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本日(2015/03/27)、第93回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼私には、昨日(2015/03/26)はとても「ふしぎ!?」な日に見えた!!
朝から「雲見」の空に雲がなかった。青空のみが広がっていた。
そんな日は時々あった。そんなにめずらしいことでもない。でも昨日はちょっとちがっていた。お昼までそれが続いた。それでも、そのうち雲が見えてくるだろうと思っていた。それがちがっていた何度見上げても雲ひとつなかった。ついには陽が沈む夕方まで続いた。結局終日ひとつも雲を見なかった!!
 知る人にとってはこんな日はときどきあるのかも知れないが、私の記憶のなかにはなかった。
私には「奇跡の日」のように思えた!!
 地上天気図、高層天気、アメダスの記録をプリントアウトして残しておくことにした。
▼寅彦だったら、「こんな日」をどう見ただろう?
なんかちょっと「ふしぎ!?」をみつけたら、「寅彦だったら…?」と考えるのが習性になりつつあった。
本日(2015/03/27)は、第93回オンライン「寅の日」である。
2月3月のテーマは「寺田物理学」入門!!だった。読む作品は、「知と疑い」である。
寅彦の書いたもののなかでは比較的初期(1915年、大正4)に書かれたものだ。

◆本日(2015/03/27)、第93回オンライン「寅の日」

●「知と疑い」(青空文庫より)

▼私はあいかわらず2つの疑問を追いかけていた。その2つとは
(1) 「寺田物理学」はなぜ面白いのだろう?
(2) 「寺田物理学」の謎解きはどこまで進んでいるのだろう?
である。
 今回はいきなり(1)に答えてくれているようだった。私はグイグイと惹きつけられるようにこの文章を読んだ。
最初はこうはじまっていた。

物理学は他の科学と同様に知の学であって同時にまた疑いの学である。疑うがゆえに知り、知るがゆえに疑う。

そして「知と疑い」への誘いがつづく。

人間とは一つの微分である。しかし人知のきわめうる微分は人間にとっては無限大なるものである。
空間に対して無限であると同時に時間に対しても無限である。時と空間で織り出した Minkowski の Welt にはここまで以上には手の届かぬという限界はないのである。
疑いは知の基である。よく疑う者はよく知る人である。

▼「疑い」への誘いだけにとどまらないのが寅彦のさらなる魅力であった。
きっちりと次のように続けていた。

 しかれども大いに驚き大いに疑う無知者愚者となるためにはまたひろく知り深く学ばねばならぬのである。

さらには具体的に「疑い方」をも示してくれていた。

疑って考えかつ自然について直接の師を求めた者にいたって始めて一新天地を開拓しているの観がある。
すでに境界線に立って線外の自然をつかまんとするものは、いたずらに目をふさいで迷想するだけではだめである。目を開いて自然その物を凝視しなければならぬ。これを手に取って右転左転して見なければならぬ。そうして大いに疑わねばならぬ。この際にただ注意すべき事は色めがねをかけて見ない事である。自分が色めがねをかけているかいないかを確かめるためには、さらに翻って既知の自然を省みまた大いに疑わなければならぬ事はもちろんである。

もうすでに「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」ははじまっていたのだ。
 今からちょうど100年前、寅彦38歳のときのこの文は、物理学初学者に対しての「誘い」文であると同時に「寺田物理学」宣言文のように読めてしまうのだった。

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