバ私にもできることは何か?
▼めざしたいことがあった。
これもまたまた師匠のコトバをかりよう。

顕微鏡で花の構造を子細に点検すれば、花の美しさが消滅するという考えは途方もない偏見である。花の美しさはかえってそのために深められるばかりである。花の植物生理的機能を学んで後に始めて充分に咲く花の喜びと散る花の哀れを感ずることもできるであろう。(『科学と文学』より)

「俳句歳時記」と「大気の物理学」をうまく融合させて一句を詠む!!
それは、「俳句」初学者にとってはトンデモ夢物語!?
オオボラついでに、
俳句結社・「寅の日」の会は、遠い遠い夢である。
しかし、遠いことは諦める理由にはならない!!

これ以上屁理屈ばかりを語っていると、師匠に怒られそうだ。
入門を許されないかも…(^^ゞポリポリ
「まず観察せよ!!」のコトバが聞こえてくる。

さあ今日も、「雲見」と「宇宙見物」ダ!!
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