【お薦め本】『科学のこれまで、科学のこれから』(池内 了著 岩波ブックレット)
▼それに気づいたのは昨日の朝だった。
もっと前からそこにあったのかも知れない。それは門先の花が咲き始めた南天の木についていた。数十㎝離れたところ同じものがふたつあった。
なんだろう?
以前に見たような気もするが、ちゃんと観るのははじめてだ。
表面の毛糸くずのような赤い糸はなんだろう。そもそもこの本体はなんだろう?
先日、子蜘蛛の団居を見た近くだ。蜘蛛の「卵のう」だろうか?
ネットや蜘蛛の図鑑で調べてみた。
まだ確かなことはわかないが「ゲホウグモの卵のう」では・・・
・蜘蛛の卵のうならこの後、子蜘蛛たちの団居を見ることはできるのか?
・赤い毛糸くずのようなものはいったいなんなのだ?
・親蜘蛛は近くにいるのか?
私の「ふしぎ!?」はふくらむばかりであった。
これが私の「等身大の科学」だった。
▼その「等身大の科学」を一貫して唱える科学者がいた。
池内 了氏だ。私はずっとこの人が唱える「等身大の科学」「新しい博物学」に興味を持っていた。
とりわけ3.11以降のこの人の語ることに注目してきた。
◆『科学と人間の不協和音』(池内 了著 角川書店 2012.1.10)
◆『科学の限界』(池内了著 ちくま新書 2012.11.10)
等でできるだけリアルタイムに追いかけるようにしてきた。
そして、今回
◆『科学のこれまで、科学のこれから』(池内 了著 岩波ブックレット 2014.6.4)
が出た。
▼ブックレットだからそんなページ数はない。
だがこれまでのエッセンスがぎゅっと詰まっていた。「これからの科学」に関わる人すべての必読書だ!!
書き始めるとダラダラとつづきそうなので例によってお薦めポイントを3つに絞った。
(1) 科学の「現在地」をリアルタイムとらえ語っている。
3.11以降の科学の「現在地」。STAP細胞騒動にも触れ、その背景にある現代「科学」の「異様さ」を説く。
今回はこの「異様さ」という表現を頻繁に使われていた。
(2) これまでの「文脈」を貫徹され「文化としての科学」の有効性、可能性が語られていた。
何度か、科学者の役割について書いておられた。
それは著者自身の決意表明にも読めた。
最初に目標(ゴール)を言っておこう。私が目指すのは、「より多くの人間が文化としての科学に親しむこと、科学者の役割はその手助けをすること」である。(同書 P48より)
(3) 「等身大の科学」「新しい博物学」の「これから」が具体的に語られていた。
この3つ目が、この著の最大のお薦めポイントだ。これまでの著にない特徴だ。
「等身大の科学」「新しい博物学」セットで著者のずっと主張してきたところである。共鳴もしなるほどと思ってきた。ところが、「それでは具体的になにからはじめれば…」と言うとき、私には見えてこなかった。
しかし、この著ではそれがきわめて具体的に語られていた。
最後には
最後に、私が今後進めていこうと考えているプロジェクトを簡単に紹介しておこう。(同書 P68より)
そこで提案されていること全面的に賛成である。納得だ!!
▼私もこの「等身大の科学」というコトバに共感し、多用してきた。
これからも使い続けていくだろう。
いつも思うのだが、著者の「等身大」と私の「等身大」ってサイズはちがうんだろうなと。
最近は居直ってきた。
それはそれでいいと思うようになってきた。いや、それだから面白い!!のだとも思うようになってきた。
それぞれの「等身大の科学」を追求すればいいのではないか。
著者が最後に書いた「科学のこれから」への構想がより具現化してくるとき、ぜひぜひ「リンク」させてもらおうと思う。
それまで、私は私自身の「等身大の科学」「新しい博物学」を追求していきたい。
今朝も起きるなり南天の木を見に行った。
やっぱり変わらずその「ふしぎ!?」はあった。
| 固定リンク
コメント