新・「自由研究」のすすめ試論(104)
▼あいかわらず連夜、ゲホウグモがあの「芸術作品」を我が家の庭に作り続けている。どんなりっぱな作品でも、必ず翌朝4時すぎにはたたんで「店じまい」していた。それもまたみごとなあの瞬間技を駆使して。
飽きもせずに毎日それを繰り返していた。
そのはじまりから終わりまでの一部始終を「観察」できた。
▼今年の私自身の「自由研究」の目玉となった「クモ学」もここまできた。
当初は予想もしなかった展開であった。
とてもアリガタイ偶然が重なった。
今もなお信じられないような「発見」の連続であった。
ほんと思えば遠くへきたものだ!!め
▼まだ記憶が鮮明なあいだに記録化しておこうとおもう。
ここまでで一区切りつけて、今年の「自由研究」の取り組みから、「これから」の自由研究について気づいたことをいくつかをあげておく。
現時点で今から私自身もやろうと思うことである。
(1) 「ふしぎ!?」を不思議のまま発表しよう。
未完にこそ意味がある。「ふしぎ!?」の完全解決などありえない。
「ふしぎ!?」は不思議でありつづけるからこそ面白い。
次なる「仮説」はいくらやってもいい。
考察はいくらやってもいい。
わかったふりをしてはいけない。
わからないことはわからないとはっきりさせるから
「ふしぎ!?」は保留される。
▼関連するが
(2) 「失敗」を記録化しておこう。それを発表しよう!!
それがほんとうの「研究発表」だ!!
科学研究では「失敗」の記録こそ意味あるのだ。
「成功」例はコピペできても、「失敗」の記録はできない。
「失敗」の記録こそオリジナルで価値の高いモノなのだ!!
「失敗」は成功へのプロセスである。プロセスのことを「研究」とよぶのだ!!
| 固定リンク
コメント