【祝】本日(2014/11/23)、【理科の部屋】は満21歳に\(^o^)/
▼1951年3月30日。千葉県千葉市検見川の泥炭層から約2000前の古代ハスの実を大賀一郎先生は手に入れた。大賀一郎先生が68歳のときだった。
それから63年8ヶ月の「歴史」を経て、今我が家の観察池の地下に蓮根のかたちで眠っている。昨日は、蓮根の植え替えから34週目の定例観察日だった。
蓮根掘り返しまであと4ヶ月だ。いまどんなかたちで眠っているのか興味津々である。
▼すべてのモノゴトには「歴史」があった。
1993年11月23日。今から21年前の今日、【理科の部屋】は誕生したのである。
最近、古くからの友人に出会うとよく聞かれる。
『あの【理科の部屋】ってまだあるの?』と。
少し間をおいて内心と裏腹に弱々しく答える。
『うん、まだあるよ。』と。
▼「あるよ」の意味はふたつあった。
ひとつは、現実に【理科の部屋】5が存在することだ。
【理科の部屋】の歩みは営々と続いているのである。
21年前「パソコン通信」時代にはじまった歩みは、インターネットSNS時代の今も継続しているのである。
今は、撮った画像もすぐ見せてもらえる。面白い!!アリガタイ!!
▼もうひとつの意味とは、つぎのようなことである。
【理科の部屋】がはじまった当時、『【理科の部屋】とは?』の質問に応えて故高橋金三郎先生が書かれた『中学理科サークル通信ノート』への「呼びかけ文」を引用させてもらっていた。
あるオフのとき友人が言った。
「へー、【理科の部屋】ってそんな昔からあったんですね!!」
私は、この言葉にえらく合点した。ナルホド!!と思った。【理科の部屋】とは、そう言うものなんだとあらためて認識した。その思いは今も同じだ。
「ノート回覧」「手紙」「ハガキ」「サークル誌」→「パソコン通信」、ML→インターネット、SNS、Twitter、Facebook→… と時代とともにネットワーク環境は進化してきた。これからも…。
しかし、【理科の部屋】には「不易」なものがあった。
情報は発信するところに集まる!!
情報は交叉するところに生まれる!!
この思念が続く限り、【理科の部屋】は存在しつづけるのである。
今度聞かれたら、誇らしく、力強く答えよう。
「もちろん【理科の部屋】はありますよ!!これからもずっと…」
と。
【祝】 【理科の部屋】21歳おめでとうこざいます。
( ^_^)/□☆□\(^_^ )
| 固定リンク
コメント