【お薦め本】『雲の中では何が起こっているのか』(荒木健太郎著 ベレ出版)
▼いつだってちがった「雲見」ができる。
と言ってはみるものの連日曇り空ばかりの「雲見」は少々飽きてきていた。
青空か゛少し恋しくなってきた。
昨日(2015/07/08)も午後にになってやっと少しだけ青空が見えたかと喜んだのもつかの間だった。
またしても、黒い雲に覆われ雨が降ってきた。
その雲をじっとながめていたら、今さらの「ふしぎ!?」が頭をもたげてきた。
「ほんとうに、あの雲から雨は降ってきているのだろうか?」
「あの雲の中はどうなっているのだろう?」
「あの雲のてっぺんにはほんとうに氷晶があるのだろうか?」
▼そんな今さらの私の「ふしぎ!?」にズバリ答えてくれるとても面白い本に出会ってしまった。
◆『雲の中では何が起こっているのか』(荒木健太郎著 ベレ出版 2014.6.25)
面白い!!
実に面白い!!
それ以上の言葉はなかった。
この面白さは拙文では伝わらないだろうと思いながらも「挑戦」してみる。
お薦めポイントは数えあげればきりがない。いつものように無理矢理3つに絞ってみる。
(1) なかなか見えてこない「大気の物理学」を、とても面白い「雲」物語で可視化してくれていた!!
(2) 「雲」を科学する面白さを存分に語っていた!!
(3) 雲研究最前線をわかりやすく真摯(誠実)に語ってくれていた!!
▼ひとずつもう少しくわしく、私の「文脈」に従って書いてみる。
(1) なかなか見えてこない「大気の物理学」を、とても面白い「雲」物語で可視化してくれていた!!
我々は「大気の物理学実験室」にくらしている。
日々の「雲見」は、ここでの日替わりメニューで繰り返される実験を観察することである!!
なんてカッコつけて言ってみるものの、実は私にはよく見えていなかった。
「身になって」考える。という思考方法がある。それは擬人化、擬人主義と言ってもよいかも知れない。私はすぐれた「科学の方法」でもあるとも思っていた。
気に入っていて授業で時々使ってきていた。
自然科学の対象物はモノであり人ではないが、それを人のように扱い、その人の「身になって」考えるのである。
著者のこの方法は徹底していた!!中途半端ではなかった。
空気塊は「パーセルくん」だ。この物語の主役だ。
雲は「クラウンドン」。その他にも次々と登場人物がいた。
「温低ちゃん」「トラフくん」「たつのすけ」「力士」「水蒸気」「水滴」「氷晶」…。
これは一時的な「たとえば…」の話ではなかった。きっちりと科学的根拠があった。
それがスゴイと思った!!さすが、プロの「雲」研究者だ!!
それは一貫していた。
この本の最初から最後まで、どんな気象現象を扱うときも登場人物たちは一定のキャラを持って登場した。
だから、いつのまにやら「あっ!!またあいつがやってきた」ということになる。
「トラフくん」と「温低ちゃん」の関係にもナルホド!!はじめて合点がいった!!
著者にはほんとうに「パーセルくん」や「たつのすけ」が見えているのではないかと思った。
それに見えていいるのは姿かたちだけでなく、心のうちまで見えているのではないかと。
そう思ったのはイラストのなかの吹き出しの「つぶやき」を読んだからだ。
うまい!!実にうまい!!
これを見るためにだけこの本を手に入れても損はしません!!
次に行こう!!
(2) 「雲」を科学する面白さを存分に語っていた!!
「楽しい授業」か「わかる授業」か熱く語り合ったこともあった。
よく考えてみたら、二者択一ではなく両方あるのが一番いい。
それが実現したかということはちょっと \(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ
「楽しい」+「わかる」=「面白い!!」
勝手に式をつくってしまった。
そう!!この本は科学することの「面白さ」を教えてくれていた。
見えていなかったものが見えてくる。
それが「科学すること」なんだ。
ひょっとしたら、この本は「雲」の科学に限らず、すべての「科学すること」の面白さを教えてくれているのかも知れない。
▼3つ目だ。
(3) 雲研究最前線をわかりやすく真摯(誠実)に語ってくれていた!!
この人はホンモノだっと思った!!
何者でもない私がエラソウに言うことではないが、これが率直な感想だ。
どこで、それを感じたかというと、どの章のどの項目も最後の文句がきまっていた。
「…ここまでがわかっています」
「まだまだわからいことでいっぱいです」
「これから、ここを研究していきたい」
と正直に語っていた。けっして「わからないこと」をわかった風に装ったり誤魔化したりしていなかった。
プロの研究者魂を見る思いだった。
いちばんそれを強く感じたのは、ゲリラ豪雨を語ったときのことだった。
こうしめくくっていた。
局地豪雨の仕組みを十分に理解し、天気予報に使う数値予報モデルに足りないものをすべて補えば、原理的にはゲリラ豪雨とよばれる予測の難しい局地豪雨はなくなります。これが実現するのはまだまだ先になりますが、みなさんが気象情報をうまく利用できる社会づくりとともに、ゲリラ豪雨という言葉がこの世からなくなる未来を私は夢見ています。(同書 P237より)
ともかく面白い!!
「雲見」を楽しむすべての人にお薦めである。
私も「雲見」のそばに置いておき、「大気の動き」が見えなくなったら度々「パーセルくん」に登場してもらって、気持ちを聞かせてもらいたいと思っている。
さあ、今日の「雲見」は、青空見えてくるかな!?
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