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サイエンスコミュニケーター宣言(349)

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▼ヒガンバナの「ふしぎ!?」の謎解きも、実に単純な「ふしぎ!?」からはじまっていた。
「みごとな花が咲いているのに葉が見えないのは?」
「こんなりっぱな花を咲かせるのに実ができないのはどうして?」
「どうして増えるのだろう?」等である。
 謎解きはまだ紆余曲折していた。「自然結実」観察オフで得た確信もまた少し揺らぎ始めていた。
一昨日雨あがりに観察に行ってみると、少し残念なものを見た。
それは、せっかく子房部が膨らんでいるにもかかわらず花茎が萎れ倒れてしまっているものだったり、すでにそこから「種子」が飛びだした後のようなものを見たのである。
「自然結実」の可能性あるものをみつけたから、即「完熟」した種子を手に入れたわけではなかった。
そこに越えなければならないハードルがあった!!
▼「現在地」確認作業の方も少し急ごう。
第三の座標軸は

(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!

である。
 小中一貫が叫ばれるなかあえて「中学校」にこだわるのは別にそれを異議を唱えようというのではない。
それは、単に私が「中学校」現場にしかいなかったからである。
どうしても等身大に語ろうと思うと、こうなってくるのである。
▼私は、授業実践DBのなかに、
◆等身大の私の「ふしぎ!?」
からはじめて
◆卒業論文2題
いたるまでの「授業の記録」を残している。
実践録とよぶには少し恥ずかしい、拙い歩みの記録である。
まだ更新はつづけるつもりである。
▼私にとって、実践の記録とはどんな意味をもつものだろう?
そう考えたときいつも思い出す中村敏弘先生の言葉がある。

 

『もうひとつ、記録を書くことと、思想性を高めることを統一して行う仕事がある。それは、自分の認識の変化を書くことである。子どもの認識をどのように変えようと思って、自分の認識がどのように変わったか-自分が先生になった時から、どういうことがあったからどう変わったか、自分の記録を書くことである。
 実践を検討したり、批判したりするもと(基準)は、教師としての生活であり、それがこうすることによって、はっきりさせることができるのである。』
(『教育実践検討サークル~創造する東北の教師たち~』 (中村 敏弘著 国土社 1975.11.5) P423より)

(つづく)


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