本日(2015/10/29)、第111回オンライン「寅の日」!!#traday
▼もう限界だと思った!!
ヒガンバナ散策道に最後までひとつだけ残しておいた「自然結実」するヒガンバナ花茎である。
これまで見てきた体験から、
「自然結実」する花茎は他の花茎が枯れて倒れても「完熟」するまで緑を残し立ったままである。
と思っていた。だから、他のものは「水栽培」にシフトしてもこれだけは残して置いた。
残念ながら、そうはいかなくなってしまった。
花茎は緑を失ってしまい、花軸(仮にそう呼んでおく)の部分と膨らんだ子房部だけが緑を残す状態になってしまった。
屋外ではこれは見失ってしまう可能性がある。
思い切って採集し、家に持ち帰りこの後の観察をすることにした。
庭の「自然結実」しかけたものも同様な状態になった。
これでほんとうに「完熟」までいくだろうか? 自分の眼で確かめたい!!
「自然結実」を科学するはまだまだ続く!!
▼本日(2015/10/29)は、第111回オンライン「寅の日」である。
9月の終わりからずっと「柿の種」を読み続けてきた。今回はその最終回となる。
「柿の種」を読んでいて、つくづく感じたのは、寺田寅彦は「科学者」であるということだ。
ホンモノの「科学者」だ!!
謎解きをする=科学する 名人だ。
同時に「ふしぎ!?」をみつける名人でもあった。
今回は、「短章 その二」を全部読む。
◆本日(2015/10/29)、第111回オンライン「寅の日」!!
▼「短章 その二」は晩年に書いた短文集だ。
病床にあって書いたものも多い。日常生活のなかにも「科学」をみつけていた。
時代をながめ、寅彦の視点からの提言もある。独白的な文もある。
他の「作品」ではみられない本音的なものも多い。ともかく面白い!!
数あるなかでも、とても特別気に入った文章をみつけた!!
猫の尻尾(しっぽ)は猫の感情の動きに応じてさまざまの位置形状運動を示す。よく観察していると、どういう場合にどんな恰好をするかということはいくらかわかって来る。しかし、尻尾のないわれわれ人間には猫の「尻尾の気持ち」を想像することは困難である。舌で舐めたり後脚(あとあし)で掻いたりする気持ちはおおよそ想像してみることができても尻尾の振りごこちや曲げごこちは夢想することもできない。従ってわれわれは猫の尻尾の行動について「批評」する資格を持ち合わせない。 科学の研究に体験をもたない言わばただの「科学学者」の科学論には往々人間の書いた「猫の尻尾論」のようなのがあるのも誠にやむを得ない次第であろう。
ここに私は寅彦流「科学のすすめ」を読んだ。
▼一応すべてを読み終えて、最初のコトバにもどった。
棄てた一粒の柿の種
生えるも生えぬも
甘いも渋いも
畑の土のよしあし
今、「柿の種」は「科学の種」と読めてきた!!
「蒔かぬ種は生えぬ」
まずは可能な限りの「種」を蒔くところからはじめたいものだ!!
ヒガンバナ「自然結実」は私の手持ちの「種」のひとつ!!
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