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Webテキスト『天気の変化』の可能性!?(87)

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▼「カタ、カタ、カタ…」とはげしく音を立ててそれは回っていた!!
家の前の小さな畑に設置した「モグラ撃退風車」である。
この振動で、地下のモグラは驚きこの畑に近づかないと言うのである。
ある程度の効果があるようである。
 昨日の朝、雨はなんとかやんだが、風がはげしく吹いていた。
その風のはげしさとを私はこの「カタ、カタ、カタ…」という音であらためて気づいたというわけである。
だから、この「モグラ撃退風車」は我が家の風力計でもあったのだ。
▼そんなものは他にないだろうか。
もう少し遠くへ目を転じた。あった!!
東の方向にある建物のてっぺんに「風見鶏」が!!
それが風向計の役割をしているかは肉眼では確認できない。
 さらに遠くへ目を転じれば、あれがあった。
 「アメダスの風向・風力計」だ!!
これはスグレモノだ。即座に「記録」し、データを蓄積してくれているのだから!!
こんなものが視界のなかにあるなんてアリガタイ!!
▼さらに上空の風はどうだろう。
上空の風の詳細を「ウィンドプロファイラー」で観測していると聞いた。
一度、それをこの目で見てみたいと思った。
いちばん近くはどこにあるのだろうと調べてみたら「鳥取」だった!!
一昨年夏、思い切ってそこへ行ってみた!!
もちろん、なかに入って詳しくというわけにはいかなかった。
しかし、そこに「存在」することを確認するだけで、「ウィンドプロファイラー」DATAが親しい存在に思えてきたのである。
▼もう一度、目をいつもの「雲見」定点観測地にもどした。
そこには、大賀ハス観察池があった。蓮根の植え替えから44週目だった。
枯れた葉は、これまでの風雨で他所に飛んでしまったいた。
しかし、何枚かの枯れ葉がひつこく残ってくれていた。それらが風に揺れ、擦れ「カサカサ」と音を立てていた。
この「カサカサ」度でも風の強さはわかった。
 そんなこと言ったら、前の竹藪の「ザワザワ」度だって数値化すれば、りっぱな風力計になる。
 私は、利用できるものはなんでも利用させてもらおうと思っていた。
それが私の流儀だと思っていた。
どちらか一方だけでは、ほんとうの風は見えてこない!!
 
今朝はもう「カタカタ」の音はずいぶん小さくなっていた。
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Webテキスト『天気の変化』の可能性!?(86)

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▼今朝(2016/01/30)も雨は降り続いていた。
昨日の「雲見」も一日中同じようなものだった。雨はときに強くなったり弱くなったりするが終日降り続いていた。
今朝の「天気図」を見てみた。
「低気圧」があった。これが関東に雪を降らせるという「南岸低気圧」というやつか!?
あれ不思議だ!!
前線がいつものかたちではない?
これは停滞前線ではないか。これではまるで梅雨期!?
なにが起こっているのだろう?
なぜ、こんなに雨は続くのだろう?
「ふしぎ!?」は次々と…。
▼ポンコツ頭にこびりつくあの「人」「入」型をした低気圧モデル。
今も教科書の定番モデル!!
あれは、いつ頃誰が考え出したのものだろう。あらためて調べてみた。

●1921年 「理想化された低気圧」 (J.ビヤクネスとゾルベルク :ノールウェー)
  (『天気図の歴史ーストームモデルの発展史ー』(斎藤直輔著 東京堂出版 )p124より)

(゚o゚)ゲッ!!驚きだ!!
 95年も前ではないか。それが今も教科書の定番とは!!
 もっと驚くのは、高層天気図も、気象衛星も、もちろんコンピュータもない時代に、こんなに現実に近いモデル図
描いたものだということだ。
地上からの「雲見」だけで!!
凄い!!
▼今の私の「ふしぎ!?」にもどろう。
もっともっと根っこから考えてみよう。
使う大原則(ルール)は2つだ。
・上がるとザアザア 下がるとカラカラ
・光は東から 天気は西から
だけだ。
 「低気圧」っていったいなんなのだ?「低気圧」で何が起こっているのだ。
いや、もっと根っこから考えた方がいいかも…。
暖かい空気と冷たい空気が衝突している!!
なぜ??
エネルギーを「分け分けしている」!!

「暖かい空気」「冷たい空気」衝突すると「暖かい空気」は
上がるとザアザアで 雨が!! ときにシンシンで雪が!!

「暖かい空気」「冷たい空気」押しくらまんじゅう どちらも譲らずだと
勝負つかず 停滞する→停滞前線

大気の層はうっぺらい!!自転する地球号にはり付いている!!
コリオリの力 → 押しくらまんじゅうしている間に 大気に渦巻きができる!!
→「低気圧」

まだまだなあ… (^^ゞポリポリ
 幸い今の私たちは地上の「雲見」だけでなく、宇宙からの「雲見」(気象衛星画像)もでき、高層天気図をみることもできる。さらにはコンピュータを使うこともできる。
 もういちど天気図を見ながら、「ふしぎ!?」の謎解きつづけてみることにする。
▼こうしていると、やっぱり今回参考にした本の著者のあの言葉を思い出す。
それは、エピローグにあった。

 低気圧とはなんだろうか、一口でいえば寒暖両気からなるうず巻であろう。 我等の地球大気の中には、こうしたうず巻が存在できることを傾圧不安定理論も、数値シミュレーションもあるいは実験室内の流体を使った模型実験も教えてくれる。しかしやっぱり不思議な感じがする。それは偶然の産物としてはあまりにも美しく組織だっているし、秩序ある概念に統一されている。  このささやかな歴史的回想の中で、私は約1世紀半の間に人々がストームについて、低気圧についてめぐらした考察のあとをたどってみた。そして多くのことを学んだが、雲をつくり雨を降らせ、風を巻いて過ぎ去ってゆく低気圧をやはり不思議に思う。(『天気図の歴史』「エピローグ」p211より)

なんいうすばらしい!!
ここに真摯に「ふしぎ!?」を追う人のホンモノがある。

(つづく)

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Webテキスト『天気の変化』の可能性!?(85)

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▼やっぱり雨が降ってきた!!
私の「天気予報」は当たっていた\(^O^)/
 こんなことで喜んでいるなんて自分でも笑ってしまう。でもやっぱりうれしいのだ。
 昨日の夕方の「雲見」では、誰だってこの天気は予報できた。
 このアタリマエ!!
 こそが、「雲見」の究極の目標であり、Webテキスト『天気の変化』のねらいであった。
「自分で天気を予報する!!」
▼「そんなことわざわざせんでもテレビの天気予報見たらわかるやん。」という人がいた。
「そやな」としか答えられなかった。
  事実、私自身もテレビの「天気予報」をよく見ていた。
一日のうちでも複数の「天気予報」番組を見ることがしばしばだった。
そのうちでいちばんお気に入り「天気予報」番組があった。

◆ ゆうがたLIVEワンダー(関西テレビ)の「片平さんのお天気ナビ」

 私は片平敦さんの大ファンになってしまった。
片平さんの人柄もさることながら、この「天気予報」がとてもわかりやすくて楽しい!!
からファンになってしまったのだ。
▼この番組たいへんうまくできていた。
放送時間はそんなに長くないのだが、実にうまく構成されていた。
プロのミニ「授業」と思って毎日見せてもらっている。
まず「明日の天気のワンポイント」をCMの前に流す。(昨日はなかったような?(゚_。)?(。_゚)?)
そこからはじまった。

・「明日の天気のワンポイント」

・導入「天気に関係する行事・風物誌」(日常)…「略画」的!!

・展開「大気の動きを解説」(天気の科学)…「密画」的!!
   けっしてバック全面に映し出された画像をみないで、前を向きながら!!
   天気図・高層天気図等をビジュアル化!!
   「大気の物理学」をできるだけ専門用語を使わないで!!
   わかりやすく「大気の物理学実験室」で何が起きているのかを可視化!!

・まとめ「この天気の変化にどう対応すれば…」を具体的に示唆。(日常)…「略画」的!!
   「夜帰りの遅い人は折りたたみ傘をもって出かけよう」
   「洗濯物は朝のうちに」
   「朝と昼の寒暖差がはげしいから服装は…」
   など

みごとなものだ。これぞ理想の「授業」そのものだ!!
そして、なおかつめざす「重ね描き」先行実践そのものだ!!
大いに学びたいものである。
▼でも、やっぱりこれはプロの「天気予報」だ。
大いに学びながらも、私がめざしたいのはやっぱり
「自分で天気を予報する!!」
・もっとローカルに
・いつでも、どこでも、誰でも…
・「大気の物理学」をより楽しみながら

この雨いつまでつづくのだろう!?
片平さんは「今日一日は…」と言っていたな。
ほんとだろうか?
明るくなったら「雲見」してみようと思う。

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Webテキスト『天気の変化』の可能性!?(84)

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▼落差65m!!
美しい!!
それはまるで天からダイレクトにぶらさがった「つらら」のようだった。
落下運動をする水が瞬時に凍ってしまうとは、どれほど寒いのだろう!?
氷瀑ができる臨界温度は!?
 滝にとてもくわしい知り合いが教えてくれた。
「偏妙の滝に行くには、今年は今がラストチャンスかも…」と。
昨日(2016/01/27)、それではと午後からであったがでかけてみた。
みごとなものだった!!
日本海を渡ってきた強力な寒気が笠形山にぶつかり創り出す「造形の美」!!
麓のミツマタの蕾はまだまだかたかった。
▼「雲見」からの発展のつづきを考えてみる。
覚えたての「重ね描き」をここで使ってみる。
単純に「これまで」を分けてみよう。

<「略画」的>
・「雲見」
・天気コトワザ
・俳句「歳時記」
・観天望気

<「密画」的>
・大気の物理学
・宇宙からの「雲見」(気象衛星画像)
・天気図(たかだか200年の歴史)
・高層天気図
・数値予報

▼「重ね描き」とは、「略画」と「密画」を重ねること!!
「略画」と「密画」のバランスがとても大切だ。
一方だけではほんとうの姿は見えてこない。
では、それを具体的にどう実践するのか。
その道すじをあきらかにすることが、このWebテキストの「ねらい」だ。
▼なぜそうするのか。
それは「重ね描き」をすることによって、これまで見えなかった世界が見えてくるからだ。
そして、ときに「未来」まで見えてくるからだ。

そしてなにより「見えなかった世界」が見えてくるのは楽しいからだ!!
面白いからだ!!

ポンコツ頭はいっきょにはスイッチ「オン」にはならない。
繰り返し繰り返し試行錯誤しながらだ。
さあ、今日の「雲見」は…。どう「重ね描き」するかな!?

(つづく)
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Webテキスト『天気の変化』の可能性!?(83)

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▼「積雲にしとこうかな?いやあの山ぎわ少しちがうな…???」
「高さは1500mぐらいかな」「エイ!!ヤッ!!そうしとこう!!」
いつも「雲見」はこんな調子だ。
 もくもくシールを「雲見」カレンダーに貼り始めてから一年以上経つけど、「迷い」はあいかわらずである。
しかし
「天気の変化」事始めは「雲見」から!!
10種雲形で雲の名前で呼んでみよう!!
およその「高さ」を言ってみよう!!
の主張を変えるつもりはない。
▼ほんの少し時間経っただけでも、まったくちがった雲が登場する。
それに同時にいくつもの種類の雲があるのも事実だ。迷ってアタリマエだ!!
でもやっぱり、この主張にこだわる。
 2つの立場から、反対の声も聞いた。
ひとつは、「そんな自分でもあやふやなことを教えるのはちょっと…」という立場である。
もっともである。
でも言いたい。「雲見」のねらいはどこにあるのだろう!?
雲の名前を「正確」に言えることだろうか?そんなことどれほどの人ができるのだろうか。
だんだん正解に近づいていくんでいいではないか。
一生かけてだっていいじゃないか。
あんな雲もあるんだ!!って知るだけでももうけもの!!人生楽しくなるかも…。
「高さ」も繰り返し言っている間に、正解に近づいていく。
そして驚く、「えっ、そんな近くにしか雲はできないのか!!」と。
徐々に「大気の物理学実験室」に暮らしていることが実感できるようになる。
それでいいではないか。
 教える立場の人も一緒に楽しめばいいではないか。
▼もうひとつの立場の人からはこんな声を聞く。
「10種雲形にこだわるのは邪道だ。名前覚えに始終してしまって肝心の「天気の変化」の学習がおろそかになる。」 「またしても、科学の学習を暗記ものにしてしまうのか」
これもまたもっともだ!!
けっこう専門的知識豊富な人に多い。
しかし、そう言う人にこそ聞きたい。
「あなたは、論文を書くとき、この10種雲形を使わないのか?」と。
そうだ。専門家もずっと使っているんだ。
それも世界共通で…。
たった10種類を…。
専門用語にしておくのはモッタイナイ!!
もちろん「うろこ雲」「羊雲」「すじ雲」…を使うのがダメだと言っているのではない。
それは「10種雲形」の後でもいいではないか。
「十種雲形」はいちど覚えてしまえば一生モノだ!!
「暗記」が悪いのではない。
使いモノになりもしないことを丸暗記してそこで思考停止することが問題なんだ!!
一生モノはできるだけ早く覚えるのがいいと思うのだが。
▼事始めの「雲見」をどう展開していくか。
もう一度、「ふりだし」にもどって考えて行こうと思う。
Webテキスト『天気の変化』の可能性!?というタイトルをつけて書き込むのはずいぶん久しぶりである。半年ぶりぐらいなる。
 そのことに、今朝これをかきはじめて気づいた。
知ったばかりの
「重ね描き」
もここでも使ってみたい。 

(つづく)
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【お薦め本】『科学者が人間であること』(中村桂子著 岩波新書)

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▼頬に刺すような冷たい風を受けながらも、陽が当たるとあたたかい、そんな「雲見」も私は好きだ。
生野峠の方は、白くなっていた。
 空はツナガッテイルから、遠く離れた人の「雲見」を想像するのも楽しい!!
「雲見」の発明者は宮澤賢治だ。

眺(なが)めても眺めても厭(あ)きないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖(に)ていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処(ところ)を、蛙どもは雲見をやります。
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」
「実に僕(ぼく)たちの理想だね。」
(宮澤賢治『蛙のゴム靴』(青空文庫)より)

 発明者・賢治の「雲見」を想像していると、あの「デクノボーの科学」を思いだしてしまった。
▼私のレセプターが反応していた。
ガルバニーメーターの針が左右に大きく振れるように。
それはどこのレプターか?
なぜそのように反応しているかもまったく不明であった。
 今回の【お薦め本】はちょっとちがっていた。他人に薦めると言うより、正体不明のこの「反応」を自分に納得がいくように説明することが目的だった。
 この「反応」を引き起こした本はこれだった。

◆『科学者が人間であること』(中村桂子著 岩波新書 2013.8.21)

▼この本は、実は少し前に「生命誌研究館」に行ったときに手に入れていた。帰りの電車のなかで、すぐ読みはじめたもののその後、しばらく寝かせていた。
 長くなりそうだから、いつものように先にお薦めポイント(お薦め本の紹介でないと言いながら、矛盾!?)3つをあげでおく。

(1)「サイエンスコミュニケーター」必読の書!!

(2) 「重ね描き」というあらたな方法の提案がある!!

(3)これからの科学教育を示唆するものがある。!!


 さあ、これで正体不明の「反応」の謎解きに入ろう。

(1)「サイエンスコミュニケーター」必読の書!!

 まず目次(抜粋)をあげてみる。
「はじめに―科学者が人間であること
I 章 「生きものである」ことを忘れた人間
II章 「専門家」を問う―社会とどう関わるか
III章 「機械論」から「生命論」へ―「重ね描き」の提案
IV章 「重ね描き」の実践にむけて―日本人の自然観から
 1 日本人の自然観
 2 「重ね描き」の先達、宮沢賢治
 3 「南方曼陀羅」と複雑系の科学
 4 重ね描きの普遍性
V章 新しい知への道―人間である科学者がつくる
 おわりに 」
どこで針は大きく振れているのだろう?
 読んだのが、サイエンスコミュニケーターとしての「現在地」を5つの座標軸で確認している時期と重なったのが大いに関係している気がしていた。
Ⅰ章では納得はするが、針は大きく振れ始めてはいなかった。
Ⅱ章に入ってから変化は起きた。
 「サイエンスコミュニケーター」に触れた部分があった。

 もはや専門家が非専門家と語り合うのは不可能となったとされ、それを解決しようとして、現在多くの人が、この間をつなぐコミュニケーターが必要だと指摘し始めました。専門家は専門家として自らの分野に閉じこもっているという姿はそのままに、専門の内容を社会に向けて翻訳するプロを作ればよい、というわけです。
 このやり方に私は疑問を持っています。「専門家」というもののあり方、それに対する社会の受けとめ方はそのままに、コミュニケーターという別の専門家を設けたところで、またその専門家のことを理解させるためのコミュニケーターが必要になりかねません。基本的に間違っていると思います。(p56より)

なんと「サイエンスコミュニケーター」は無効だと言っているのです。
「文脈」がちがうので、一方的に判断することはできないですが。
 基本的は賛成であった。しかし、「サイエンスコミュニケーター」を名のるひとりとしては反駁したかった。
私がめざす「サイエンスコミュニケーター」はそれではない。
「真性サイエンスコミュニケーター」とは…。と自己弁明をしたかった。
しかし、私にはまだ「事実」がなかった。
ここで大きく針は振れだしたことは確かなようだ。
▼ここからはじまった振れは振幅をますばかりだった。

(2) 「重ね描き」というあらたな方法の提案がある!!
 著者はたいへん興味深い、「重ね描き」という方法を繰り返し、繰り返し提案していた。
このコトバに出会うのははじめてであった。
 しかし、読み進めていくと、どこか私には馴染みある営みに思えてきた。
この手法をうまく具体的に説明してくれる部分があった。
少し長くなるが、引用させてもらう。

 顕微鏡を使わなければチョウの足の毛は見えず、X線使わなければ人体の中は見えないように、略画的に描かれた世界では細部は見えませんし、不透明なところは見えませんので一見何もわからないままです。
 そこで、種子をまけば芽が出て最後には美しい花が咲くという植物の成長を見ると、あの黒い粒のような種子の中に何があったのだろう、緑の葉の中の一部が変化して赤い花になるのはどうしてだろうと、次々と問いが生まれてきます。科学はこの日常の問いを解こうとして始まるのです。研究者の視線は当然細胞へ、さらに細胞の中のDNAやタンパク質などの分子へと入り込みます。緑の葉が育つ過程で、ある時茎のてっぺんにある葉がめしべになります。個体として次の世代へつながる時期になるとこの変化が起きます。その後、おしべ、花びら、がくへの変化が起き、花ができます。ここに三つの遺伝子ABCが関わり、Aだけはたらくとがく、A・Bがはたらくと花びら、B・Cではおしべ、Cだけだとめしべになります。このABCモデルを生命誌研究館の展示パズル仕立てにした時は子ども大人も楽しんでくれました。皆の中で略画と密画が重なったのでしょう。
 重要なことは、「科学的」だからといって、密画のほうが略画より「上」なわけでも、密画さえ描ければ自然の真の姿が描けるわけでもないということです。密画を描こうとする時に、略画的世界観を忘れないということが大事なのです。(P108より)

そこで「略画」と「密画」を重ねて描く「重ね描き」というわけです。
大賛成です!!拙い歩みではあるが、私もそれをめざしてきたはずです。
上記の文章を引用させてもらっているとき、「えっ、これって最近読んだ文にあったのでは…」と思いはじめました。そうだ!!先日のオンライン「寅の日」で読んだ寅彦の『科学と文学』のあの一節にそっくりだ!!

顕微鏡で花の構造を子細に点検すれば、花の美しさが消滅するという考えは途方もない偏見である。花の美しさはかえってそのために深められるばかりである。花の植物生理的機能を学んで後に始めて充分に咲く花の喜びと散る花の哀れを感ずることもできるであろう。(寺田寅彦『科学と文学』より)

 ここにも針の振れの原因があるのだろう。

 針の振れの振幅がピークに達したのは、Ⅳ章だった。

IV章 「重ね描き」の実践にむけて―日本人の自然観から
 1 日本人の自然観
 2 「重ね描き」の先達、宮沢賢治
 3 「南方曼陀羅」と複雑系の科学
 4 重ね描きの普遍性

 私は、これまでに「常民の科学」からはじての「○○の科学」の遍歴を繰り返していた。
そのなかに、「デクノボーの科学」「南方マンダラ(萃点)の科学」「等身大の科学」等があった。
なんと著者が「重ね描き」の実践例としてあげたものは、そっくりそのまま出てくるではないか。
 書き出しから、膝を打つ。和辻哲郎の『風土』に触れるところからはじまるのである。
『風土』と言えば、寅彦か最晩年に書いた『日本人の自然観』の最後に、この影響を受けたと語っているものだ。
そして、宮澤賢治、南方熊楠へとつながっていくのであった。
振れはもはや「共振」にかわり「共鳴」に至っていた。

(3)これからの科学教育を示唆するものがある。!!
 これが、ほんとうは肝心のところでありながら、もはや蛇足的なる。
「共振」「共鳴」の当然の帰結として、これからの科学教育にヒントになることがいっぱい提言されている。
これまでの「理科」についての把握の仕方については全面的に賛成ではない。
それはアタリマエで、著者とちがった位置から「理科」を見てきたわけだから
 しかし、

理科教育、科学教育に「重ね描き」を!!

という主文脈・主提言は大大賛成である。
私のレセプターの針の振れの原因はある程度解明できた。
これ以上の検証は、ふたたび「生命誌研究館」を訪ねてみながら続けたい。
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【Web更新1/24】16-04 サイエンスコミュニケーター宣言 等更新!!

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待ちきれず 色とりもどす 冬芽かな 16/01/23 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】16-04
週末定例更新のお知らせ
 寒い!!尋常ではない寒さだ。
「暖冬」はどこかに吹っ飛んでしまったような感だ。
 この頃、よく思う。
・自然は生きている!!
・人間はその自然のなかに生きている!!
なんともアリキタリでアタリマエな表現だ。
でもほんとうにそうなんだと実感することが多い。
その人間が「科学」するってどんなこと!?
それを考える一週間にしたいな。少しずつ…。

◆表紙画像集2016 更新 人里の自然シリーズ アジサイ
 庭のアジサイの頂芽に少しずつ緑が回復していた。
裸ん坊で葉の「かたち」の見える頂芽は「不凍液」をため込むと聞いたことがある。
なんともすごい工夫だ。
 アジサイもやっぱり生きているダ!!
「生きる」とはやっぱりけっこうすごい営みなんだと思う。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 勝手につくった5つの座標軸で「現在地」確認を試みた。
れない部分がいっぱいある。
 こんな単純な作業で、わかったつもりなることがいちばん「現在地」を不透明にしているのかも知れない。
そう疑う部分はいつまでも残しておきたい。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 1月のテーマは「文化としての科学」だった。
2月・3月連続してのテーマは警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」だ。
少しずつ読みはじめたい。

この冬最高の冷え込みからスタートする一週間!!
今週はどこまで行けるだろう!?

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サイエンスコミュニケーター宣言(367)

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▼ものすごい寒波が襲来して来ているとテレビの天気予報で言っていた。
それは、いつもの「雲見」だけではわからない。
「雲見」の空からすべてを読み解くことはできない。
・宇宙からの「雲見」(気象衛星画像)
・地上天気図
・高層天気図
・天気コトワザ
・テレビ・ネットの天気予報
等々 ツカエルモノはなんでもリンクしてこそわかってくるのだ。
そうしてこそ、「雲見」はより面白くなってくるのダ!!
「雲見」は、「天気」事始め!!
▼サイエンスコミュニケーターとしての「現在地」確認作業をつづけよう。
4つ目座標軸はこうだった。

(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!

 浅学で無知無能の私にも、唯一人に誇れるものがあった。
それは、【理科の部屋】で培ってきたヒューマンネットワークである。
 ひとりでは不可能な夢物語の「思いつき」企画も、このヒューマンネットワークを駆使すれば実現できることもある。それを目の当たりに見てきた!!
・情報は発信するところに集まる!! 
・情報は交叉するところに生まれる!!
は「不易」である。
 しかし、また
・ホンモノの「流行」は「不易」を内包する!!
・ホンモノの「不易」は「流行」を創造する!!
も真実である。
 ホンモノの「不易」であるのなら、なんらかのあらたな「流行」を創り出すはず。
まずは、小さな小さな等身大情報発信からはじめてみようと思う。
▼最後の第5の座標軸はこうだ。

(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。

 言っていることバラバラだ。
小さな小さな情報等身大からと言ったその後すぐに、「日本理科教育史」とは…
冷静に考えると自分でも気恥ずかしくなるような表現だ。
 これには、それなり経緯があって、この座標軸を設けた。
 私は現役を定年退職後少し自由な立場で、理科教育が語られている場にでかけていった。
正直言って、少し「違和感」を覚えることがしばしばあった。
 それは、「理科嫌い」「理科離れ」を枕言葉のようにして語られる理科教育の現状把握だ。
「えっ!?」ほんとにそうかな。現場にいる理科教師はほんとうにそう思っているのだろうか?
 現場にいる理科教師の立場で「日本理科教育史」をもういちど見なおすことが、あの「違和感」の解消につながるのではと考えた。
・自然は最高の教科書!!
・子どもは最高の指導書!!
として、日々の授業に取り組んでいる立場からの「日本理科教育史」の見直しは、きっとこのうえない「明日の授業」を考える参考になるだろう。最高の教材研究にもなるだろう。
「定番実験」は突然として、「定番」になったのではないのである。
そこには興味深い「歴史」があるのである。

とは言っても、この取り組みも遅々として進んでいない。でも歩みはとめない!!
▼ここまで5つの座標軸ごとに、私の「現在地」確認作業をすすめてきた。
 しかし、現実はこんな単線的なものではないだろう。
5つの座標軸はひとつひとつ単独で存在していない、もっともっと複雑に絡まり合っているのだろう。
例えば
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。
は、底部で深くツナガッテいることだろう。
 だからと言って、できもしない大きな一歩を考えてもなにもはじまらない。
 ポンコツ理科教師にできることなんてたかが知れている。
小さな小さな今日の一歩からである。

ゆっくり ゆっくり なお ゆっくり 急ごう!!
「ゆっくり行くものは遠くへ行く」を信じて…。

大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから43週目だった。
観察池の氷の模様は、葉のかたちを模しているように思える。
「ふしぎ!?」ダ!!
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サイエンスコミュニケーター宣言(366)

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▼昨日の「雲見」のメーンイベントは夜になって訪れた。
列車で出かけていて、帰りが少し遅くなった。福崎駅について空を見上げたら、みごとな月暈が見られた。
月暈みながら、2つの「ふしぎ!?」が頭に浮かんだ。
・天気コトワザ「日暈・月暈はだんだん雨」はホントかな?
・あそこに氷晶があるが故とは俄には信じがたい。やっぱり「ふしぎ!?」ダ!!
 2つの「ふしぎ!?」を伝えるのが、サイエンスコミュニケーターとしての私の「仕事」と思っていた。
まだまだ道は遠いのかな。
▼サイエンスコミュニケーターとしての「現在地」確認の作業のつづきをすすめよう。
2つ目の座標軸に行く。

(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。

 ここのところ、自分のなかで少し変化が起こってきているのを感じている。
それは、ここで使っている「サイエンス」についてだ。
「常民の科学」からはじめて、「○○の科学」を遍歴してきた。
そして最終的に「私の科学」に落ち着いていた。
それで自分も納得しているつもりでいた。
それが、このごろ「これでほんとうにいいのだろうか?」と
疑い始めたのだ。
 それと、第2の座標軸は直接は関係ないと思っていた。
しかし、それもちがうのではないかと思いだしてしまったのだ。
 「○○の科学」遍歴に終わりはないではないかと思いだしたのだ。
もう一度「ふしだし」に戻って、しばし考えてみたい。
「ふしだし」とは、座標軸の「原点」だ。
▼座標軸は次にすすめよう。

(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!

 私の使っている「サイエンスコミュニケーター」は、一般に理解されている「サイエンスコミュニケーター」と少しちがうのかも知れない。きっとそうだろうと思う。
 しかし、私は「サイエンスコミュニケーター」を名のることをやめるつもりはない。
 とても傲慢に独りよがりに聞こえるかも知れないが、
 私の名のる「サイエンスコミュニケーター」こそ「真性サイエンコミュニケーター」だと自負している。
それは、
・学校現場の理科の授業こそ、サイエンスコミュケーションの最前線である!!
・すべての理科の教師は、その最前線ではたらくサイエンスコミュニケーターである!!
とかたく信じているからである。
▼大法螺吹くだけでは、ことは進まない。
第3の座標軸はどこまで来ているのだろう。
これに関しての2つの取り組みを進めていた。
◆授業実践DB
◆新・私の教材試論
 2つとも実に遅々たる歩みになっていた。
しかし、歩みをとめるつもりはない!!
ゆっくり ゆっくり急ごう!!

(つづく)
 

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【立春の卵】を立ててみよう!!

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▼昨日(2016/01/21)は、二十四節気で「大寒」であった。
「大寒」の夕方、私はあの部屋に入って、あの「小さな実験」に挑戦してみた。
冷蔵庫から取り出してきた卵を立てなのである。
アタリマエだが実験は成功した。
・いつ
・どこで
・誰がやっても
アタリマエに「卵は立つ」、だからこれは「科学」なんだ。
「立春の卵」ならぬ「大寒の卵」だ!!
この「小さな実験」が、今の私には「大実験」だった。
▼今から69年前(1947年)の「立春」にこのアタリマエの「小さな実験」を巡って新聞各紙もとりあげるほどの大騒動があったそうだ。
 その顛末の一部始終を、「雪は天からの手紙である」のあの人・中谷宇吉郎が「記録」してくれていた。
それを今すぐ読むことができるアリガタイ!!

◆「立春の卵」(中谷宇吉郎 青空文庫より)

 中谷はこの顛末の「記録」だけでなく、自分でこの「小さな実験」を試みアタリマエに立つことを立証してくれていた。さらには、なぜアタリマエに立つのかも説明してくれていた。
 これは、この「小さな実験」を試みるときの大きなヒントになる。
私は一年前の「立春」の前日、つまり節分の日に気まぐれにこの「小さな実験」に挑戦してみた。
場所は、昨日の「大寒の卵」の部屋だ。
5個の卵を立てた。
 次の日、朝起きたらすぐその部屋に行った。5個とも立ったままであった。
なんかうれしくなって写真を撮った。
それをTwitter、Facebookでつぶやいた。
 次の次の日も卵は倒れていなかった。
「いったいいつまで?」に関心が移っていった。
そして、最後の1個が倒れまで191日が経ったのである。
なんと、191日も卵は立ったままだったのである!!
倒れた卵の「なかみ」の検証実験もやった。
その「記録」を昨年末にやっとまとめることができた。

◆【立春の卵】191日の軌跡

今、見返していると自画自賛ながら、実に面白い!!
自分でやったことながら、あきれてしまいもする。なぜそこまでこだわったのだろう!?
やっぱり、この小さな「小さな実験」は、私にとっては世紀の「大実験」なんだ!!
▼次には、この「小さな実験」を多くの人と一緒に楽しみたい!!と思いだした。
そこで
【立春の卵】を立ててみよう!!キャンペーンを繰りかえしやってきた。これからもこれを続けていきたいと思っている。
 今年も、「立春」が近づけば、きっと新聞等で話題になるだろう。
まだこの「小さな実験」を自分で試みたことない人はぜひぜひ…

そして「科学的とは?」考えてみるのも面白いかも!!
中谷は「立春の卵」の最後にこう書いていた。

何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである。
 人間の眼に盲点があることは、誰でも知っている。しかし人類にも盲点があることは、余り人は知らないようである。卵が立たないと思うくらいの盲点は、大したことではない。しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細(ささい)な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである。

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本日(2016/01/21)、第119回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼定点観測地のヒガンバナはすっかり雪に覆われてしまった。
定点観測地A・Bも、そして東京からの引っ越し組も。植木鉢の引っ越し組などその姿が雪に埋もれてしまうほどであった。
 天気の示標池としている大賀ハス観察池もすっぽり雪に覆われていた。
この冬最高の「大雪」だ。
私はカメラを向けて「記録」するのみ。
暖冬であったはずなのに!!
本日は大寒。
それにしても、自然とは寅彦の言うようになんと「律儀」なんだろう!!
▼本日(2016/01/21)は、第119回オンライン「寅の日」である。
1月のテーマは「文化としての科学」である。
その第二弾として、「科学と文学」(1933(昭和8))である。

◆本日(2016/01/21)、第119回オンライン「寅の日」!!

●「科学と文学」(青空文庫より)

▼結論から言う。
「文化としての科学」のテーマにピッタリの選択だった!!
と自画自賛してみる。
 実はこの「科学と文学」オンライン「寅の日」で読むのは3回目である。
2回目のときなどは、三回に分けて読んだほど、「お気に入り」なんである。
 「お気に入り」だからと言って、深く読み解いているわけではなかった。
 いつものことだが、私は私の「文脈」でしか寅彦を読めない。浅学さゆえとわかってはいるが、これは今さらどうしようもない。
 もっと単純に言うと
「私はこの寅彦の文章が好きだ!!」ということになる。
なかみに少し入ろう。
 これまた結論じみたこというが、これは寅彦の「文学論」ではない。
科学者・寺田寅彦の書いた「科学のすすめ」だ!!
 それは、最初に宣言していた。

  もう一つ断わっておかなければならないことは、自分がともかくも職業的に科学者であるということである。

文学・芸術・ジャーナリズム等をこの後語っているが、常に軸足は「科学者」に置いていた。
一歩たりともそこからはずすことはなく一貫していた。
引用しだしたらきりがなくなるほど、うなずく「文脈」がつづく。
今回の読みでは、少しキーワードを拾うというかたちで読み解きに挑戦した。
「言葉」
「記録」
「予言」
「数学」
「人間の思惟の方則」
「情緒の方則」
「実験」
「史実の記録」
「事実の記録」
「芸術」
「真の記録」
「物の見方と考え方」
「人生の記録と予言」
「広義としての「学」」
「ジャーナリズム」
「文章」
「実験ノート」
拾い残しもいっぱいあるだろうが以上である。
▼引用をひかえると言っておきながら、やっぱりこれだけはと思ってしまうのである。
いくつかあげる。
ひとつめは、中谷宇吉郎も「お気に入り」だったここだ。

 

顕微鏡で花の構造を子細に点検すれば、花の美しさが消滅するという考えは途方もない偏見である。花の美しさはかえってそのために深められるばかりである。花の植物生理的機能を学んで後に始めて充分に咲く花の喜びと散る花の哀れを感ずることもできるであろう。

 そして、次が寅彦がこの随筆を書いた真の目的はここにあると思われるところだ!!

 それはとにかくとして、現在において、科学者が、科学者としての自己を欺瞞することなくして「創作」しうるために取るべき唯一の文学形式は随筆であって、そうしてそれはおそらく、遠き「未来の文学」への第一歩として全く無意味な労力ではないと信ずるのである。

これは、科学者に向けた「随筆のすすめ」だ!!
 また、未来の学問を志す人に向けては、こう言っていた。

 非論理的論理というのは、今の人間のまだ発見し意識し分析し記述し命名しないところの、人間の思惟(しい)の方則を意味する。これを掘り出し認識するのが未来に予想さるる広義の「学」の一つの使命である。科学も文学も等しくこの未来の「学」の最後のゴールに向かってたどたどしい歩みを続けているもののようにも思われるのである。

ていねいに、ホンモノとニセモノの見分け方もつけてくれていた。

何度繰り返して読んでみても、何を言うつもりなのかほとんどわからないような論文中の一節があれば、それは実はやはり書いた人にもよくわかっていない、条理混雑した欠陥の所在を標示するのが通例である。これと反対に、読んでおのずから胸の透くような箇所があれば、それはきっと著者のほんとうに骨髄に徹するように会得したことをなんの苦もなく書き流したところなのである。

引用はこれまでにしておく。
3回目読んでの私の結論に行く。
・寅彦がなぜ多くのすばらしい随筆を書き残してくれたかが少しわかりはじめた。
・その随筆がなぜ面白いのかも少しわかってきた。
・80数年の時空を超えて、「寅彦」は今なお「有効」である!!
・いやちがう、今こそ「寅彦」が「有効」なのである!!
・これは、科学者・寺田寅彦の「実験ノート」(最末尾のコトバ)である!!
・「文化としての科学」でなく、「科学」に依拠しない「文化」など存在しない!!

さて、4回目はいつ…!?。
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2016年2月のオンライン「寅の日」は #traday

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▼早朝「宇宙見物」では、そこまでとは思わなかったが、夜が明け明るくなって外に出てみると雪景色であった。
定点観測地のヒガンバナも薄化粧をしていた。
雪をよく見ていると、いつもの雪と少しちがうように見えた。
小さな霰のようにも見えた。
思わずあの人のコトバを思いだし、しばしこの「手紙」の謎解きをするのだった。
▼1.17から21年の歳月が過ぎ、まもなく3.11から5年になろうとしている。
5.30からは32年だ。
 そんなことを考えるとき、やはり寅彦の鳴らし続けた警鐘が聞こえてくるのである。
警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」
これを2月・3月連続してオンライン「寅の日」のテーマとしたい。
オンライン「寅の日」は、2月・3月あわせて5回ある。
まずは2月である。

■2016年2月オンライン「寅の日」

◆第120回オンライン「寅の日」 …2/02(火)
◆第121回オンライン「寅の日」 …2/14(日)
◆第122回オンライン「寅の日」 …2/26(金)

▼高知の寺田寅彦記念館前の牧野富太郎筆のレリーフでは「天災は忘れられたる頃来る」となっている。
これを見た司馬遼太郎は「これこそ日本語」と言ったそうだ。この話は先日聞いたばかりだった。
 では、この言葉はどの随筆に出てくるのだろう?何を読めばいいのだろう?
 これは無理である。実はどこにも文字としては語っていないのだと言う。
そのあたりの経緯をまたしても、あの人・中谷宇吉郎が書き残してくれていた。

●「天災は忘れた頃来る」(中谷宇吉郎 青空文庫より)

そこで宇吉郎は最後にこう言っていた。

それでこれは、先生がペンを使わないで書かれた文字であるともいえる。

 そこで、オンライン「寅の日」では、この警鐘と同意の文章を随筆から読み解こうと思う。
2月の3つの随筆は「神話と地球物理学」「静岡地震被害見学記」「天災と国防」である。

■2016年2月オンライン「寅の日」


◆第120回オンライン「寅の日」 …2/02(火) 「神話と地球物理学」(青空文庫より)

◆第121回オンライン「寅の日」 …2/14(日) 「静岡地震被害見学記」(青空文庫より)

◆第122回オンライン「寅の日」 …2/26(金) 「天災と国防」(青空文庫より)

▼3月分についてはあらためて提案したい。
 80年の時空を超えて、今、この警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」はどう聞こえてくるだろうか。
聞く人によってもちかって聞こえてくるだろう。
 あわせて、そのことも話題としていきたい。

今朝の雪の方が本格的なようだ。大きな被害が出ないことを祈るのみだ。
65歳の朝、記す。
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サイエンスコミュニケーター宣言(365)

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▼刻々と「雲見」の空は変化していた!!
昨日の「雲見」は、ひときわはげしかった。
「冬の嵐」だった。
 「雲見」をしながら「大気の動き」の謎解きをする。
それはたいへん興味深い「科学」だった。
「いつでも・どこでも・誰でも」今すぐはじめることのできる「科学」だった。
昔から多くの人が繰り返してきた「科学」だった。
 それは、私たちが「大気の物理学実験室」のなかに暮らしているからだ。
「雲見」とは、この実験室で行われる実験を「観察」していることにほかならない。
実験メニューは日々、いや刻々と変化する!!

そんな「科学」の面白さをを自分も楽しみながら伝えるのが、「サイエンスコミュニケーター」としての私の「仕事」!!
▼「サイエンスコミュニケーター」と名のりはじめてまもなく5年がたとうとしている。
最初にこの「サイエンスコミュニケーター宣言」を書いたのは2011.04.1だった。
 今回はその365回目となる。一日に一記事しか書かないから、これで一年分ということになる。
5年間のうちで一年間は、「サイエンスコミュニケーター宣言」を書き綴ったということになる。
 最近は間歇的にしか連載していないので、自分で「文脈」を追うのもたいへんだ。
▼今一度、「サイエンスコミュニケーター」としての私の「現在地」を確認しておこうと思う。
「現在地」確認のための5つの座標軸を準備していた。

(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!
(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。

なんとも仰々しいのもあるが、ひとつずつ確認してみよう。
▼まず第一座標軸だ。
(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!
・「雲見」
・「雲見」の旅
・「宇宙見物」
・ヒガンバナの「ふしぎ!?」
・「クモ学」
・大賀ハス
・コウガイビル
・立春の卵
・「俳句」という自然観察
・オンライン「寅の日」
等々
がこの座標軸上にあるのだろう。

なにからやるか。その優先順序は決めていた!!
面白いことからやる!!
自分でも面白く思えないようなことが、人にツタワルはずがない。
ではその「面白さ」の「ものさし」は?

(つづく)
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【Web更新1/17】16-03 【ヒガンバナ情報2016】 等更新!!

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ホトケノザ 霜の華まで 咲きにけり 16/01/16 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】16-03
週末定例更新のお知らせ
 ちょっとこの頃気にしているフレーズがある。
「等身大」である。昔からけっこう気に入っているのでいろんな場面よく使ってきた。
例えばこのblogの副タイトルは「よりリアルタイムな等身大情報の発信」である。
もちろんTwitter的に入れていた。
標榜する科学は「等身大の科学」てあったりする。
こんな感じで多用している。
そのくせに
「等身大ってなに?」
「等身大のサイズは?」
なんて聞かれると、即答に躊躇してしまう。
少しそれを考える一週間にしようかなと思う。

◆表紙画像集2016 更新 人里の自然シリーズ ホトケノザ
 もちろんあの「春の七草」のあれではない。これもまた、「仏の座」はみごとなネーミングだと思う。
ところで、この花の花期はいつなんだろう?
 それがわからくなってしまった。?(゚_。)?(。_゚)?
 秋にも見たし、寒中の今もけっこうみつけることができるだから。
 朝早く、庭先の「仏の座」に霜の華が鎮座していた。
これはこれでなかなかの…。

◆【ヒガンバナ情報2016】新設!!
 【ヒガンバナ情報98】からはじまるもっともながくつづくページである。
 最初に、やってみたい【課題】を8つもあげてみた。
しかし、これはあくまで予定だ。気まぐれで道楽「研究」だ!!
面白いと思えること最優先で行ってみたい。
これぞ等身大「研究」!! 

◆「クモ学」のすすめ 更新!!
 ページの巻頭に次のように書いた。

 最大の「ふしぎ!?」は最も身近にある!!

3年間のクモとの「つき合い」が教えてくれたことだった。
これぞ等身大「博物学」のはじまり!!

「等身大」のサイズって、どんな「ものさし」ではかったらいいのかな?
「等身大」のくらしに徹する一週間にしたいな。
さあ、ゆっくり 急ごう!!

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1.17 あれから21年の歳月が!!そして…

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▼いつものようにいつもの場所から「雲見」画像だ。
昨年の正月には、この画像のなかに「アメダス」が埋め込まれていることを知った。驚きだった。同時にこの画像意味あるものに思われてきたものだ。
 昨日、もうひとつ貴重な「記憶」が埋め込まれていることに気づいた。
右端の高い山は日光寺山(標高408m)だ。この山からはなんとフズリナの化石がみつかっているのである。
それは何を意味するのか?
太古の昔、そこは海だった!!
あの高い山は、海だった!!
その「記憶」が埋め込まれているのだ。
そう大地は動いているのだ!!
▼あれから21年の歳月が流れた。
どこまで来たのだろう?、私はどこにいるのだろう?
特別の朝、今朝は少しそれを考えてみよう。
あの時、私にできることからと考えた。その第一はやっぱり理科の授業だった。
Daichitytle
【大地の動きをさぐる】授業
それを少しずつ更新していくことだった。

▼「1.17」「3.11」はとても重要だ。
 しかし、それだけではなく私は「5.30」をぜひとも授業でやりたいと思っていた。
人々の「記憶」が消えてしまわないうちに。
そう「山崎断層」ダ!!
 けっして「動く大地の物語」は、遠くで起こった昔の物語ではない。
今自分が立つ大地で起こっている現在進行形の物語なんだ!!
それだけを伝えたかった。
▼それこそ過去形だけで語るわけにはいかない。
「これから」もできることから少しずつだ。いかに遅々たる歩みであろうとも…。
警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」を最晩年まで鳴らし続けた寺田寅彦は「津浪と人間」のなかで次のように言っていた。

残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう。

まずは「忘れない」ことからはじめよう!!

もうすぐあの時間だ。                     21年目の朝に 合掌
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大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから42週目だった。Dsc_1845


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2016年の「クモ学」はどこまで!? #クモ学

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▼15日正月の朝は「冬晴れ」だった。
風は冷たいが、陽が当たればあたたかい。その陽が彼女(ジョロウグモ)が残していった「卵のう」2つにあたろうとしていた。元々いたネットは、北風が直接あたらないせいもあるのだろうか、荒れ屋になりながらも、「保存食」とともに保存されていた。「卵のう」から子グモたちが出てくるのはいつだろう?
▼3年前の夏から突然はじまった私の拙い「クモ学」!!
今年はどんな「出会い」「発見」があるだろう。
どこまで、その「ふしぎ!?」を追うことができるだろう?
15日正月を過ぎた今、少し展望しておこうと思う。
▼思いつくままにならべてみよう。
まずは、クモごとにあげてみよう。
<コガネグモ>
 3年前の夏、貴奴の「狩り」に偶然出会ったのが、私の「クモ学」のはじまりだった。
それ以降、3年連続多数のコガネグモを観察することになった。
今年の夏も出現するだろうか。
 今年になって地域の方と話す機会があった。うれしい話がふたつあった。
 ひとつは、我が家の近くだけでなく、少し離れた場所でも貴奴が出現していると言うことだ。
そして、もうひとつは私の「観察」を知っていただいており、草刈りに配慮してもらっていた事実だ。
アリガタイ!!

<コガタコガネグモ・ナガコガネグモ>
 コガネグモほど大きくはないが、こちらの方がもっとふつうに多数見かけていた。
観察できる期間も長い。だから、もっともっと多くを学べそうだ。
今年はこれらの観察もじっくりやってみよう。

<シロガネイソウロウグモ>
 イソロウグモの存在はきわめて興味深い。なかでもシロガネイソウロウグモは面白そうだ。
あの銀ピカの「ふしぎ!?」は謎のままだ。

<ゲホウグモ>
 2014年の夏、庭の柿の木に偶然住みついた!!
そして数々の巧みな技をみせてくれた。
貴奴との138日間が私の「クモ学」への興味を大いに加速してくれたことはまちがいなかった。
2015年には出現しなかった。はたして今年はどうだろう?

<ジョロウグモ>
 彼女はもっともありふれたクモだ。しかし、昨年の4ヶ月にわたる「つき合い」は、けっしてありふれてはいなかった。彼女との「対話」は、数々の謎解きにヒントを与えてくれた。
 今年もあんな「つき合い」はあるだろうか?

<その他のクモ>
 まだ視野に入っていないクモはいっぱいいるだろう。いや、いる!!
 どんなクモか視界に入ってくるだろう?
 「そいつなら、いつも見ていたのに…」というやつが出てくるにちがいない。

▼今度はもう少し知りたい項目ごとにならべてみよう。
・「団居」(まどい)
・パルーニング
・体のつくり
・最強のツール、糸
・クモと「天気の変化」との関係(クモに関する天気コトワザ)
・引越し
・越冬
等である。

いろんな情報を入手したいものだ。
それには、例によって
「情報は発信するところに集まる!!」
でいきたいものだ。
 こんなところから、標榜する「新しい博物学」ははじまるのかも知れない。
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【お薦め本】『中谷宇吉郎の森羅万象帖』(福岡伸一・神田健三・中谷芙二子著 LIXIL出版)

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「雪は天から送られた手紙である」
なんともうまく言ったものだ。
 昨日(2016/01/14)の朝、大賀ハス観察池に雪が降っていた。
 初雪であった。
 私は、まだこの手紙の暗号を読み解く術を知らなかった。
この名言を発した中谷宇吉郎から大いに学びたいものだと思っていた。
▼私は、今回の【お薦め本】を先月、『親愛なる寺田先生~師・寺田寅彦と中谷宇吉郎展~』(なおこの企画展は1/31まで開催中)行ったときに決めていた。

◆『中谷宇吉郎の森羅万象帖』(福岡伸一・神田健三・中谷芙二子著 LIXIL出版 2013.3.15)


▼例によって先に3つのお薦めポイントをあげる。

(1)「中谷宇吉郎の世界」入門書として最適!!

(2)美しい!!至高の森羅万象図鑑!!

(3)最適の3人の案内人が科学者・宇吉郎を語っている!!

 さあ、これで少しダラダラと語ってみる。
(1)「中谷宇吉郎の世界」入門書として最適!!
 私は、最近急に、科学者・中谷宇吉郎に惹かれている。あの名言、寅彦の一番弟子というからだけでない。
きっと『立春の卵』を書いた科学者であることとも深く関係しているにちがいない。
 もう少し、くわしく宇吉郎のことを知りたくなったときに読むのに最適だろう。
本のつくりがとても気に入った。まず時系列に、宇吉郎の研究歴を追っている。
1923年「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」 
からはじめて、それぞれの年代ごとにタイトルがついていた。
これがとてもうまい!!
これが、科学者・宇吉郎の全体像を理解するのに、とてもわかりやすい。
巻末の「略年譜」と合わせれば、とても利用しやすい。
これから、宇吉郎から学びたくなったときは、側に置いて参考にさせてもらいたい。
▼2つ目に移ろう。
(2)美しい!!至高の森羅万象図鑑!!
 「値段の割には、うすっぺらいな。」これが、最初に手に取ったときの正直な印象だった。
なかみを見ているうちに、それは大きな間違いだとわかった。
ともかく美しい!!
見て楽しめるのである。とても美しい写真群は、ただそれだけではなかった。
科学者・宇吉郎を知る上で、貴重な資料ばかりだった。
「火花放電」
「雪の結晶」
「チンダル像」
「氷の単結晶」
「宇吉郎の描いた絵画」等々である。
いつしか、「中谷宇吉郎展」に来ている気分になってくるのである。
旅費、入館料込みと考えると、これは安い!!
それもいつでも入館できるというのだから、益々お得だ!!

次の最後に行こう。
(3)最適の3人の案内人が科学者・宇吉郎を語っている!!
 最後に、3人の案内人の文章があった。
よくぞこんなピッタリの案内人がいたものだと思った。
・「中谷宇吉郎に寄せて」(福岡伸一)
 あの福岡伸一である。人を魅入らせる文章を書くことで有名な『動的平衡』の福岡伸一だ。
中谷ハカセと福岡ハカセが響き合うというのが、なんともうれしい!!
ともにすばらしい文章を書くのだが、福岡は中谷の文章を次のにように語っていた。

中谷博士の文章はいつも科学的です。つまりシンプルで、軽妙で、端的です。でもそれだけではありません。 中谷博士の文章はすぐれて可視的であることにその特性がある、と私は思うのである。 科学は、複雑なことをシンプルな言葉で解き明かそうとする営みです。そのとき、目に見えるように語ることがとても必要になるのです。(同書p69より)

さすがだ!!おみごと!!
・「中谷宇吉郎-没後50年経て」神田健三
 神田健三先生は、「中谷宇吉郎 雪の科学館」前館長で現「友の会」会長だ。
中谷宇吉郎を語るのにこれほどふさわしい人はないだろう。
先月、講演を聴かせてもらったばかりであった。そのときの講演内容を理解するのにまだ反芻作業を繰り返しているところだった。そんなときこの文を読ませてもらって、少しだけ頭の「整理」ができた気分だ。
ありがとうこざいます。
・「父の言葉」中谷芙二子
 中谷の次女中谷芙二子の文章だ。これまた、娘ならでは尊敬と親愛に満ちた文章だ。
この文章を読ませてもらって、すぐ「簪を挿した蛇」を読んでみた。
 中谷のほんとうに言いたかったことをいちばんよく理解しておられるのだろう、と思った。

うれしい【オマケ】がついていた。
・中谷が写した雪の結晶の写真原板シート
・ルーペット(フレネルレンズ )携帯に便利!!

昨夜は「とんど」だった。
炎を見ながら、中谷宇吉郎なら、これをどう表現しただろうとつい思ってしまった。
今日は、十五日正月!!
はやくも一月折り返しだ。今朝は「手紙」は届かなかった。
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2016年の「ヒガンバナ研究」はどこまで!?(3) #ヒガンバナ

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▼実生コヒガンバナの土ポットをひとつこわして、現段階でどれだけ栄養を貯め込んでいるか、確かめてみた。
ちいさな「らっきょう」のようなかたちをした鱗茎(球根)があった。
そして、そこから根が数本のびていた。
 別の土ポットには、二枚目の葉が伸びてくるもの、新たに「出葉」するもの、すでに葉が枯れてしまったものなどがあった。
▼「コヒガンバナは、ふつうのヒガンバナとちがって、2倍体(2n=22)で種子でも殖える。」と聞かされてもピンとこなかった。
 いつかは自分でもその種子を手に入れ、種子から育ててみたい!!と思っていた。
その幸運は、突然やってきた。
 2014.10.26 友人からコンガンバナの種子51個も分けてもらったのである。
私はウキウキ気分で、種子から育てる実生に挑戦した。昨年の春、51個中49個の「発芽」(発根)に成功した。
秋には、そのうち39個を「出葉」させることに成功した。
種子51個→「出葉」39個、出葉率76.5%ダ!!
「コヒガンバナは2倍体である。」はやっぱりホントだ!!

昨年の暮れから面白い展開を思いついた。
ここからの育苗を分散することだった。私ひとりで何年か先の「花の咲く」まで育てるより、何人かに分散して育ててもらうのである。そうすれば、たとえ私が失敗しても、誰かが「花を咲かせる」ことに成功するだろう。
花が咲けば、また種子をつくるだろう。それを「おすそ分け」すれば、実生コヒガンバナの取り組みは大きく拡がっていくだろう。名づけて「実生コヒガンバナを咲かせよう」プロジェクト!!
これを、今年の課題にしよう。

【課題6】「実生コヒガンバナを咲かせよう!!」プロジェクトの推進!!

▼これまでの取り組みのまとめと、より多くの人とヒガンバナの「ふしぎ!?」を楽しむために、私は

◆Webテキスト『ヒガンバナ』

を2013.9.1に作成していた。
その後、3年連続の「自然結実」ヒガンバナ群落の発見、実生ヒガンバナの「出葉」成功、実生コヒガンバナの「出葉」成功等があった。さらに別のあたらしい情報もあった。
 それらを含めて、このテキスト更新の検討が必要だと思っている。
多くの人に協力してもらいながら、検討をすすめていきたい。

【課題7】Webテキスト『ヒガンバナ』更新の検討!!

▼また、できるだけ多くの人とヒガンバナの「ふしぎ!?」を共愉的に楽しむために設立したコミュニティがあった。

◆「日本ヒガンバナ学会」

である。mixiのコミュニティを利用して設立したのが、2007.9.23 であった。
これをきっかけにヒガンバナに関する多くの情報交換がはじまった。
それは、実に楽しいものだった。これぞまさに「学びあう会」だった。
オンラインでの交流は深まった。地域でのヒガンバナ観察オフを楽しんだこともある。
しかし、「日本ヒガンバナ学会」としての「学びあう会」「会合」「オフ」は実施ことがなかった。
そこで、今年はそれを実現させたい!!時期、場所、内容・方法については未定だ。
その検討をはじめたい。

【課題8】「日本ヒガンバナ学会」の「学びあう会」「会合」「オフ」を実現する!!

ゆっくり ゆっくり 急ごう!!
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2016年の「ヒガンバナ研究」はどこまで!?(2) #ヒガンバナ

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▼けっして歓迎しているわけではなかったが、やっと「寒中」を実感する日になった。
久しぶりに「実生ヒガンバナ」を外に出してみた。
 2014年の11月に採集したヒガンバナ種子の実生に挑戦していた。
30個の種子のうち、3個だけ「出葉」までこぎつけていた。これも久しぶりに葉の長さを計測してみた。
昨日(2016/01/12)の段階で、次のようになっていた。
・実生ヒガンバナ2014a…11.5㎝
・実生ヒガンバナ2014b…6.0㎝
・実生ヒガンバナ2014c…1.5㎝
昨年の(2015/11/18)の段階で計測したのにくらべて、
a…+1.0㎝、b…+0.5㎝、c…0㎝ 変化したのみだった。
 実はどのように育てたらいいのか迷っていた。
葉は光合成をするために出している。だから、屋外の日当たりのいいところに置いてやればいい!!
理屈ではわかる。
 しかし、せっかくここまで来たのに乾燥してしまったら…。
霜にあたったら…。とついつい過保護になってしまうのである。
この後、この実生ヒガンバナはどう展開するのだろう?
これが、今年の「ヒガンバナ研究」の3つ目の課題だった。

【課題3】実生ヒガンバナ2年目の展開!!

▼これまた久しぶりに冷蔵庫に眠らせている2015年採集の「種子」を見てみた。
昨年採集した完熟種子は群生地から63個、他の場所から7個、合計70個であった。
ただし、現段階でカビにやられてくずれてしまったものも多数あった。
もうしばらく冷蔵庫に眠らせておこう。
・今年も「自然結実」ヒガンバナ群生地をみつけることができるだろうか?
・4年連続の「発見」あるのか?
・70個の種子のうち、何個まで「出葉」までつけることができるだろうか?
・実生のうまい方法をみつけることができるだろうか?
これら諸々を含めて

【課題4】実生ヒガンバナに再々挑戦!!

▼そして、これがいちばんの本命だった。

【課題5】「自然結実」ヒガンバナの「ふしぎ!?」の謎解き!!

この謎解きの決め手は

・「染色体」の観察(染色体数の確認!!)

 もう学校現場にいない、今の私には安易に取り組めない課題だ。
 しかし、あきらめずに道をなんとかみつけだしたい。
そして「今、ヒガンバナに何が起こっているのか!?」を解き明かしたい!!

(つづく)
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2016年の「ヒガンバナ研究」はどこまで!?(1) #ヒガンバナ

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▼いかに暖かいと言えども寒中!!
こんな時期に「ヒガンバナ観察」というと「なんと季節はずれな!!」ということになるだろうか。
 でも私はそれはちがうと思う。
 植物「ヒガンバナ」の観察は、今こそもうひとつの本番であると思っている。
  もう20年近く観察を続けている定点観察地Aのヒガンバナの葉は今が盛りだった。
  他の植物たちが成長してくるまで、光は「独り占め」だった。その光をたっぷり受けて、地下に栄養を貯め込んでいた。言わば今こそ「稼ぎどき」である。
「季節はずれ」などではけっしてないのだ。
▼そのとなりの定点観測地Bのヒガンバナはアカシロの揃い組だ。
シロバナヒガンバナの葉は一足に先に少し黄色くなり、枯れがはじまっているかに見える。
例年にくらべ早いような気がする。
暖冬の影響だろうか?
 もうひとつ恒常的に観察しているヒガンバナがあった。
 それは昨年の6月に東京から引越してきたヒガンバナである。大きな植木鉢で育てていた。
 これは、定点観測地Aのヒガンバナと東京で育っていたヒガンバナを交換して、気候環境によってどんなちがいがでるかという比較観察をしているものだった。
 さらには、昨年の11月末から植木鉢で観察しているヒガンバナがある。
「自然結実」ヒガンバナ群生地から採集してきたヒガンバナである。こちらの方は、採集の時のダメージのせいかすでに枯れはかなり進行していた。
▼これらを観察しながら、今年の「ヒガンバナ研究」計画を立ててみようと思った。
昨年、私の「ヒガンバナ研究」は飛躍的にすすんだ!!その分だけ「ふしぎ!?」も大きく膨らんできた。
 年の初めの今こそ、今年の「ヒガンバナ研究」を展望してみよう。
 もちろん途中での方向転換もアリということで…。

【課題1】ヒガンバナのライフサイクルと気候
・暖冬は開花期に影響するだろうか?
・気候変動とライフサイクルの関係は?
・同じ株のヒガンバナでも地域によって「発葉期」「枯れる時期」「開花期」などにちがいは出るか?
▼次にぜひとも今年の「ヒガンバナ研究」で取り組みたい課題がある。
昨年末にとても興味深い情報が入ってきた。
「自然結実」するヒガンバナは「二重根」になっていることがあるのでは?
「二重根」自体はじめて知ることだった。
 たまたま今、植木鉢で育てている「自然結実」ヒガンバナを採集したときの画像を公開したことからの展開であった。
 面白い!!
 これまでも気になりながらも、深く追求することがなかった「ふしぎ!?」。
 見えない地下で、ヒガンバナに何が起こっているのだろう?
それが無性に知りたい!!

【課題2】 地下でヒガンバナに何が起こっているのか?

(つづく)
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【Web更新1/10】16-02 オンライン「寅の日」 等更新!!

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一粒や 万に輝く 藪柑子 16/01/09 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】16-02
週末定例更新のお知らせ
 はやくも2016年も10日を過ぎてしまった。今年2度目の週末定例更新である。
10日過ぎたところで、今一度「新年の抱負」を見なおしてみた。
(1)「ふしぎ!?」の謎解きを楽しむ!!
(2)「学び」と「整理」を進める!!
(3)共愉的世界を拡げる!!
 まだ「記憶」の範囲内にあった。

◆表紙画像集2016 更新 人里の自然シリーズ 藪柑子 (ヤブコウジ)
 藪のなかで、藪柑子を見かけるとなにかとてもうれしい気分になる。
祝いの「赤い実」のひとつだ。
センリョウ、マンリョウなどとともに親しまれてきた実でジュウリョウとも言うらしい。
私の目には、一粒でも千も万もの輝きをはなっているように見える!!
 寺田寅彦も気に入っていたらしく、「藪柑子」を筆名のひとつに使っていた。
そう言えば、寅彦の墓の近くにも藪柑子が赤く輝いていた。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 実際のオンライン「寅の日」は、この一週間に一度だけだった。でも連日のように寅彦の世話になっていた。
没後80年!! まったく新鮮さを失わない。
むしろ今なお先駆的!!

◆Webテキスト『天気の変化』の可能性!? 更新!! 
「雲見」「天気コトワザ」につぐ、第3のアイテム「俳句歳時記」を模索していた!! 
  
◆新・クラウド「整理学」試論 更新!!
 「新年の抱負」(2)「学び」と「整理」を進める!!に関連していろんなことをやってみる必要がありそうだ。


さあ、第3週目 ゆっくり 急ごう!!

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Twitterはじめて2,301日目に思うこと!!

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▼大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから41週目だった。
寒に入っての冷え込みは本格化していた。それを観察池の氷が教えてくれていた。
厚さもかなりのようだ。
氷の描く、幾何学模様もいつも同じというわけではなかった。
そんなアタリマエがとても「ふしぎ!?」に見えて面白いと思った。
▼午後からファラデーラボの「かがくカフェ」に参加させてもらった。

◆第64回かがくカフェ「プラスチック加工のかがく」

教材づくり工作の巧の技をみせてもらった。美事なものだった!!
感動してしまう。
体験もさせてもらった。
「手づくり教材工作」!!根っからの不器用な私などどちらかというと敬遠してきた方だ。
でも実際にこうして見せてもらい、やらせてもらうと面白いものだ。
教材を手作りすることは
・作るプロセスそのものが最高の教材研究になる。
・自分自身がモノから学ぶことができる。
・「授業」への思い入れが可視化される。
・そして、なにより楽しい!!
不器用な私も、何かを作ってみたくなった。深謝!!
▼昨日(2016/01/09)は、もうひとつちょっとした記念日だった。
Twitterをはじめてから2,300日目だった。始めたは、2009/09/23だった。
それ以来100日ごとに「Twitterはじめて○○00日目に思うこと!!」を書いてきた。
それは、私自身の「現在地」の確認であった。
一日ずれるが、やっぱりこれを書いて「記録」しておこうと思う。
最近書くことはきまっていた。

Twitter的=「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」「アクティブ」

6つのフレーズ、キーワードこれは、Twitterそのものだけを意味しない。
私の流儀であり、作風である。
さらに大袈裟に言えば私の哲学だった。
Twitter的の「現在地」を確認することが、今の自分の「現在地」確認することでもあると思っていた。
▼前回の「Twitterはじめて2200日目に思うこと!!」から、何がどれだけ進んだだろう。
 最近、かなり気になっているフレーズがある。
それは、
「連句的」!!
というコトバだ。
 元々は「寺田物理学」との関係で知ったコトバだ。
 寺田寅彦は、晩年「連句」にはまっていたそうだ。
寅彦の物理研究の発想も、「連句的」なのでは?という話を聞いた。
「連句」が如何なるものかも知らぬドシロウトが言うのも恥ずかしいが、なぜか私は、この「連句的」というコトバに強く惹かれるのだ。
 一見、何の関係ないモノを本質的なところでツナイデ考える。そこに一定のルールを発見する。
そのルールを使えば、違う世界が見えてくる!!

大賀ハス観察池にできた「直線」は真っ直ぐだ!!
我々が「直線」を描くには定規を必要とするのに!!
自然は定規を持っているか!?
「ふしぎ!?」だ。

Twitterはじめて2,301日目の朝、こんな変なこと考えていた。

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本日(2016/01/09)、第118回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼「雲見」の面白さは?
と問われると答えに窮してしまうところがある。
「やってみたら、わかるのでは…」としか答えられない。人それぞれの楽しみ方があるのではないかと思っている。私の場合なら、少し答えられる。
 「八日」の「雲見」も面白かった。冷たい風が吹き、寒中らしくなってきた。
 次々と表情を変える雲を見ているだけでもけっこう面白い。「雲見」をしながら、今自分がいる「大気の物理学実験室」での大気の動きを想像してみる。
 これが実に面白い!!
あの雲はほんとうに氷晶でできているのだろうか?
わずか10㎞ほど上空の大気はほうとうにそんなすごい風(ジェット気流)が吹いているのだろうか?
 ときに、高層天気なども参考にさせてもらう。
ホントだ!!
これだけ温度が低ければ「氷晶」にも納得!!60m/sの風(ジェット気流)も納得!!
また、再び「雲見」をかえる。「実験室」のイメージがより膨らむ。
やっぱり、「雲見」は面白いものだ。
 100年も前に科学者・寺田寅彦は、正確にではないにしても、「氷晶」のことも、「ジェット気流」のことを知っていたらしい。さすがだ!!
 きっと、寅彦は「宇宙見物」だけでなく、「雲見」も大好きだったにちがいないと勝手に思っている。
▼今日はその寅彦を読む日だ!!
今年はじめてのオンライン「寅の日」。第118回オンライン「寅の日」だ。
 一月のテーマは「文化としての科学」だ。
大きなテーマである。どこからはじめればいいのやら躊躇してしまうが、まず読めば、きっと寅彦自身が答えてくれると信じている。第一弾は「科学者と芸術家」である。
ちょうど100年前に書かれたものである。100年後の今、どう読めるだろう?

◆本日(2016/01/09)、第118回オンライン「寅の日」!!

●「科学者と芸術家」(青空文庫より)

▼この随筆が書かれた1916年(大正5)は、寅彦にとってはとても意味ある年だった。
東京帝国大学理科大学教授に就任した年であり、胃潰瘍発病をしたのもこの年。
そして、この文章にも登場する生涯の師・夏目漱石が亡くなったとしでもある。
 高知県立文学館(寺田寅彦記念室)寺田寅彦記念館で、彼の描いた絵や、愛用した楽器などを見せてもらっているとすぐれた「芸術家」としての顔ももっていたことがよくわかる。今で言う「文理融合の人」だったのだ。
 この文章を読みはじめたときは、「科学者」「芸術家」というふたつの顔をもつ寅彦が「科学者」と「芸術家」の橋渡しをするために書いたのかと思っていた。そのつもりで読んでいた。
 もちろんあの説得力あるコトバが並ぶ。ナルホドとうなずくばかりだ (゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
そして、前半最後にこうしめくくる。

このある物をしいて言語や文学で表わそうとしても無理な事であろうと思うが、自分はただひそかにこの「ある物」が科学者のいわゆる「事実」と称し「方則」と称するものと相去る事遠からぬものであろうと信じている。

▼そして、こう続ける。

しかしこのような問題に深入りするのはこの編の目的ではない。ただもう少し科学者と芸術家のコンジェニアルな方面を列挙してみたいと思う。

では「この編の目的」はどこにあるのだろう!?
ここからは、浅学な私の勝手な読み解きである。
この文章の「目的」は、「科学者」「芸術家」に語りかける呈をなしながら、自分自身を語ることにあったのではないか。「科学者」「芸術家」の二つの顔をもつと言われるけど、それは「別の顔」をもつと見られねかも知れないが、「私のなかではひとつことなんだよ!!」と独白したかったではないだろ。
いや、そう書くことで自分で納得したかったのではないだろうか。自らのアイデンティティを求めていたのでは?

だから、常に軸足は「科学者・寺田寅彦」にあった。
そんなつもりで読みなおしてみるとまたちがって読めてきた。
後半は、これ以降展開していく自らの「研究」の作風を書いているのでは?

観察力が科学者芸術家に必要な事はもちろんであるが、これと同じように想像力も両者に必要なものである。
総合という事がなければ多くの科学はおそらく一歩も進む事は困難であろう。一見なんらの関係もないような事象の間に密接な連絡を見いだし、個々別々の事実を一つの系にまとめるような仕事には想像の力に待つ事ははなはだ多い。
また科学者には直感が必要である。古来第一流の科学者が大きな発見をし、すぐれた理論を立てているのは、多くは最初直感的にその結果を見透した後に、それに達する論理的の径路を組み立てたものである。純粋に解析的と考えられる数学の部門においてすら、実際の発展は偉大な数学者の直感に基づく事が多いと言われている。

もちろん寅彦はセレンディピティが突然訪れものではないことは心得ていた。
だからこう言っていた。

 もっともこのような直感的の傑作は科学者にとっては容易に期してできるものではない。それを得るまでは不断の忠実な努力が必要である。つとめて自然に接触して事実の細査に執着しなければならない。常人が見のがすような機微の現象に注意してまずその正しいスケッチを取るのが大切である。このようにして一見はなはだつまらぬような事象に没頭している間に突然大きな考えがひらめいて来る事もあるであろう。

最後にはぜひとも留意しておくべきことまで書いていてくれた。

芸術家科学者はその芸術科学に対する愛着のあまりに深い結果としてしばしば互いに共有な弱点を持っている。その一つはすなわち偏狭という事である。

 こうして読み進めてみると、これらの文章が「これから」の科学を考える上でとても重要な示唆をあたえてくれるように思えた。
 これは、まさに「寺田物理学」宣言だ!!


さあ、今日の「雲見」どうだろう。
何が見えてくるかな?

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「俳句」という自然観察の方法について(4)

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▼「七日」「七日正月」「人日」の「雲見」!!
朝から七草粥を二杯、昼にも二杯もいだいてしまった。少し食べ過ぎた。
いつものように「雲見」三昧の一日だった。
寒に入っているというのにやっぱりあたたかかった!!例年の「七日正月」ではなかった。
「雲見」定点観測地の足元には、はやくもホシノヒトミがめざめていた。
▼一日おだやかな「雲見」かと思ったらそうではなかって、夕方近くになって、ほんのわずかであったが「時雨」がしてきた。こんな「時雨」はなんと呼べばいいのだろう。
数ある「時雨」バリエーションのなかから「選択」しようとするが、ピンと来るのがない。
ないときは、創る!! それが我が儘な私流!!
冷たい風は日本海を渡り、生野峠にぶち当たり「上がると シンシン」で雪が降っているのかも知れない。
その「おこぼれ」が、市川を沿った谷からやってきたのか!?
だから、「こぼれ時雨」「おすそ分け時雨」!!
でもきれいじゃないな。(^^ゞポリポリ
ピッタリのはないかな???
 またしても、師匠・寺田寅彦のコトバのお世話になろう。

だまされし星の光や小夜時雨     羽紅

 見方によつては厭味[#「厭味」は底本では「壓味」]な所謂月並にもなり得るであらうが、時雨といふ現象の特徴をよく現はしたもので、氣象學教科書に引用し得るものであらう。(『天文と俳句』より)

師匠にこう言ってもらえるような呼び名はないかな?
▼「雲見」「天気コトワザ」「俳句歳時記」、この3ついずれも私は「大気の物理学」とリンクして考えたかった。
けっして「大気の物理学」と対峙するものと考えたくはなかった。
私は今、「科学」とはそんなものだと考えている。
ここでもやっぱり師匠のコトバを借りよう。
これからの「科学者の仕事」として次のように言っていた。

 現在の意味での科学は存在しなかったとしても祖先から日本人の日常における自然との交渉は今の科学の目から見ても非常に合理的なものであるという事は、たとえば日本人の衣食住について前条で例示したようなものである。その合理性を「発見」し「証明」する役目が将来の科学者に残された仕事の分野ではないかという気もするのである。(『日本人の自然観』より)

これは「科学者の仕事」!!
ナラバ私にもできることは何か?
▼めざしたいことがあった。
これもまたまた師匠のコトバをかりよう。

顕微鏡で花の構造を子細に点検すれば、花の美しさが消滅するという考えは途方もない偏見である。花の美しさはかえってそのために深められるばかりである。花の植物生理的機能を学んで後に始めて充分に咲く花の喜びと散る花の哀れを感ずることもできるであろう。(『科学と文学』より)

「俳句歳時記」と「大気の物理学」をうまく融合させて一句を詠む!!
それは、「俳句」初学者にとってはトンデモ夢物語!?
オオボラついでに、
俳句結社・「寅の日」の会は、遠い遠い夢である。
しかし、遠いことは諦める理由にはならない!!

これ以上屁理屈ばかりを語っていると、師匠に怒られそうだ。
入門を許されないかも…(^^ゞポリポリ
「まず観察せよ!!」のコトバが聞こえてくる。

さあ今日も、「雲見」と「宇宙見物」ダ!!
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「俳句」という自然観察の方法について(3)

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▼「六日」「小寒」の「雲見」!!
 ついに「寒」に入った。しかし、それはあくまで暦のうえでのこと、少しは寒くなってきたというもののその実感はなかなか湧いてこなかった。
 「雲見」をして、10種雲形の「もくもくシール」からどれかひとつを選び、「雲見」カレンダーに貼り付けるだけ。
きわめて単純な作業である。
 昨年一年間、毎日繰り返した作業だ。今年もこれを続けていた。
 昨日もよく迷った。定刻の9時には、まったく青空がなかった。
「高層雲」だろうか、「巻層雲」だろうか?
「地面に太陽の影はできているだろうか?」「真っ白or灰色?」
まちがったからと言ってどうってことはない。
でも、この迷うことがすごく大切だと思っていた。
「高さは?」「水滴か氷晶?」等々の付加情報をいっぱい考えることになるから…。
一時間もしたら、その迷いはウソのような空になった。
単純に思えた「雲見」もなかなか一筋縄ではいかない。
だからこそ面白い!!
▼第3の「俳句歳時記」にも同じようなことが言えるのではないだろうか。
ある作業を意図して観察するとこれまでとまったくちがったものが見えてくるのではないだろうか。
 ここで、再び師匠・寺田寅彦(勝手に師匠にしてしまっている(^^ゞポリポリ)のコトバを借りよう。

 

俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の練磨(れんま)を要求する。俳句をはじめるまではさっぱり気づかずにいた自然界の美しさがいったん俳句に入門するとまるで暗やみから一度に飛び出してでも来たかのように眼前に展開される。今までどうしてこれに気がつかなかったか不思議に思われるのである。これが修業の第一課である。(『俳句の精神』より)

さすが師匠!!
うまく言うな。これぞ、寅彦流「俳句入門のすすめ」だ。
▼師匠のコトバは、甘いだけではなかった。きびしくもあった。
続けてこう言っていた。

しかし自然の美しさを観察し自覚しただけでは句はできない。次にはその眼前の景物の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要である。これはもはや外側に向けた目だけではできない仕事である。自己と外界との有機的関係を内省することによって始めて可能になる。  句の表現法は、言葉やてにはの問題ばかりでなくてやはり自然対自己の関係のいかなる面を抽出するかという選択法に係わるものである。  このような選択過程はもちろん作者が必ずしも意識して遂行するわけではないが、しかしそういう選択の能力は俳句の修業によって次第に熟達することのできる一種不思議な批判と認識の能力である。こういう能力の獲得が一人の人間の精神的所得として、そう安直な無価値なものであろうとは思われないのである。(『俳句の精神』より)

「焦点となり象徴となるべきものを選択」するとはどんな作業?
入門希望の超初心者の私は、「季語」の選択と読んだが?

師匠は、究極のツボにも言及されていた。

これは普通字句の簡潔とか用語の選択の妥当性によるものと解釈されるようであるが、しかしそれよりも根本的なことは、書く事の内容の取捨選択について積まれた修業の効果によるのではないかと思われる。俳句を作る場合のおもなる仕事は不用なものをきり捨て切り詰めることだからである。。(『俳句の精神』より)

これは道が遠そうだ!!
まあ、ゆっくりボチボチといこう。
▼夕方になって、再び雲がおおくなって、一昨日のように「時雨」て来そうな気がした。
待てよ!!
寒に入っても「時雨」って言うのかな。
再び『俳句歳時記』で【時雨】を見た。

【時雨】時雨る 朝時雨 夕時雨 小夜時雨 片時雨

「時雨」にもいろんなバリエーションがあるものだ。
それが面白い!!
もっともびったりとくるものを「選択」していくのだ。それが修行!!

今日は「七日」、七草粥を食べる「七日正月」だ。
歳時記を開けているついでにながめているあいだに「人日」という季語をみつけた。
そうか、今日「七日」は「人日」とも言うのだ。発見!!
「人日」の「雲見」は!?

(つづく)
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「俳句」という自然観察の方法について(2)

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▼はやくも「六日」、「小寒」つまり「寒の入り」である。
「五日」の「雲見」は、本来の冬が少しだけ戻ってきたようだった。
刻々と空の表情は変わっていった。
それを見ているだけでもけっこう楽しめるものだった。
昼過ぎにはついに雨が降ってきた。
そして夕方にはやんだ!!
▼「雲見」「天気コトワザ」につぐ第3の「観天望気」の手段としての「俳句」「歳時記」!!
私は、この指南役を勝手に決めていた。
オンライン「寅の日」でずっとお世話になっている寺田寅彦である。
寅彦は「天文と俳句」のなかで次のように言っていた。

古人の句には往々かういふ科學的の眞實を含んだ句があつて、理科教育を受けた今の人のに、そのわりに少ないやうに思はれるのも不思議である。昔の人は文部省流の理科を教はらないで、自分の眼で自然を見たのである。

 

要するに此處で所謂「天文」の季題は俳句の第一要素たる「時」を決定すると同時に「天と地の間」の空間を暗示することによつて、或は廣大な景色の描寫となり、或は他の景物の背景となる。

歳時記の「天文」の意味がグッと見えてくる一文である。
▼さっそく手持ちの『俳句歳時記』で、「天文」の項を見てみる。
まずは「新年」の巻からである。

「初空」
「初日」
「初明り」
「初東雲」
「初茜」
「初晴れ」
「初東風」
「初風」
「初凪」
「初霞」
「淑気」

元日の「雲見」に関するものばかりような気がする。
なんでも「初」をつければ成立かな!?
▼もう少しお正月バージョンを脱して汎用性の高いものではどうだろう。
「冬」の巻を見てみる。

「冬の日」
「冬晴」
「冬早」
「冬の空」
「冬の雲」
「冬の月」
「冬の星」
「冬凪」
「御講凪」
「凩」
「寒風」
「北風」
「寒風」
「北颪」
「神渡」
「ならひ」
「隙間風」
「虎落笛」
「鎌鼬」
「初時雨」
「時雨」
「冬の雨」
「霰」
「霙」
「霧氷」
「初霜」
「霜」
「雪催」
「初雪」
「雪」
「雪女郎」
「風花」
「吹雪」
「雪しまき」
「冬の雷」
「雪起こし」
「鰤起こし」
「冬霞」
「冬の靄」
「冬の霧」
「冬の夕焼」
「冬の虹」

まあ、ずいぶんあるものだ。書き写すだけでも一苦労だった。
でも面白い!!
寅彦の言っていることが、少しだけ見えてくるような気がした。

さあ、今日は「寒の入り」だ。
どんな「雲見」がまっているのだろう?

(つづく)

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「俳句」という自然観察の方法について(1)

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▼久しぶりにじっくりと定点観測地からの「雲見」をした。
「四日」の「雲見」である。とても正月とは思えぬ陽気であった。
今、アメダスで確認したところ15.2℃まであがっていたようである。
午前中は恒例の「とんど」準備をした。「とんど」本番は14日夕方である。
▼昨日、気象庁から
◆2015年(平成27年)の日本の天候
の発表があった。
 2015年を「記録」した貴重なデータである。
「平年値」とは、「1981~2010 年」の30年間のデータに基づいたものである。
最新データの「日本の天候」とはこれである。
では、100年、200年、300年前の「日本の天候」とはどうだったのだろう。
少しばかりの変化があるかもしれないが、ベースとなる四季に応じた「日本の天候」があるのではないだろうか。
それを少しずつでも理解していきたいものだ。
▼「雲見」「天気コトワザ」につぐ第3の有効な手段を捜していた。
とても唐突な話ではあるが、私はそれを「俳句」に見出そうとしていた。
 80年前、寺田寅彦は『日本人の自然観』で次のように言っていた。

短歌俳諧(はいかい)に現われる自然の風物とそれに付随する日本人の感覚との最も手近な目録索引としては俳諧歳時記(はいかいさいじき)がある。俳句の季題と称するものは俳諧の父なる連歌を通して歴史的にその来歴を追究して行くと枕草子や源氏物語から万葉の昔にまでもさかのぼることができるものが多数にあるようである。私のいわゆる全機的世界の諸断面の具象性を決定するに必要な座標としての時の指定と同時にまた空間の標示として役立つものがこのいわゆる季題であると思われる。

ここに大いなるヒントがあるように思えてならないのである。
「最も手近な目録索引としては俳諧歳時記(はいかいさいじき)がある」
に注目したいのだ。
 自然を切り取って、5・7・5で詠む。そのときの「季題」!!
それは「雲見」における「10種雲形」のような役割をするのではないか。
それが、私の作業仮説であった。
▼私の手持ちも歳時記は『俳句歳時記』(角川学芸出版編 角川文庫)である。
「春」「夏」「秋」「冬」「新年」の5巻に分かれている。
シロウト丸出しの私が最初に驚いたのは、「新年」の巻があることである。
もちろん「総索引」も兼ねての一巻であるので、丸ごと「新年」ではないが、それでもやっぱり驚きなのである。
それだけ「新年」は意味ある「季節」なのであろう。
「新年」の巻の【時候】を見て、さらに驚くのであった。
「新年」
「正月」
「元日」
「三が日」
までぐらいは季語になるだろうことはシロウトの私にも理解できる。
驚いたのは次だ。
「二日」
「三日」
「四日」
「五日」
「六日」
「七日」
まで、みんな「季語」なんだ!!
一日一日が意味ある日々なんである。
なんかこの世界は奥深そうだ!!

今日は「五日」だ。
「五日」の「雲見」とはどんなだろう?

(つづく)


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【Web更新1/3】16-01 Webテキスト『天気の変化』の可能性!? 等更新!!

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古き友 熱く語りし 新年や 16/01/03 (日)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】16-01
週末定例更新のお知らせ
 今年はじめての週末定例更新である。
 なかみとしてはわずかなる微更新にすぎない。しかし、その微更新することに意義を見いだしていた。
今年も52回の週末定例更新をめざして ゆっくり 急ぐ!!

◆表紙画像集2016 更新 人里の自然シリーズ マンリョウ
 庭に祝いのマンリョウがみごとであった。しかし、不思議だった。
こんなところにマンリョウを植えた憶えはないのに、絶妙の位置に育っていた。
ゲホウグモの柿の木の下、空より青いゴシタマの側だ!!
鳥が実を運んだのだろうか?それとも…?
赤い実を楽しんでから、恒例の新年会に参加した。

◆Webテキスト『天気の変化』の可能性!? 更新!!
 共愉的に「気象学」を学ぶためのテキストづくり。
 この歩み、いかに遅々たるものになろうとも今年もとめないつもりだ!!

◆新・クラウド「整理学」試論 更新!!
 年末年始を「整理」した。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 オンライン「寅の日」を基点としたヒューマンネットワークを今年も拡げていきたい。 

 新年会の前に、姫路城で「雲見」をした!!

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1月(睦月)の天気コトワザ!!

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▼恒例の初詣ででの「雲見」だった。
標高660mの山の上であるにもかかわらず比較的あたたかった。
山門につけられた温度計はちょうど0℃をさしていた。例年雪が降っているか、そうでなくても道路周辺にはそれまでに降った雪が必ず残っていた。ところが今年ばかりはまったく雪は見られなかった。
記憶にないあたたかさだった。
 いつもなら、見渡せる大阪湾も雲でまったく見ることができなかった。
▼雪のまったくないお正月!!
そんな幕開けの1月のお天気。古の人の「観天望気」の遺産=天気コトワザをみせてもらおう。
いつものように

◆『天気予知ことわざ辞典』(大後美保/編 東京堂出版 昭和59.6.15)

から引用させてもらおう。(番号は私が勝手につけた。)27個があがっていた。

(1) 餅に赤カビ生えれば日照り、青カビ生えれば雨
(2) 鏡餅の割れ多ければ豊作
(3) 鶴仰ぎ鳴くは晴、うつむき鳴くは雨
(4) 塩堅きはお天気続き
(5) 炭火よくおこるは晴
(6) 冬、北風つのれば雪となる
(7) 煙が直立して上がれば晴、たなびけば雨の兆し
(8) 寒中の南風俵を編んで待て
(9) 冬スズメが群がり鳴く時は雪
(10)煤が落ちると雨模様
(11)煙突の吸い込みが悪いときは雨
(12)冬の霞は雪となる
(13)冬の三日の大荒れなし
(14)冬、月夜のときは翌朝か、翌日の昼から雪
(15)冬空に大音響あれば、大雪の兆し
(16)磯鳴りは西風強くなる兆し
(17)一月の寒の入りに雷鳴あれば、その年大雪あり
(18)冬の夜ざえは雨近し
(19)冬期、風が東より西に吹けば雪
(20)冬、山に霧多きは大雪の兆し
(21)冬の夜の明るいのは雪の降る兆し
(22)寒に霜多きは年は夏干ばつあり
(23)寒中霧を見る時には晩霜あり
(24)寒に雨なければ夏日照り
(25)フクロウが鳴くと天気
(26)寒が暖かいと凶作
(27)寒中の雷は豊作の兆し

▼一覧にしてみて気づくことがいくつかあった。
一番さきに気づいたのは
・豊作、凶作に関するものが多い
年のはじめということもあって、なおさらこの一年の農作の動向が気になったのだろう。
アタリマエ!!
次に気づいたのは、「寒」という暦である。
暮らしと密接に結びついた暦において、「寒」はひとつ大きな節目である。
「寒」のころにどうであるかは、一年の天気を占う「ものさし」になっていた。
「寒」「雪」「雷」のキーワードは27個のうち次の数だけ出てきた。
寒…6
雪…9
雷…3
やっぱり「雪」がいちばん多い。
▼次に気づくのは、何月でも大なり小なり感ずることであるが、特にこの1月はより強く感じるのであった。
「天気コトワザは地域的特色を持つ」
ということだ。太平洋側で通用するコトワザが日本海側でまったく使いモノにならない。
それどころか、まったく逆のことが言えるという場合も多くある。
これはきわめてアタリマエ!!のこと。
 そして、「天気コトワザ」を使いモノにして行く上でもっとも留意することでもある。
 
持ち合わせの「大気の物理学」を駆使して、「天気コトワザ」を読み解く作業。
今年も続けて行きたい!!

蓮根の植え替えから40週目の大賀ハス観察池にも、氷はなかった。
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1月(睦月)の「雲見」は!?

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▼2015年の「雲見」は、これまでの年に増して楽しかった!!
それは、きっと「もくもくシール」があったからだろう。
「雲見」という自然観察の奥深さを知ることもできた。
「十種雲形」が、やがて観天望気の「ものさし」のようにもようやくみえてきた。
けっきょく365日、一日も欠かすことなくシールをはることができたからだろう。
365日の「天気」も記録することができた。
記録し一覧することによってはじめて見えてくることも多くある。
▼だから、これは2016年も続けようと思う。
2016年の「雲見」は、初日の出からはじまった。この位置も記録した。
そしていつもの「雲見」定点観測地に立った。
さあ、この1月(睦月)の「雲見」はどうなるのだろう?

いつものように

◆気象庁・一か月予報(近畿地方PDF版)

を参照させてもらった。
 気温は比較的高いようだ。
 雪を見ることはないのだろうか?
まだわからない。それが面白い!!
▼次にこれもいつも参照させてもらっている

◆『12ヶ月のお天気図鑑』(武田康男・菊池真以著 河出書房新社)

を見せてもらう。まず1月(睦月)にあがっている画像をひとつずつ楽しませてもらう。

「冬晴れ」
「冬日」
「雪雲」
「寒の入り」
「波状の彩雲」
「ジェット気流」
「日本海の雪」
「旗雲」
「忍者雲」
「冬茜」
「寒風」
「夜景」
「雪あられ」
「雪まくり」
「ぼたん雪」

どれも美しい!!
それだけでない教えられることがある。
それは、予想しての「雲見」!!その面白さだ!!
「大気の物理学」から考えて「こんなものが見えるはず…」と予想しての「雲見」は、「雲見」の醍醐味でもあった。
さて、私はこれらのうちいくつの「雲見」ができるだろう?
▼今日は、初詣で少し高い山の上に行く。
雪は降っているだろうか?
そこからの「雲見」はどんなだろう?

今年も366日、毎日「雲見」続けられたらうれしいな!!
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新年の抱負2016 !!

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初春や 「ふしぎ!?」の旅の どこまでも  @福崎


新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします<(_ _)>                2016 元旦       

今年の新年の画像はタンポポ!!
「あまり正月らしくないね。」と笑われてしまった。
でも、今年のお正月はそうとばかりは言えないかも…。

▼これも恒例化してきた「新年の抱負」をあげて置く。
この一年ときどき、自分で参照するために。
これもいつものように3つにしておこう。

(1)「ふしぎ!?」の謎解きを楽しむ!!

(2)「学び」と「整理」を進める!!

(3)共愉的世界を拡げる!!

▼具体的には、しばらく時間をかけて考えて行こうと思う。
この3つを含めながら、今年も一年を通して継続してやっていきたいことがある。
思いつくままにいくつかならべてみる。
◆毎日の「雲見」と「宇宙見物」
◆オンライン「寅の日」
◆「立春の卵」「○○に卵を立てよう!!」キャンペーン
  現在は「お正月に卵を立てよう!!」キャンペーン実施中!!
◆日々blog更新、週末Web更新
等々である。

▼「三日坊主」になっても、122回繰り返したら365日になる!!
ともかく「繰り返して」みようと思う。
私にも可能なことを、可能なかぎり!!

ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

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