Webテキスト『天気の変化』の可能性!?(72)
▼まだまだ「真夏日」が続いていた。32℃を越えいた。
どうなっているのだろう!?
この暑さに誘われて顔を出した大賀ハスの花芽はたった三日で、すべての立ち葉を追い抜いて頂点に達していた!!なんとその高さは25㎝にもなっていた。見る度に高くなっていくのだから驚きだ。
▼炎天下での「雲見」も続けていた。
誰かが気儘にイタズラ書きでもしているように刻々と変化自在に雲が姿かたちを変えていった。
これだけから、明日の天気を<予想>するというのはなかなか至難の業であった。
<予想>の前に願望が先立ってくる。
「もうそろそろ一雨降ってくれ!!」と叫びたい気分だ。
そうだ!!
「梅雨とは」「梅雨入りはいつ?」を科学しようとしていたのだ。
今は、悠長に「科学する」なんて言っているが、田植えを自分でやっているころはそれどころではなかった。
もっと、もっと切実な問題であった。
農業にたずさわるものにとって、「水」は死活問題だった。
▼少し横道にそれるが高橋金三郎が『科学の方法』のなかで次のようなことを語っていた。
科学者の方法は,前にも書いたように,多くの時間,労力,費用,技能を必要とするものだ。同時にそれは人間の歴史の長い積みかさねの産物だ。 科学は技術から生まれた「なんとかしてもっとよく,もっとたくさん,もっとらくに」の願望の歴史の中から技術が生まれ,科学へ発展したのだ。 科学者の直接の祖先は,農民であり職人なのだ。技術の方法と科学の方法に本質的な区別はない。農民や職人の生産の方法には,科学の方法が含まれている。そうでなかったら,一般市民のための理科教育に,科学の方法なんて無用になるだろう。子どもがすべて科学者になるわけではないのだ。(『科学の方法~ 科学的に行動する子どもをそだてるために~』(高橋金三郎編著 新生出版 1987.6.5)P14より)
Webテキスト『天気の変化』のねらいとするところもここにあった。
『天気の変化』における「科学の方法」をみつけたい。
それも使える「科学の方法」を!!
▼本筋にもどろう。
「いつ雨が降るのだろう?」
「ほんとうにこの週末には雨はふるのだろうか?」
「この地域が梅雨に入るのはいつごろなんだろう?」
もう一度根っこから「科学」してみよう!!
この「大気の物理実験室」を立体的にとらえるところから、「ふりだし」にもどって考えてみる。
昨日の「高層天気図」4枚(850hPa、700hPa、500hPa、300hPa)をプリントアウトしてみた。
さあ…
(つづく)
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