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本日(2015/07/01)、第101回オンライン「寅の日」!! #traday

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もくもくシールを使った6月の「雲見」カレンダーが完了した。
 それを見ながら、6月の「雲見」をふり返ってみた。
梅雨前線の「ふしぎ!?」にもあらためて出会った。「雲見」の旅にも行った!!
そして、2015年前半の「雲見」が終わった。

さあ、2015年後半の「雲見」が今日からはじまる。
▼本日(2015/07/01)、第101回オンライン「寅の日」である。
区切りよく、2015年後半のスタート同時に、101回目である。
今一度リセットとして、新たな気持ちでスタートしたい。
新たな気持ちで何を読むのか?
 少し迷ったが、「今、なぜ寺田寅彦なのか?」を自らに問いながら「科学上の骨董趣味と温故知新」を読むことにした。

◆本日(2015/07/01)、第101回オンライン「寅の日」!!

●「科学上の骨董趣味と温故知新」(青空文庫より)

▼寺田寅彦が没して今年でちょうど80年になる。
今日読む「科学上の骨董趣味と温故知新」は、1919年に書かれている。96年前である。
80年~100年の時空を越えて寺田寅彦は今、何を語りかけてくれているのだろう?
 いかにも寅彦らしい文章からはじまっていた。
「骨董趣味」と「科学」がどう結びつくのか?と思っているとこんな文章が出てきた。

もし科学上の事実や方則は人間未生以前から存していて、ただ科学者のこれを発見し掘出すのを待っているに過ぎぬと考える者の立場から見れば、このくらい古い物はない道理である。こういう意味からすれば科学者の探求的欲望は骨董狂の掘出し慾と類する点があると云われ得る。しかしまた他の半面の考え方によれば、科学者の知識は「物自身」の知識ではなくて科学者の頭脳から編み上げた製作物とも云われる。そう考えれば科学者の欲求は芸術家の創作的欲望と軌を一にする訳である。

納得である!!
 いつのまにやら寅彦の世界に引き込まれていった。
そして寅彦の本意に近づいていくのである。

最新の知識すなわち真である。これに達した径路は問う所ではないのである。実際科学上の知識を絶対的または究極的なものと信じる立場から見ればこれも当然な事であろう。また応用という点から考えてもそれで十分らしく思われるのである。しかしこの傾向が極端になると、古いものは何物でも無価値と考え、新しきものは無差別に尊重するような傾向を生じやすいのである。
 しかし自分の見る所では、科学上の骨董趣味はそれほど軽視すべきものではない。この世に全く新しき何物も存在せぬという古人の言葉は科学に対しても必ずしも無意義ではない。
このような類例を探せばまだいくらでもあるだろう。新しい芸術的革命運動の影には却って古い芸術の復活が随伴するように、新しい科学が昔の研究に暗示を得る場合は甚だ多いようである。これに反して新しい方面のみの追究は却って陳腐を意味するようなパラドックスもないではない。かくのごとくにして科学の進歩は往々にして遅滞する。そしてこれに新しき衝動を与えるものは往々にして古き考えの余燼(よじん)から産れ出るのである。

▼そして、結論へとツナガッテイク!!

しかしその半面の随伴現象としていわゆる骨董趣味を邪道視し極端に排斥し、ついには巧利を度外視した純知識慾に基づく科学的研究を軽んずるような事があってはならぬと思う。直接の応用は眼前の知識の範囲を出づる事は出来ない。従ってこれには一定の限界がある。予想外の応用が意外な閑人的学究の骨董的探求から産出する事は珍しくない。

この文章のなかで私が最も気に入った言葉が最後にあった。

新しい事はやがて古い事である。古い事はやがて新しい事である。


もう一度、「今、なぜ寺田寅彦なのか?」を問い返しながら読み返してみたい!!

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