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本日(2015/09/23)、第108回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼「ヒガンバナ日和」は続いていた。
定点観察地の花茎の本数を数えたら79本あった。どうやら、地下で次なる準備をしている球根もたくさんあるようだ。
 本日(2015/09/23)は、お彼岸の中日(秋分の日)と言うだけでなく、私にとってはちょっとした特別の「記念日」だった。ふたつある。
 ひとつは、ヒガンバナの「ふしぎ!?」をみんなで追いかける日本ヒガンバナ学会がスタートした日(2015/09/23)。
8年前であった。
 もうひとつは、今や「日常」のTwitterをはじめた日だった(2009/09/23)。6年前であった。
「歴史」は常に地続きである!!
▼そして本日は、第108回オンライン「寅の日」である。
いよいよ今日からはじめて、10月いっぱい「柿の種」を読む予定である。
今回は大正期に書いたものを中心に読むことにする。

■本日(2015/09/23)、第108回オンライン「寅の日」!!

「柿の種(1)」(青空文庫より)

「柿の種」を書いた大正9年(1920)から最晩年・昭和10年(1935)までの15年間とは、寺田寅彦にとってどんな時代であったのだろう。
 寺寅彦記念館友の会・年表を参考にさせてもらいながら概観してみた。
 今回は、そのうちの大正期を中心に読ませてもらう。
寅彦は「自序」の最後に次のように書いてくれていた。

 この書の読者への著者の願いは、なるべく心の忙(せわ)しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたいという事である。

 読みはじめて、すぐこの通りだと思った。
短い文章ばかりであるが、極めて濃度が濃いのである。
ひとつ読んで、「はい!では次」とはなかなかいかないのである。
面白すぎる!!
 一応、目安として4日に分けて10月いっぱいとしているが、今回にかぎり、10月末までは毎日がオンライン「寅の日」で行きたい気分だ。
▼巻頭はタイトル「柿の種」の所以を示唆するような詩からはじまっていた。

棄てた一粒の柿の種

生えるも生えぬも

甘いも渋いも

畑の土のよしあし

すぐ連想したのは、くだらない私ごとの話だった。
東の畑の隅に生ゴミ捨て場をつくっていた。もうなんでもかんでもそこに捨てていた。
いつのころからか、そこから柿の木が伸びてきた。いつかそこに食べた後の柿の種を捨てたのだろうか。
記憶にはなかったが。通行の邪魔になるのだが、その日を楽しみにそのままにしていた。
「桃栗三年柿八年」、そんなに経ったとは思わないが今年そこにいくつもの柿の実ができた。
秋になるのが楽しみだった。先日、そのひとつをもぎ取ってがぶりとかじってみた。
世の中の「渋み」をすべて集約したような…(゚o゚)ゲッ!!
渋柿だった!!

くだらない寄り道をしている場合ではなかった。
面白い!!実に面白いコトバが次々と展開されていた。
それは最初からだった。

日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。
 このガラスは、初めから曇っていることもある。
 生活の世界のちりによごれて曇っていることもある。
 二つの世界の間の通路としては、通例、ただ小さな狭い穴が一つ明いているだけである。
 …(中略)…
 まれに、きわめてまれに、天の焔(ほのお)を取って来てこの境界のガラス板をすっかり熔(と)かしてしまう人がある。
(大正九年五月、渋柿)

 その人とは、寅彦自身のことではなかったか。
引用はほどほどにと思いながらもやっぱり引用せざるを得なくなってしまう。

 宇宙の秘密が知りたくなった、と思うと、いつのまにか自分の手は一塊の土くれをつかんでいた。そうして、ふたつの眼がじいっとそれを見つめていた。  すると、土くれの分子の中から星雲が生まれ、その中から星と太陽とが生まれ、アミーバと三葉虫(さんようちゅう)とアダムとイヴとが生まれ、それからこの自分が生まれて来るのをまざまざと見た。  ……そうして自分は科学者になった。  しばらくすると、今度は、なんだか急に唄いたくなって来た。  と思うと、知らぬ間に自分の咽喉(のど)から、ひとりでに大きな声が出て来た。  その声が自分の耳にはいったと思うと、すぐに、自然に次の声が出て来た。  声が声を呼び、句が句を誘うた。  そうして、行く雲は軒ばに止まり、山と水とは音をひそめた。  ……そうして自分は詩人になった。 (大正九年八月、渋柿)

「雲見」の話もあった。

 気象学者が cirrus と名づける雲がある。  白い羽毛のようなのや、刷毛(はけ)で引いたようなのがある。  通例巻雲(けんうん)と訳されている。  私の子供はそんなことは無視してしまって、勝手にスウスウ雲と命名してしまった。 (大正九年十二月、渋柿)

もう少しだけ許してもらおう。

眼は、いつでも思った時にすぐ閉じることができるようにできている。  しかし、耳のほうは、自分では自分を閉じることができないようにできている。  なぜだろう。 (大正十年三月、渋柿)


虱(しらみ)をはわせると北へ向く、ということが言い伝えられている。
 まだ実験したことはない。
 もし、多くの場合にこれが事実であるとすれば、それはこの動物の背光性 negative phototropism によって説明されるであろう。
 多くの人間の住所(すまい)では一般に南側が明るく、北側が暗いからである。
 この説明が仮に正しいとしても、この事実の不思議さは少しも減りはしない。
 不思議さが少しばかり根元へ喰い込むだけである。
 すべての科学的説明というものについても同じことが言われるとすれば、……
 未来の宗教や芸術はやはり科学の神殿の中に安置されなければならないような気がする。
(大正十年四月、渋柿)

もう
「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」
ははじまっていた。

(つづく)
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