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【Web更新6/29】14-26 新・「自由研究」のすすめ試論 等 更新!!

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溝端の 羽やすめけり 半夏生 14/06/28 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】14-26
週末定例更新のお知らせ
 今日で6月も終わる。つまり2014年前半が終わるということでもある。
Webの週末定例更新も今年になって26回目の更新である。大きな声で「更新」と言えるほどの更新ではない「微更新」かも知れないが、曲がりなりも一回も欠かすことなく続けることができた。
 今、ちょっとはまっているインターバル撮影で言うなら、ちょうど一週間に一度シャッターをきるみたいなものだ。
つなぎあわせれば「動画」になるのだ!!
 2014年前半の私の「動き」は、この週末定例更新をつなぎあわせれば見えてくるのだろう。

◆表紙画像集2014 更新 人里の自然シリーズ  半夏生
 2年前に勤務校の用務員さんに株を分けていただいた半夏生の葉が今年もみごとに色づきはじめた。
びったりと「半夏生」の時期にあわせてというのも律儀なものである。
 ドクダミの仲間というのも花をみているとうなずける。今年も飛び始めたオハグロトンボが、白く化粧した葉の先で羽を休めていた。

◆新・「自由研究」のすすめ試論 更新!!
 「自由研究」の歴史に再び興味をもちはじめた。ひとまず「自由研究」という発想の歴史を追ってみたい。
その後に、夏休みの「自由研究」の歴史を追ってみたい。
 そして、今興味のあるのは現役「科学者」たちの学生時代の「自由研究」だ。今もそのころの「ふしぎ!?」追い続ける人の話が聞きたいな。
 「科学者」でなくても、ずっとそのころの「ふしぎ!?」追い続けている人の話も聞きたいな。

◆【大賀ハス観察日記】 更新!!
 2014年度大賀ハス観察池は、今日第2号大賀ハス開花三日目である。
花芽(蕾)は現在のところ第5号まで伸びてきている。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 私も参加させてもらっている寺田寅彦記念館友の会では会誌によれば、来年、2015年寺田寅彦の没後80年を記念してとても興味深い企画を考えておられるようだ。
 それは、アンケート「私の好きな寅彦の随筆」を実施され、「会員の好きな寅彦の随筆ベスト10」を発表されるそうだ。今、私はなににしようかな迷いなから楽しんでいる。
 

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新・「自由研究」のすすめ試論(98)

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▼昨日は蓮根の植え替えから13週目の大賀ハス定例観察日。
そして、大賀ハス第2号「あこがれの4日間」の第一目であった。
ちょっと迂闊だった。サインは出ていた、前夜ひとつの花弁が蕾本体からはがれかけていた。
あわてて今年度観察の目玉 インターバルレコーダー「recolo」を設置した。
ほぼ定刻に開き始め10時過ぎに最大に開いた。終日「recolo」が記録化してくれていた。
▼これからの「自由研究」をつづける。
ここで、あくまで「これから」を考えるために、「自由研究」の歴史をふり返ってみたくなった。
これまでにも「日本理科教育史」を追いかけるなかでもみたことであるが、再度より「これから」を意識しながらみてみたい。
 「自由研究」の歴史で咄嗟に思い出すことが2つあった。
▼ひとつは、戦後まもなく出た「学習指導要領」にそれはあった。
●1947年(昭和22) 学習指導要領(試案)

 「教科課程」のなかに「自由研究」が組み込まれていたのである。

(四)自由研究も,新しい教科課程で,はじめてとりあげたものであるが,この時間を,どんなふうに用いて行くかについては,少しく説明を要するかと思う。
 後に述べるように,(指導法一般参照)教科の学習は,いずれも児童の自発的な活動を誘って,これによって学習がすすめられるようにして行くことを求めている。そういう場合に,児童の個性によっては,その活動が次の活動を生んで,一定の学習時間では,その活動の要求を満足させることができないようになる場合が出て来るだろう。たとえば,音楽で器楽を学んだ児童が,もっと器楽を深くやってみたいと要求するようなことが起るのがそれである。こういう時には,もちろん,児童は家庭に帰ってその活動を営むことにもなろうし,また,学校で放課後にその活動を営むことにもなろう。しかし,そのような場合に,児童がひとりでその活動によって学んで行くことが,なんのさしさわりがないばかりか,その方が学習の進められるのにも適当だということもあろうが,時としては,活動の誘導,すなわち,指導が必要な場合もあろう。このような場合に,何かの時間をおいて,児童の活動をのばし,学習を深く進めることが望ましいのである。ここに,自由研究の時間のおかれる理由がある。たとえば,鉛筆やペンで文字の書き方を習っている児童のなかに,毛筆で文字を書くことに興味を持ち,これを学びたい児童があったとすれば,そういう児童には自由研究として書道を学ばせ,教師が特に書道ついて指導するようにしたい。つまり,児童の個性の赴くところに従って,それを伸ばして行くことに,この時間を用いて行きたいのである。だから,もちろん,どの児童も同じことを学ぶ時間として,この時間を用いて行くことは避けたい。

この後もまだまだ説明が続いている。
▼私が今ふり返りたいという「自由研究」の歴史から少しはなれることになるが、「自由研究」という発想自体については大いに参考になる。
 ちなみにこの時の「自由研究」の時間は、次の昭和26年(1951)の改訂では姿を消したのである。
では戦前はどうだったんだろう。
「自由研究」はほんとうになかったのだろうか。

(つづく)
 

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新・「自由研究」のすすめ試論(97)

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▼私の眼にはこの「卵のう」のなかが少し黒ずんできていると見えるのだがどうだろう?
昨年まったくの偶然に「コガネグモの狩り」を見て以来、かくも身近な生きもの「蜘蛛」の大ファンになってしまった。今ではなぜこの面白き世界に気づかなかったか、それが「ふしぎ!?」だ。
 今、観察中の「卵のう」がゲホウグモのものであることに確証はなかった。
しかし、
●赤い毛糸クズのようなものが「卵のう」の表面についていること!!
●この「卵のう」の近くでみごとな「団居」を見た!!
これはこの眼で確かめた事実だ。
ならば、「卵のう」のなかの黒ずんできているものの正体は子蜘蛛の蠢きと考えても的をはずしてはいないのではないだろうか。
▼これからの「自由研究」の話をつづける。
「新しい博物学」「等身大の科学」に大いなるヒントがありそうだ。
それだけでなく、これからの「自由研究」が、これからの「科学」と深くリンクしているような気がしてきた。
▼さらには、これからの「自由研究」の具体的な展開方法についてもヒントになりそうなことが『科学のこれまで、科学のこれから』(池内 了著 岩波ブックレット)には出ていた。
 「オープンサイエンス」の提唱である。あまりに示唆的なのでこれまた引用させてもらう。

まさにデジタル社会でなければできない活動で、私は新しいタイプの科学活動につながっていくと期待している。このようなオープンサイエンス活動は、誰でも(素人でも)、自由な時間に、無料で参加できるという意味で、等身大の科学の条件を満たしているからだ。そして、ここに新しい可能性を見出すのは、①全くの素人でも参加でき、活動するうちに学ぶことができる、②「部分知」であっても活かす余地がある、③最新鋭の科学に接することが可能であり、新しい発見もある、という面で教育と研究が結びついていることが評価できるからだ。(『科学のこれまで、科学のこれから』(池内 了著 岩波ブックレット)p67より)

これが、私のなかでは16年前の提案とつながってくるのだった。
▼私の「ふしぎ!?」にもどろう。
私はゲホウグモのことをあまりよく知らない。と言うよりまったく知らない。
ゲホウグモだけでない。「クモの世界」全般についてだ。
なかでも「団居」の後の「バルーニング」については興味津々だ。
クモが空を飛んで旅をするなんて!!
 どこまでわかっているのだろう。「研究」の蓄積はどれだけ公開されているのだろう。
この眼での継続観察と並行して調べてみたい。

とクモに眼を移していたら、なんと大賀ハスの観察が動き出した。
第2号大賀ハス「あこがれの4日間」、第一目のようだ!!

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新・「自由研究」のすすめ試論(96)

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▼今年の私自身の「自由研究」テーマ ベスト3は、本日(2014/06/27)現在次のようになっている。
・ベスト1 大賀ハス開閉の「ふしぎ!?」
・ベスト2 クモの世界の「ふしぎ!?」(とりわけ今はゲホウグモの「卵のう」「団居」「旅立ち」)
・ベスト3 「雲見」の科学
 このベストは日替わりに入れ替わる。一日のうちでも朝と夕方ではかわることも屡々である。
 今はまったく考えていない「ふしぎ!?」が登場しランクインしてくるかも知れない。
まさに「自由」気儘なのである。
▼ベスト1の大賀ハス観察に少し異変が起こっていた。
それは観察池の方ではなく、「水栽培」の方に起こっていた。「水栽培」というのは、前年度の蓮根を観察池に植え替えて残った余りものの蓮根をひとつの容器にほりこんでいるだけのものだ。
 ここからでも開花させることができることはすでに立証ずみだった。昨年度などこちらの方かよく開花したぐらいである。今年はいくつ花芽がのびてくるだろうと楽しみにしていた。
異変は突然で起こった。数日前まで立葉は元気だったのにいっきょに枯れ始めたのだ。水不足かと慌てて水を加えたが時遅しのようだ。はじめての体験だった。病気?それとも???
 そのかわりと言ったらなんだが、観察池の方に第5の花芽(蕾)が顔をだしてきた。
▼これからの「自由研究」をつづけよう。
池内了氏の「新しい博物学」にヒントをもらおうとしていた。
「新しい博物学」をあげれば、やはり池内氏の「等身大の科学」もあげないわけにはいかない。
「等身大の科学」の方はできるだけ近著の方から引用させてもらう。
 すでに【お薦め本】として紹介した『科学のこれまで、科学のこれから』(池内 了著 岩波ブックレット)のなかにそれはあった。
これからの「自由研究」テーマを考える上でとても興味深いので少し長く引用させてもらう。

 現在の教育は要素還元主義で解決できた問題しか扱っておらず、そのような科学しかないと誤解を与えていると言わざるをえない。そのことを考えるなら、私たちが付き合っている科学には要素還元主義で解決できる問題と、複雑系に関わってそう簡単に明快な答えが得られない問題があることを幼い段階から学ぶ必要がある。そして、複雑系に関わる科学にもっと接するための方法として「等身大の科学」を提唱したい。それは、誰でも自由に参加でき、たいしてお金がかからず、普段の生活の中でできる科学の有り様のことで、たとえば生態系の観察・記載・記録を多くの仲間とともに進めようというものである。先に地球温暖化のフィンガープリントのことを紹介したが、いつ開花したか、鳥が抱卵したのはいつか、虫がいつごろから蠢き始めたか、セミがどこで鳴くようになったか、高山植物がどこまで高い場所で花が咲いたか、いつ紅葉がはじまったか、などのような記録を何十年にもわたって集約できれば、貴重な記録となるのである。「みんなが科学者」となってそんな記録活動に参加するとともに、複雑系という対象に対しての接し方(さまざまな顔つきがあり、時間をかけて変化を見、簡単に答えを求めない)を学ぶことになるのではないだろうか。(『科学のこれまで、科学のこれから』(池内 了著 岩波ブックレット)p52より)

やはりここにも大きなヒントがあるような気がしてならないのである。
▼してみると
たかが「自由研究」 されど「自由研究」!!
これからの「自由研究」を考えることはこれからの「科学」を考えることにツナガルのである。
まだまだ  これからの「自由研究」を模索していきたい。

今、第5の大賀ハス見に行くとさらに伸びてきているように見えた。
第3のゲホウグモの卵のうがはり付く南天の葉先はよりたれさがってきているような気がする。

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新・「自由研究」のすすめ試論(95)

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▼いつもの定点観測地からの「雲見」!!
ほぼ毎日やっていること。でもなぜか久しぶりのような気がした。
地上に次から次へとやってくる「ふしぎ!?」に夢中になりすぎているせいだろうか。
でも「雲見」「宇宙見物」を見逃してしまったらもったいない!!
▼これからの「自由研究」をつづける。
書いてるうちに何を書いているのか見失ってしまうことがある。
これはあくまで自分の頭の整理のためのもの!!自分のための心得!!覚え書き!!

(2) 「科学の眼」をもって観察を続けること。
 「ふしぎ!?」にこだわると言っても、単発的な「ふしぎ!?」では何も見えてこない。
持続する観察力が必要だ。
繰り返し繰り返し飽きもせずに観察すること。
▼似たようなことになるが
(3) 根気よく自然に問いかけ続けること。

どこまで行っても「自然こそ最高の教科書!!」これは変わらない。
「ふしぎ!?」の答えは自然のなかに必ずあるはず。
▼そこで思いだしたのが
池内了さんの「新しい博物学」だ。

 もう一つは、「新しい博物学」である。モノを収集して共通性と異質性によって分類するという博物学は、十八、十九世紀に盛んとなり、そこから物理学・化学・生物学・地質学などの専門分野が分化してきた。それによって科学は進歩したのだが、一方では科学はますます専門分化が進み、「極」とか「超」が接頭詞として付く状態になってしまった。(極低温、極微物質、超高温、超高エネルギーなど)。科学が細分化され縁遠くなってしまったのだ。そこで再度学問を総合化して身近に引き寄せることを考え、科学だけでなく、歴史や文学や民族学や神話など広く文化全体の眼でモノを見直すことを構想するのが「新しい博物学」である。(『寺田寅彦と現代~等身大の科学をもとめて~』(池内了著 みすず書房) p111より)

ここに、これからの「自由研究」テーマ選びの大いなるヒントがあると思うのだがどうだろう。

(つづく)


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新・「自由研究」のすすめ試論(94)

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▼「ふしぎ!?」の連発が止まらなかった。
あのゲホウグモの団居である。昨日の朝方にはより大きなかたまりになった子蜘蛛集団がいた。
集団になって何をしているんだろう?
 次はこの子蜘蛛たちの大空に向けた「旅立ち」の瞬間をこの眼で見てみたいと強く思った。
▼知っている人、わかっている人からみるときわめてアタリマエのこと。
そんな小さな私の「ふしぎ!?」!!それにこだわり続けること。それが「研究」のはじまりだ。
 「これからの自由研究」をどちらかという「方法論」的に考えてきたが、ここからからは「研究」のなかみ・コンテンツについて考えていきたい。
▼「研究テーマ選び」についてである。
繰り返すが、まずやるべきことは
(1) 私の「ふしぎ!?」にこだわること
 他人の「ふしぎ!?」をいくら研究してみても、ほんとうの感動は生まれない。一生ものの「私の科学」も生まれてこない。これは自分以外の人の「研究」に無関心であれということではない。しかし、それはあくまで参考にしかならない。
 日頃「ふしぎ!?」だと思っていることリストアップしてみよう。
自分でもびっくりするほど面白いテーマがあがってくるはずだ。
▼昨日帰宅したのは16時40分ごろだっただろうか。
その前に雷も鳴る夕立があった。
貴奴等のことが心配だった。さっそく見に行った。
それは「みごと!!」としか言いようがなかった。雨ひとつかからない南天の葉の軒下に団居は設定されていたのだ。朝方に見たときにはそれに気づかなかった。
降った雨粒が葉からしたたり落ちるのを見て「なるほど やるな!!」感心することしきりだった。
ここまでだとナルホドで終わっていた。しかし、そうはならなかった。
もう一度見ておこうと6時前に見に行った。
驚くべきことにあのみごとな団居は解体されていた!!わずかな子蜘蛛が残っているだけだった。
なんということだ。一時間少しの間に「旅立った」のだ。
残念!!
 卵のう→団居→旅立ち この「ふしぎ!?」。卵のうの赤い糸の端がそれが謎解きの鍵のように見えた。
(つづく) 

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本日(2014/06/24)、第69回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼ 「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」
寺田寅彦は高嶺俊夫との昼食会(「寅の日」「高嶺デー」)で何度この言葉を口にしただろう。

昨日、私もこの言葉を無性に口にしたかった。
大賀ハス「あこがれの4日間」は終わっていた。花托の上には13個子房が見られた、はたしてこのうちいくつが受精に成功したのだろう。何個の種子ができるだろう?
 まったくそのすぐ後であった。次なる「ふしぎ!?」に出会ったのは。
表面にあの赤い毛糸クズのようなみられる蜘蛛の「卵のう」らしきものをまたみつけてしまったのだ。
場所は同じ庭の南天の木だった。これで結局3個目だった。
 驚きはこれで終わらなかった。再度その「卵のう」らしきものを見に行ったときだった。
最初にみつけていた2個のうちのひとつの周辺に宙に浮いたような黒い粒々を見たのだ。
まさかと思った。しかし、しばしじっくりと見ているわかった。
まちがいない!!子蜘蛛だ!!子蜘蛛の団居だ!!
ちょっと突っついてみると「蜘蛛の子を散らしたように」だった。
蜘蛛の名前は今のところ「ゲホウグモ」であろうと思われる。
昨日は何度も何度もこの「ふしぎ!?」を見に行ったのである。
▼今日は、「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」の元祖寺田寅彦をオンラインで読む日だ。
第69回オンライン「寅の日」である。
 読むのは大正15年(1926)に書かれた「案内者」である。
このごろ寅彦の文章を読むのに少し気にしていることがある。
「それはいつ書かれたものか」ということについてである。
●1922年(大正11)寅彦45歳 アインシュタイン来日。43日間滞在。
●1923年(大正12)寅彦46歳 上野で関東大震災に遭遇。
●1924年(大正13)寅彦47歳 理化学研究所の研究員になる。翌年、中谷宇吉郎を助手として迎える。

◆第69回オンライン「寅の日」

●「案内者」(青空文庫より)

▼実は今回この文を読むと決めたとき、きわめて安直な連想によるものだった。
「地図をながめて」につづいてだから、旅の「案内者」についてが面白いのではないだろうかと思ったからだった。
事実、その旅の「案内者」のことから話は切りだれていた。
 無手勝流、出たとこ勝負の旅を続けてきた私には、「そうですよね」と納得するような展開だった。

案内記が詳密で正確であればあるほど、これに対する信頼の念が厚ければ厚いほど、われわれは安心して岐路に迷う事なしに最少限の時間と労力を費やして安全に目的地に到着することができる。これに増すありがたい事はない。しかしそれと同時についその案内記に誌(しる)してない横道に隠れた貴重なものを見のがしてしまう機会ははなはだ多いに相違ない。そういう損失をなるべく少なくするには、やはりいろいろの人の選んだいろいろの案内記をひろく参照するといい。ただ困るのは、すでに在(あ)る案内記の内容をそのままにいいかげんに継ぎ合わせてこしらえたような案内記の多い事である。これに反して、むしろ間違いだらけの案内記でも、それが多少でも著者の体験を材料にしたものである場合には、存外何かの参考になる事が多い。

という具合である。
でも、途中からこの「案内者」というのは旅の「案内者」のことではなく「科学の世界」の「案内者」を意味していることがわかって来るのだった。
▼ここからは完全な我流の読み解きである。
寅彦は、これを書いた年東京帝国大学地震研究所所員になっている。母亀が亡くなったのもこの年である。
ここ数年のあいだに科学者・寺田寅彦のまわりにいろんなことが起こっていた。
「アインシュタインショック」「関東大震災」「理化学研究所」「東京帝国大学地震研究所」等々である。
諸々のことをふまえて、このころから、自分が科学の「案内者」なろうと決めたのではないだろうか。このあたりから晩年まで警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」をはじめ、「科学の世界」をあの手この手で案内しつづけてくれたのではないだろうか。
 してみると今回の「案内者」は非常に意味をもつ一文ということになる。
最後の文章を引用させてもらう。
 

考えてみると案内者になるのも被案内者になるのもなかなか容易ではない。すべての困難は「案内者は結局案内者である」という自明的な道理を忘れやすいから起こるのではあるまいか。
 景色や科学的知識の案内ではこのような困難がある。もっとちがったいろいろの精神的方面ではどんなものであろうか。こっちにはさらにはなはだしい困難があるかもしれないが、あるいは事によるとかえって事がらが簡単になるかもしれない。そこには「信仰」や「愛情」のようなものが入り込んで来るからである。しかしそうなるともう私がここに言っているただの「案内者」ではなくなってそれは「師」となり「友」となる。師や友に導かれて誤って曠野(こうや)の道に迷っても怨(うらみ)はないはずではあるまいか。

他の多くの意見を聞いてみたいものだ。

今朝、再びゲホウグモの団居を見に行った。
前に数カ所に散在していたものがひとつになっていた。より「整列」しているようにも見えた。
さて、今日は…?

【訂正】
トンデモない間違いしていました。
もう一度読みなおしているときに気づきました。
これは大正11年(1922)に書かれたものです。アインシュタインの来日した年の一月です。
そうすると勘違いに基づく私の「文脈」は変になってきます。
しかし、あえてこのままにしておきたいと思います。こう思ったのも事実ですので…。


 


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【Web更新6/22】14-25 新・「自由研究」のすすめ試論 等 更新!!

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彼の人に 見せてやりたき 蓮華かな 14/06/20 (金)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】14-25
週末定例更新のお知らせ
 「やるべき」ことより「やりたい」ことを優先させたい、とふだんから念じている。
でもよく考えてみると「やるべき」ことを決めているのは自分だとすると、ふたつのことの境目なんてきわめてあいまいになってくる。
 要は徒然なるままにということであろうか。
 さあ ゆっくり急ごう!!

◆表紙画像集2014 更新 人里の自然シリーズ 大賀ハス
 昨日、外出先からやっぱり花びらはすべて散っていた。「お決まり」通りであった。
「あこがれの4日間」のルールは生きていた。
 我が家の観察池で「あこがれの4日間」を見るのは何度目だっただろう。
何度見ても感動してしまうのである。
 四日の命、「少年」「青年」「壮年」「老年」と重ねてみたくなる。
それぞれのステージごとに輝きと「ふしぎ!?」があった。
現在のところあと3つの蕾が観察池にある。観察はまだまだつづくのである。

◆新・「自由研究」のすすめ試論 更新!!
 16年前の「これからの「自由研究」」を引っぱり出してきて、再度「これから」を語ろうとしていた。
まずは自分自身がやってみてと試行中!!

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 7月の予定も発表した。
 完全に我田引水モードだが、回を増すごとに、この取り組みの面白さ、意義は深まるばかりである。
多くの人の参加を期待したい。多様な方の参加あればあるほど豊かな展開の可能性が増すだろう。


さあ、新しい一週間がはじまる!!
ゆっくり ゆっくり 徒然なるままに 

 

 

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ファラデーラボ「動物のかがく」に学ぶ!!

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▼大賀ハスの蓮根の植え替えから12週が経っていた。
第一号花「あこがれの4日間」の三日目であった。三日目は二日目とやはり様子が違っていた。
果托は緑色に変化していた。
雄蕊たちもすでに果托の上にのっていることはなかった。果托の上の雌しべのいくつが黒ずんでいた。
花の開く時間も閉じる時間も少しちがっていた。
天気が影響しているのだろうか。それとも受粉率が関係するのだろうか。
「ふしぎ!?」はそう単純ではなさそうだ。
観察池には現在開花中をふくめて4つの花芽(蕾)がみられる。
このあとの観察により「ふしぎ!?」追い続けたいと思う。
▼午前中の観察でほぼ閉じてしまうかと思ったがそうはいかなかった。「レコロ」を作動させたまま第51回ファラデーラボ「かがくカフェ」に向かった。

■第51回かがくカフェ 「動物のかがく」 日時 6月21日(土) 14:00~16:00
場所 ファラデーラボ    
講演と懇談 テーマ
子どもたちと語る動物の話 -世界の動物の保護のとりくみと動物園の役割-
●講師 権藤 眞禎 さん(兵庫県自然保護協会理事長・元王子動物園園長)

 このお話も「生物の生命をツナグ」話からはじまった。
▼長年の取り組みをふまえたお話は含蓄に充ちたものだった。
・「血統登録」が必要な理由
1.生き物である動物たちに寿命がある。
2.動物園で飼育展示動物を絶やさないで見せるには
等のお話には説得力があった。
ちょうど先日、NHKクローズアップ現代「動物園クライシス」を視たばかりだったので、現場最前線で活躍されてきた権藤さんのお話にすごく納得した。
近くぜひ動物園に行ってみようと思った。
▼お話に登場した動物たちもそうだが、それ以外の動物(もちろん魚、昆虫なども含めて)のことを私は知らないなと痛切に思った。植物もそうだ。
 生きものはすばらしい!!凄い!!
と単純に「感動」してしまってはちょっともったいないような気がしてきた。
「生きもの」そのものからもっともつといっぱい学ぶことがありそうに思えてきた。

そのなかから究極の「ふしぎ!?」=「生命とは?」の謎解きもはじまるのかも

大賀ハス開花4日目が始まった!!
これまでの私の観察では、今日が花びらを散らす日だ。
「そう単純ではないぞ!!よく観ておけ!!」と大賀ハスの声が聞こえてきそうだ。
あいにくの雨だ。
それに今日は出かける、帰ってきたらどうなっているかな???

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ひらいた ひらいた 大賀ハスの花が!!

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ひらいた ひらいた
なんの花が ひらいた
レンゲの花が ひらいた
ひらいたと思ったら
いつのまにか つぼんだ

まさにこの童謡の通りであった。「レンゲの花」は「蓮華の花」だった。
大賀ハス観察池今年の開花第一号の二日目だった。
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▼今年の観察の特徴はなんと言ってもインターバルレコーダー「recolo」が、「ひらいた ひらいた」から「つぼんだ」までの一部始終を記録してくれることだ。
早朝4時15分~12時23分まで作動させた。
 何度かの試行錯誤を繰り返してなんとか昨日はうまく撮れていた。
▼二日目の花は、これまでの観察から「予想」した通りだった。
やっぱりパッカリと花開くのは5時10分すぎだった。
7時半すぎにはほぼ全開であった。
9時すぎには虫(蜂たち)も登場していた。
11時頃には閉じ始めていた。
時間の記録もきっちりととれているのでこれはきわめてアリガタイ!!
▼観察記録を見ながら、「ふしぎ!?」はますますふくらむのだった。
・この「目覚まし時計」はどのようにうめこまれているか?
・「時計仕掛け」の記憶はどのように仕舞い込まれているのか?
・花びらのひらく順番、閉じる順番はやっぱり決まっているように見える。なぜ??
・虫は何を合図に集まってきたのか?
・花から拡散する物質は?

第三日目がはじまった。
天気が少し悪い。さてどうなるだろう?

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2014年7月のオンライン「寅の日」は #traday

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▼2014年度大賀ハス観察池の第一号の開花はかなり予想外の展開になった。
これまでの観察から「あこがれの4日間」第一日目はどのような展開になるか予想していた。最初に閉じた蕾が開く時間も「5時10分」ごろだろうと勝手にきめていた。
 今年は、リアルタイムにそれを記録するインターバル撮影カメラ「レコロ」も設置していた。
その時間がきても変化はなかった。第一日目の判断をまちがったかとカメラをストップしかけた。
でもそのとき中途半端な変化があった。帰宅するまで撮影を続けるようにして出かけた。
記録した画像を見ると間違いなくなくいったんは開花していた10:46だった。
今年の大賀ハスはなにか変だ???
▼7月オンライン「寅の日」の計画をたてる時期が来ていた。
最近の習慣として、本、雑誌、ネットなどをみていて、寅彦の作品が取り上げられていたならメモをするようになった。メモをしていて、その作品がこのオンライン「寅の日」でとりあげたものかチェックし、まだなら「青空文庫」で読んでみることにしている。7月はこのチェックしたものからとりあげて読んでみることにする。
7月は3回ある。
■2014年7月オンライン「寅の日」
◆第70回オンライン「寅の日」…7/06(日)
◆第71回オンライン「寅の日」…7/18(金)
◆第72回オンライン「寅の日」…7/30(水)
である。
▼雑誌『科学』(岩波書店)が今月号(6月)で「科学エッセイの楽しみ」の特集をしている。なかなか面白い特集である。多方面の著名な方々が興味深いエッセイを書いておられる。ちびりちびりと読ませてもらい楽しんでいる。
特集は3つのパートからできていて、Ⅰ「見えるもの見えないもの」Ⅱ「出会いと発見」Ⅲ「科学と社会」となっている。それぞれの巻頭に寅彦のエッセイの引用がある。
そこで取り上げておられるエッセイは『化物の進化』(1929)、『科学者とあたま』(1933)、『小爆発二件』(1935)である。『科学者とあたま』はオンライン「寅の日」で何回かとりあげていた。他の2編はまだであったので7月にとりあげることとしたい。
 先日、ここに書いた【お薦め本】『科学のこれまで、科学のこれから』(池内 了著 岩波ブックレット)にも、寅彦が登場していた。『災難雑考』(1935)(同書P35)である。これを7月3つめにとりあげることにする。
■2014年7月オンライン「寅の日」

◆第70回オンライン「寅の日」…7/06(日) 『化け物の進化』(青空文庫より)
◆第71回オンライン「寅の日」…7/18(金) 『小爆発二件』(青空文庫より)
◆第72回オンライン「寅の日」…7/30(水) 『災難雑考』(青空文庫より)

▼発表された年代を書き込んでいて気づいたのが、1929年~1935年のものということで寅彦の晩年(1935年没)のころに書かれたものばかりである。
 寅彦の書いたものを読んでいていつもそう思うのであるが
きわめて今日的!!なのである。とりわけ晩年のこの頃に書かれたものにそれを感じるのである。
ひょっとした流れている「時代の空気」が同じなのかも知れない。ならばいっそうのこと 
80年の時空を超えて「これからの科学」を寅彦はどう語ったのか、耳を傾けてみたい。

大賀ハス「あこがれの4日間」二日目、順調に開いてきている!!
さあ全開はいつだろう?
蜂はやってくるだろうか? 

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新・「自由研究」のすすめ試論(93)

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▼ちょっと硬そうなミニトマト!!???
やっと我が家の畑でこいつをみつけたのは先週の土曜日だった。遅れたジャガイモ掘りをしているときだった。
ずっとずっと捜していたものだった。
ミニトマトではない。ジャガイモの実だ!!
それにしてトマトの実に似ていた。やっぱりそうなんだ、トマトもジャガイモもナス科で同じ仲間なんだ。
だから「やっぱり」なんだ。
 普通はジャガイモは花が咲き出したら、イモに栄養がいくように摘め!!と教えられてきた。
でも、毎年いくらかは花を残してくれるように頼んでいた。
 いつかはこいつに出会えるだろうと。
そして、やっと「やっぱり」出会えたのだ!!
▼ずっとずっと観察しておれば出会える確率はふえてくる。昨年のヒガンバナの種子と出会いもそうだった。
ならば多くの観察者の眼を通せばどうだろう。
「ふしぎ!?」の謎解きは新たな展開が期待できるのではないだろうか。
それを、これからの「自由研究」に活かすことはできないだろうか。
▼これからの「自由研究」に関する提案
(1) 研究の成果をデジタル処理をしていく。
(2) インタラクティブな研究の可能性を追求する。
(3) 遠隔地との共同研究を実現する。
はいずれもが「方法」に関することであった。
 「方法」の進化は、コンテンツ(なかみ)にも変化をもたらすことができるのではないだろうか。
徹底して、私の小さな「ふしぎ!?」にこだわり続けそれを追いかける。
ひとりの観察、実験だけでは不可能だったことも、研究を(1)~(3)の「方法」でやることで可能になることもあるではないだろうか。
できるだけ多くの「定点観測」があれば、見えてくる「世界」があるかも知れない。
できるだけ多様な「知恵」が集まれば、まったく新しい「科学」が生まれるかも知れない。
▼あまりの大風呂敷はこれぐらいでやめておこう。
それよりもそう考えるだけでも十分楽しい!!
究極 めざすのは、コンヴィヴィアル(共愉的)な「自由研究」!!
多くの人と一緒に楽しむ「自由研究」だ。
「研究」すること自体が楽しくなるもの。
これがこれからの「自由研究」だ。

それであってこそはじめて、私の「ふしぎ!?」は一生モノの「私の科学」になる。

さあ、今日の大賀ハスはどうだろう?

 

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新・「自由研究」のすすめ試論(92)

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▼私は、少しこじつけ話をしているのだろうか。
と自分を疑ってしまうほどだった。次々と矢継ぎ早に現れる「ふしぎ!?」!!
今度は、大賀ハス観察池のすぐそばのあのナガミヒナゲシだった。まだ新しい花は数はすくなってきてはいたが毎日いくつは咲いていた。ほとんどの実が熟していた。あの通気口のような窓をあけて・・・。
昨日の「ふしぎ!?」はそれではなかった。その通気口のような窓に集まる虫たちだ。
名前も知らない虫がウジャウジャと終日集まっていた。カメムシの仲間もいた!!
なにをしているのだろう!?
あの通気口のような窓から何かが発生しているのだろうか。
それとも…???
 「ふしぎ!?」は特別にさがさなくても身のまわりにゴロゴロあった。
▼これからの「自由研究」の話をつづける。
16年前の提案の2つ目だ。

(2) インタラクティブな研究の可能性を追求する。

「インタラクティブな研究」って???
なんでまたこんなコトバを使ったのだろう。「インタラクティブ」は当時の流行言葉だったのだろう。
ひょっとしたらそのころから「これからの学びは学び合いによってしか成立しない」と考えていたからそのあらわれであるのかも知れない。
 今から考えると「インタラクティブな研究」なんてきわめてアタリマエのこと!!
「研究」などというものはそもそもインタラクティブ(双方向)な営みである。
一方通行では「研究」など進むわけがない。
▼この提案は次の

(3) 遠隔地との共同研究を実現する。

の提案と深く関係していた。
 これまでの「自由研究」の概念ではなかなかイメージしにくい。
離れた地の仲間と共同研究なんて…。
 しかし、一方社会に眼をうつせば「遠隔地との共同研究」なんてきわめてアタリマエ!!
▼そこで思い出すのが昨年夢中になった牧野富太郎の「赭鞭一撻」だった。
 牧野はこう言っていた。

八 宜(よろ)しく師を要すべし

十二 博く交を同士に結ぶ可(べ)し

と。牧野富太郎はすでにちゃんと言っていたのだ!!
 (2)(3)は何も新しい提案でもなんでもない。
ただ時代が変わったのだ。牧野が書いていたことが、誰もが比較的簡単に挑戦できる環境になってきたのである。

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昨日の夕方の大賀ハスは「いよいよ…」と思わせた。
今朝、「レコロ」を準備してまったがそうではなかったようだ。

(つづく)

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【お薦め本】『科学のこれまで、科学のこれから』(池内 了著 岩波ブックレット)

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▼それに気づいたのは昨日の朝だった。
もっと前からそこにあったのかも知れない。それは門先の花が咲き始めた南天の木についていた。数十㎝離れたところ同じものがふたつあった。
 なんだろう?
 以前に見たような気もするが、ちゃんと観るのははじめてだ。
表面の毛糸くずのような赤い糸はなんだろう。そもそもこの本体はなんだろう?
先日、子蜘蛛の団居を見た近くだ。蜘蛛の「卵のう」だろうか?
ネットや蜘蛛の図鑑で調べてみた。
まだ確かなことはわかないが「ゲホウグモの卵のう」では・・・
・蜘蛛の卵のうならこの後、子蜘蛛たちの団居を見ることはできるのか?
・赤い毛糸くずのようなものはいったいなんなのだ?
・親蜘蛛は近くにいるのか?
私の「ふしぎ!?」はふくらむばかりであった。
これが私の「等身大の科学」だった。
▼その「等身大の科学」を一貫して唱える科学者がいた。
池内 了氏だ。私はずっとこの人が唱える「等身大の科学」「新しい博物学」に興味を持っていた。
とりわけ3.11以降のこの人の語ることに注目してきた。

◆『科学と人間の不協和音』(池内 了著 角川書店 2012.1.10)

◆『科学の限界』(池内了著 ちくま新書 2012.11.10)

等でできるだけリアルタイムに追いかけるようにしてきた。
そして、今回
◆『科学のこれまで、科学のこれから』(池内 了著 岩波ブックレット 2014.6.4)
が出た。
▼ブックレットだからそんなページ数はない。
だがこれまでのエッセンスがぎゅっと詰まっていた。「これからの科学」に関わる人すべての必読書だ!!
書き始めるとダラダラとつづきそうなので例によってお薦めポイントを3つに絞った。

(1) 科学の「現在地」をリアルタイムとらえ語っている。
 3.11以降の科学の「現在地」。STAP細胞騒動にも触れ、その背景にある現代「科学」の「異様さ」を説く。
今回はこの「異様さ」という表現を頻繁に使われていた。
 
(2) これまでの「文脈」を貫徹され「文化としての科学」の有効性、可能性が語られていた。
 何度か、科学者の役割について書いておられた。
 それは著者自身の決意表明にも読めた。

 最初に目標(ゴール)を言っておこう。私が目指すのは、「より多くの人間が文化としての科学に親しむこと、科学者の役割はその手助けをすること」である。(同書 P48より) 

(3) 「等身大の科学」「新しい博物学」の「これから」が具体的に語られていた。 
 この3つ目が、この著の最大のお薦めポイントだ。これまでの著にない特徴だ。
 「等身大の科学」「新しい博物学」セットで著者のずっと主張してきたところである。共鳴もしなるほどと思ってきた。ところが、「それでは具体的になにからはじめれば…」と言うとき、私には見えてこなかった。
 しかし、この著ではそれがきわめて具体的に語られていた。
 最後には
 

最後に、私が今後進めていこうと考えているプロジェクトを簡単に紹介しておこう。(同書 P68より)

そこで提案されていること全面的に賛成である。納得だ!!
▼私もこの「等身大の科学」というコトバに共感し、多用してきた。
これからも使い続けていくだろう。
 いつも思うのだが、著者の「等身大」と私の「等身大」ってサイズはちがうんだろうなと。
最近は居直ってきた。
 それはそれでいいと思うようになってきた。いや、それだから面白い!!のだとも思うようになってきた。
 それぞれの「等身大の科学」を追求すればいいのではないか。
 著者が最後に書いた「科学のこれから」への構想がより具現化してくるとき、ぜひぜひ「リンク」させてもらおうと思う。
 それまで、私は私自身の「等身大の科学」「新しい博物学」を追求していきたい。

今朝も起きるなり南天の木を見に行った。
やっぱり変わらずその「ふしぎ!?」はあった。

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【Web更新6/15】14-24 新・「自由研究」のすすめ試論 等 更新!!

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拾う人 知らぬ間にかな 栗の花 14/06/14 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】14-24
週末定例更新
 はやくも一週間が過ぎた。ふっとカレンダーを見ると6月も半ば過ぎた。
地球はほんとうに同じスピードで回転しているんだろうか。と疑ってみたくもなるスピードだ。
勝手にプロジェクト=「夏の創造」は1/6も過ぎてしまったことになる。
ゆっくり 急ごう!!

◆表紙画像2014 更新 人里の自然シリーズ 栗の花
 梅雨入りしてからの方が天気がいい。なんとも変則的な天気が続く。
しかし大気の動きが不安定であることは確かなようだ。植物たちはどんなレセプターを持ち合わせていてこれらの「異変」をキャッチするだろう。いやそれを上まわる律儀さでこの時期には、こいつは花を咲かせていた。
こいつが栗の花とはじめに知ったとき、どうしてもあの秋の味覚の「栗」に結びつかなかった。
一夏かけて観察続けて納得した!!このアタリマエもけっこう感動であった。

◆新・「自由研究」のすすめ試論 更新!!
 まずもって自分で実践してみて、16年前の「これからの自由研究」を再提案する。
2014年版にバージョンアップしてというのが、当分の私の「文脈」である。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 この頃、この取り組みの意義を感じることが多くなっている。
それは、当初に考えていた以上にだ。それはどういうことなのだろう?
  今こそ寺田寅彦を!! 
  ちょっと気になったら「青空文庫」につないでみよう!!

 
 

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新・「自由研究」のすすめ試論(91)

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▼大賀ハス観察池は蓮根の 植え替えから11週目であった。
花芽(蕾)は2つ。観察池の水面はほとんど浮葉が覆い尽くした。立葉も池からはみ出すぐらいに何本もたっている.観察池という焦点化した環境のなかだからこそその「成長」がよく見えてくるのだった。
やっぱり「光合成」は偉大だ!!
▼これからの[自由研究]のすすめを続ける。
研究成果,結果の「デジタル処理」の話だった。
そのアタリマエについてだ。
「デジタル処理」する有効性は(2)~(4)とも深く関連していた。
(2) インタラクティブな研究の可能性を追求する。
(3) 遠隔地との共同研究を実現する。
(4) Webページ上に研究発表(情報発信)をしていく。
それは今風のコトバで言うなら、「自由研究」のクラウド化であった。
そのためには「デジタル処理」は必須である。
▼さらに我田引水で言うならば
●Twitter的「自由研究」のすすめ
Twitter的=「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」「アクティブ」をここでも使いたいのだ。
「自由研究」をあらたな時代の「学び」のきっかけにしたいのだ。
▼それは「自由研究」そのもののなかみを変えることになるだろう。
旧態依然とした「定番」テーマ研究だけを「自由研究」にしていてはちょっともったいない。
そんな気がしてくるのである。

(つづく)

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新・「自由研究」のすすめ試論(90)

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▼やっぱりこいつのことが気になってしかたなかった。
今年最初の大賀ハスの花芽(蕾)のことである。小さくてかたかった蕾がここ数日で大きく脹らんできた。
もうまるで鼓動が聞こえてきそうだ!!
 萼の一枚が蕾との間に少しすき間ができたら、それが合図だった。「あこがれの4日間」がはじまる!!
昨日の夕方はまだだった。
▼それまでにはと少し急いでいることがあった。
それは先日、FBでSさんに教えてもらってすぐ購入したインターバルレコーダー「recolo」を使えるようにすることだった。
 これがうまく使えれば、あの「あこがれの4日間」を記録化できる。
とりわけ第一日目に開花するときのあの瞬間を記録し、花弁がどんな順番で開いて行くかも記録できる。
そのことによって、これまでの私の「仮説」も立証できるかも知れない。
閉じるときも同様である。
 ところが、元来機械モノ大の苦手な私には、いくら「簡単!!」と言われても一筋縄ではいかないのだ。
 夕方までかかってなんとか「使えるかな!?」というところまできた。(^_^;)
▼先日あげた16年前の「これからの自由研究」に関する4つの提案。
(1) 研究の成果をデジタル処理をしていく。
(2) インタラクティブな研究の可能性を追求する。
(3) 遠隔地との共同研究を実現する。
(4) Webページ上に研究発表(情報発信)をしていく。
これを2014年版にバージョンアップして再提案をしてみたい。
まずは自分自身の「自由研究」の取り組みの顛末をリアルタイムにかつ等身大に語りながらすすめてみたい。
▼提案の最初は
(1) 研究の成果をデジタル処理をしていく。
だった。
 同じ「デジタル処理」と言っても、16年前と今では雲泥の差である。
16年前はやっと人々がデジカメをふつうに使い始めたころだった。今やデジカメはアタリマエだ。
携帯端末で写真を撮る方がフツウだ。
 「デジタル処理」の有効性ということでは当時から変化していない!!
  
「デジタル処理」の有効性!?
デメリットは?
しばらく考えてみよう。

今朝、見に行ったらまだ大丈夫だった。

(つづく) 

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新・「自由研究」のすすめ試論(89)

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▼昨日はとてもうれしいことがあった。
それは今年2番目の大賀ハスの花芽が顔を出してきたのだ。
やっぱり予想通り立葉とセットである。立葉を大きく広げて栄養をたっぷりつくり、次世代を生み出す花芽に送り込むという作戦なのだろう。見事な作戦だ!!
 ありがたいことに今年は少なくとも2度「あこがれの4日間」を観察することができる。
▼今一度、保留したままになっている大賀ハスの「ふしぎ!?」を7年目になる「大賀ハス観察日記」からリストアップしてみた。
 いくつもの「ふしぎ!?」を保留のままにしていた。
元々一粒の実から出発しているから数々の「ふしぎ!?」があった。
ただただ観察をつづけるしか方法を持ち合わせていなかったから、「ふしぎ!?」に対して立てた「仮説」もそれを確認する術もなかった。
 それでもけっこう面白かった。
▼なかでも「あこがれの4日間」に関する「ふしぎ!?」が興味深かった。
・なぜ4日間だけなんだろう?
・4日間はどのように記憶されているんだろう?
・5日目、6日目ということもあるのだろうか?
・第一日目の開花がはじまる時間はほぼ一定である。
まるで「目覚まし時計」がセットされているように。その「からくり」は?
・花弁はある一定のルールに従って順番に開いていっていように見える。
閉じるときはその逆のように見える。
はたちして「一定のルール」とは?開閉の「からくり」、そのシステムは?
・この開閉に関しての先行する研究は?
等々である。
▼この観察の強い味方になってくれそうな道具を今年は手に入れた。
はじめて使うからうまく使いこなせるかわからない。
準備を急ぎたい。
もう第一の花芽(つぼみ)は花茎をのばすだけでなく膨らみはじめた!!
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本日(2014/06/12)、第68回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼降ってきた雨粒は大賀ハスの葉の上でコロコロころがりながら遊んでいた。
次の一粒が加わったら大きくなった水玉がさらに大きくなることもあったり、散らばったりとさまざまだ。
そこにきまったルールもありそうだが、今はわからない。
 今は、頭になかに見えにくい「気孔」と表皮のロータス効果(撥水効果)の関係のことがあるから水玉のころがるのがなおさら面白く「ふしぎ!?」に見えてくる。
思わず寅彦の口癖を借りたくなる。
「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」
と。
▼そう、今日(2014/06/12)はその寅彦を読む日だ。
第68回オンライン「寅の日」である。
6月のテーマは、寅彦を案内人にして「未知なる世界」を旅することだ。
6月の第一回目の今日は旅にはつきものの「地図」についてである。

◆第68回オンライン「寅の日」

●「地図をながめて」(青空文庫より)

▼正直言って今回のこの文を読むまで、そう言う視点で「地図」をながめたことはなかった。
仕事がらけっこう「地図」にはお世話になってきたはずだが。
そう言う視点とはどういうことか。

「当世物は尽くし」で「安いもの」を列挙するとしたら、その筆頭にあげられるべきものの一つは陸地測量部の地図、中でも五万分一地形図などであろう。一枚の代価十三銭であるが、その一枚からわれわれが学べば学び得らるる有用な知識は到底金銭に換算することのできないほど貴重なものである。
しかし「地図の言葉」に習熟した人にとっては、一枚の図葉は実にありとあらゆる有用な知識の宝庫であり、もっとも忠実な助言者であり相談相手である。  今、かりに地形図の中の任意の一寸角をとって、その中に盛り込まれただけのあらゆる知識をわれらの「日本語」に翻訳しなければならないとなったらそれはたいへんである。等高線ただ一本の曲折だけでもそれを筆に尽くすことはほとんど不可能であろう。それが「地図の言葉」で読めばただ一目で土地の高低起伏、斜面の緩急等が明白な心像となって出現するのみならず、大小道路の連絡、山の木立ちの模様、耕地の分布や種類の概念までも得られる。

こう言われると納得!!である。
一枚の地図が貴重で膨大な情報のかたまりであることがわかってくる。
「地図」は元祖ビッグテータなのである!!
▼寅彦がこの文章を書いた本意は、この「地図」への賞賛だけではなかった。
むしろ、このことこそが言いたかったことなのかも知れない。

 自分はずっと前からこの世に知られていない文化の貢献者を何かの機会に世間に紹介したいという希望をもっていた。そうして当局者の好意で主要な高山における三角点の観測者の名前とその測量年度を表記したものを手にすることができた。しかし今ここでその表の一小部分でも載せることは紙面の制限上到底許されない。それでここではただ現在陸地測量部地形図の恩恵をこうむりながらそれを意識していない一般の読者に、そうした隠れた貢献者が一枚一枚の図葉の背後に存在することを指摘し注意を促すよりほかに道はない。
 

言われてみればその通りである。
 「一枚の「地図」がどのようにしてつくられたのか」ということなどまったくと言っていいほど意識していなかった。
この「文化の貢献者」を紹介したいと願いつづけてきていた寅彦にも拍手だ!!

 

自分は汽車旅行をするときはいつでも二十万分一と五万分一との沿線地図を用意して行く。遠方の山などは二十万分一でことごとく名前がわかり、付近の地形は五万分一と車窓を流れる透視図と見比べてかなりに正確で詳細な心像が得られる。しかしもし地形図なしで、これだけの概念を得ようとしたら、おそらく一生を放浪の旅に消耗(しょうもう)しなければなるまい。

私は、この文章を読んで、久しぶりに、もうここ何十年も行っていない京都の地図専門店に行ってみることを決めた。この夏、できるだけ早い機会に行こうと思う。

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新・「自由研究」のすすめ試論(88)

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▼「足元の宇宙」を撮り続ける埴沙萠さんの植物記「絵日記」のなかに6月の小さな「オオイヌノフグリの夏花」の話が出ていた。
 ヘェー夏にオオイヌフグリとはめずらしいな!と思っていた。
 特に今年は、春先の「ホシノヒトミ」からはじめて実ができての「オオイヌノフグリ」までずっと定点観察つづけてきていただけにその記事が興味深かった。
 ところが、昨日家のまわりの草ひきをやっていたら、簡単にそれをみつけたのだ。
ごく自然にその「オオイヌノフグリの夏花」があったのだ。
私の足元にも「宇宙」が開けていたのだった!!
▼少し昔の話(16年前)になるが、ある雑誌に「これからの「自由研究」」について4つの提案をしていた。
その4つの提案とは次のようなものだ。

(1) 研究の成果をデジタル処理をしていく。

(2) インタラクティブな研究の可能性を追求する

(3) 遠隔地との共同研究を実現する。

(4) Webページ上に研究発表(情報発信)をしていく。

▼16年も前だから、時代認識に少しピンぼけのところがある。16年前に「これから」と言っているから、その「これから」は「今」だったはずだ。
 どこまで現実のものになっただろう。それを少し考えてみたい。
(1)については確かに今さらの話になっただろう。
今年あたりだと、スマホ顕微鏡写真テータなんていうのが多く出てくるかも知れない。
▼(2)~(4)についてはどうだろう。
「学び」の方法ずいぶんと変わってきている。
「自由研究」の方法も変わって行って当然である。
方法はコンテンツを変えてしまうだろう。

科学者たちの「研究」はとっくにこうしているのではないだろうか。
それを真似ることが「自由研究」の本義でないことは百も承知だ。

「自由研究」とは「科学」を他人事(ヒトゴト)から私事(ワタクシゴト)にとりもどす営みである。
私の足元にも「宇宙」がひろがっていることを実感するためのもの!!
そのためにも、今一度4つの提案の可能性を考えてみたい。


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新・「自由研究」のすすめ試論(87)

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▼久しぶりに持病の「ばっかり病」が始まったようだった。
「大賀ハスばっかり病」は過去に何度も発症していた。これまでは主に「あこがれの4日間」(開花するのは基本的には4日間だけ)に関するものだった。
 今年も最初のつぼみは見る見るうちに花茎を伸ばしその日は近づいている。
しかし、今回の最初の主役は、このつぼみではなかった。となりの葉だった。
この葉の「気孔」は、葉の裏側にあるのか?それとも表側にあるか?
これが最初の「ふしぎ!?」だった。
▼すでに一度は自宅の顕微鏡でのぞいていた。表側の画像のみをアップしたところ、「気孔」はあまりはっきりしなかった。裏側も見たいというリクエストも出てきた。
 そこで、再度、昨日挑戦してみた。
 今回は、表と裏とセットであげてみる。倍率も×100、×400、×1000と三種類あげてみる。
上が表側、下が裏側である。
<大賀ハスの葉:×100 上 表 下 裏>
Hasuomox100
Hasuurax100
<大賀ハスの葉:×400 上 表 下 裏>
Hasuomox400
Hasuurax400
<大賀ハスの葉:×1000 上 表 下 裏>
Hasuomox1000
Hasuurax1000
 正直言ってあまりはっきりしない。
 すぐとなりに生えているツユクサの「気孔」にくらべればなおさらである。
なんでだろう「ふしぎ!?」だ。
▼いくつかの仮説をたててみた。
ものすごく小さい「気孔」なのでは?
表側にあるのだけれど表面の突起物が邪魔をして不鮮明にしているのではないか?
では次なる手はと考えたとき電子顕微鏡画像のことを思いだした。
「ハスの葉 気孔 電子顕微鏡」あたりで検索をかけてみた。
いくつもがヒットした。しかし、まだ「気孔」はこれだ!!という画像には出会えていない。
それよりも気になりだしたことがある。
見えにくい「気孔」とハスの葉の表面の撥水効果(ロータス効果)の関係
だ。ハスの葉と言えばあの転がる水滴だ。
我々に「撥水」のからくりを教えてくれたのはこのハスの葉だった。
「ふしぎ!?」の方向はさらに発展し脹らんでいくのだった。
▼この観察にかかるとき面白いものを見た!!
観察池とは別の葉を切り取ったときだった。
カッターナイフで葉茎を切ったその瞬間、粘っこい泡のようなものが吹き出してきた。
それはしばらく続いた。葉の方も同様であった。気体が出ていることは確かだった。
粘っこい物質は糸をひいた。あの蓮根の糸だろう。
面白い!!と思った。
 大賀ハスの「ふしぎ!?」は膨らみ続ける。
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今回のばっかり病はちょっと重症のようだ。
いろんな病を併発し「まるごと大賀ハスばっかり病」にいたりそうだ。

(つづく)
 

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【Web更新6/8】14-23 新・私の教材試論 等 更新!!

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遅れても 律儀なるかな 花石榴 14/06/07 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】14-23
週末定例更新のお知らせ
 「原点回帰」というコトバがある。ひとつまちがったら「昔はよかったね」調を誘う甘いコトバでもある。
今回のWeb更新は、私自身の「原点」と関係しそうなものが多い。
 今週も、私にとっての「原点」とはなにかを問い続ける一週間にしたい。

◆表紙画像集2014 更新 人里の自然シリーズ 花石榴
 昨年、庭の石榴はたくさんの実をつけた。一度は枯れてしまったかと思った木であったが大きく復活したのだった。あまりにもその枝を大きく伸ばし屋根に突き当たりそうだった。
 そこで、昨年の晩秋に思い切ってその伸びた枝をバッサリと切りまくった。
 今年、他所ではあの見事な朱色の花を見る季節となった。しかし、我が家の石榴の木には見られなかった。
「あれやりすぎたかな?」と少し後悔し、寂しく思っていた。
 ところが梅雨入り宣言がなされてからであった。あの朱色のつぼみがあちらこちらにみられるようになった。
やっぱり律儀なやつだ。今年のこの朱色はひときわうれしい!!

◆新・私の教材試論 更新!!
 「教材論」は私の「原点」でもある。
 この試論も100回を越えた。今度はサイエンスコミュニケーターとっての「教材」とはを考えはじめたい。

◆新・「自由研究」のすすめ試論 更新!!
 ここでも、まずは自分自身の「自由研究」を展開しながら、「これから」を考えたい。

◆【ヒガンバナ情報2014】 やっと開設!!
 四国の蜂蜜さんからリコリスの仲間の実生に関する画像を送っていただいた。とても興味深い画像であった。
そのとき気づいた、今年のヒガンバナ情報に関するページをまだ立ち上げていなかったことに。
 blogから、ビカンバナに関する情報を拾い上げ貼りつけただけだ。
 これからの情報の受け皿ということで…。今年はどんな展開があるだろうか、楽しみである。

さあ、新しい一週間がはじまる。
今週は何に出会うことができるだろう。ゆっくり 急ごう!!

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新・「自由研究」のすすめ試論(86)

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▼昨日は蓮根の植え替えからちょうど10週目の大賀ハス定例観察日であった。
今年は、10週目で顔を出している花芽(蕾)はひとつだ。花茎は25㎝まで伸びてきた。膨らみもどんどん増してきている。それにしても見事な戦略だ。
 立葉と花芽はセットで顔を出してくる。大きく広げる立葉でたっぷり栄養をつくりだし、それを次世代にツナガル花に栄養補給を行う。
お見事!!
▼まだ、あの葉の「気孔」にこだわっていた。
葉の表側に「気孔」を集中させている。その理屈には一応納得していた。
ハスの葉の表と言えばあの転がる水滴からもわかるように、独特の工夫がこらしてあった。
水をはじく仕組みになっているのある。(乳頭突起が一面に分布しているためらしい)
それと、「気孔」との関係は???
 また中央の荷鼻(中盤)との関係は???
 見えない二酸化炭素、酸素の出入りはどのようになっているのだろう。
それだけではない。まだ「あこがれの4日間」の「ふしぎ!?」も保留にしたままになっていた。
今年の夏は「大賀ハスまるごと大研究」だ!!
▼「ふしぎ!?」を保留にしているのは大賀ハスだけではなかった。
私自身の自由研究テーマを宿題のままにして残していた。
いっきょにそれをやりあげるなんて「ゆっくり」な私にはとても無理な話だ。
でも、今年の夏はこれまでと少しちがった立場で自由研究に取り組むことができる。
オンライン「寅の日」でいちばん最近読んだ「雑感」(『理科教育』より・青空文庫より)のなかで寅彦も言っていた

 小学校でも中学校でもせめて一週間に一時間でもいいから、こういう「自由研究」の時間を設けて、先生も生徒も一緒になって、何でも手近な題目を取扱い、そうして、自然が如何に分らない事だらけであるかという事、その分らない事が、熱と根気で向って行けば少しずつ少しずつ分って行く事、その少しずつ分って行く少なくも分ったような気がして行く事が如何に愉快なものであるかという事などを実習したらいいだろうと思う。先生の分らない事は大抵誰にも本当はよく分らない事である。分らない事は恥でも何でもない。分らない事を分ったような顔をするほど恥ずべき事はない。 

と。
 「これから」を論ずる前にまずは自分自身が
「少しずつ分って行く少なくも分ったような気がして行く事が如何に愉快なものであるか」
を体感したいものだと思っている。

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新・「自由研究」のすすめ試論(85)

Tuyux400s
Tuyux100s
▼私はコレを見たかったのだ!!
雨が少しやんでいる間に庭先のツユクサの葉をとってきた。今年もツユクサは元気に成長していた。
きっとまもなくあの独特のみごとな花をみせてくれるだろう。楽しみである。
葉の裏側のうすい透明の表皮をはいで顕微鏡で見てみた。
みごとな気孔がたくさんみられた。
孔辺細胞の葉緑体までもしっかり見られた。
ここまではアタリマエ!!
▼今回の私の「ふしぎ!?」のはじまりはこうだった。
ではいつも観察している大賀ハスではどうだろう。
大きく成長していく浮葉は葉の裏側は水面にべったり接している。
なのにツユクサなどと同じように葉の裏側に多く気孔があるのだろうか!?
いやそこは臨機応変に表側にもってきているのだろうか!?
では立葉ではどうだろう。これだと問題はない、やっぱり裏側に多くの気孔があるのだろうか!?
巻葉の段階で浮葉になるか、立葉になるかでつくりを変えているのだろうか!?
考えてみるとなかなか面白い!!と思った。
 Webで調べてみると
どうやら、ハスやスイレンは葉の表側に気孔があるという。ナットク!!である。
浮葉でも立葉でも同様である。まずはナットク!!である。
でも完全ナットクではない。自分の目で確かめたかった。
これがやってみるとなかなかの難題が待ち受けていた。
余り物をポリバケツにほりこんだだけの「水栽培」の方から立葉を一枚とってきた。
裏側のうすい表皮をはいで見るのは比較的簡単だった。確かにそれらしいものが見られない。
問題は表側だ。表側の表皮と言ってもうすいのだろうか、それだけにするのが難しい。
やっとある工夫を施して見た。ところがそれらしいものが見当たらないのだ。
もっと小さいのだろうかと倍率をあげるが見当たらない。
どういうことだ??? あの中央の白い半透明のフタをした通気口のことも気になる。
表側にほんとうに気孔はあるのだろうか?
うまく観察する方法は・・・???
「ふしぎ!?」はふくらむばかりである。
▼そう言えば、何年か前から「自由研究」のすすめ方として「アカソナキヤ方式」を提唱していた。
◆アカソナキヤ方式

 タリマエ を当たり前として流さずに 「概念くだき」
 ンガエテミルト けっこう「ふしぎ!?」なことはいっぱいある。「吟味」 
 ウイエバ そのこと教科書に、本に、Webにあったような。「リンク」
ントクナク でいい。その「ふしぎ!?」に予想をたててみよう。「ひらめき」
ットコウナルハズ の私の仮説をたててみよう。「仮説」
ッパリ そうだったか!!となれば、これは大発見だ。「実験」「観察」

そっくりそのまま私は今それを繰り返しているのかも知れない。
▼2008.06.07。6年前の今日、私は
◆「理科の自由研究」の研究
という不思議なタイトルのページを立ち上げた。
そのなかで、これからの自由研究のあり方、すすめ方を「新・「自由研究」のすすめ試論」として考えてきた。
これからの「自由研究」のすすめを考えることは、「自由研究」にとどまらず、これからの「学問」のすすめを考えることにいたることにも少し気づきはじめた。
 元々このページを立ち上げたのは孫娘の誕生を記念してのことだった。その孫娘が「自由研究」取り組みはじめたころに参考になるようなものをというのが趣旨だった。
 今日は6歳の誕生日!!少しは本来の趣旨にそうページになってきたかな。まだまだかな…。

今年も、私自身の小さな「ふしぎ!?」を追う「自由研究」にいっぱい取り組んでみようと思う。


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新・私の教材試論(102)

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▼梅雨空の「雲見」だ!!
梅雨だからと言って同じ雲があるわけではない。
白いもくもくと盛り上がる雲、忙しなく動く黒い雲、青空だってある。
やっぱりここでもこの時期だけの「大気の物理学実験」が行われているのだ。
そして、ここにも期間限定「教材」が確かにあるのである。
▼どこに「教材」はあるのか。の話をつづける。
結論から言うと

「教材」はどこにでもゴロゴロところがっている!!

「雲見」のあと周囲を見渡してみた。

・西の金柑の木に前にみた子蜘蛛の「まどい(団居)」より少し小さいものをみつけた。
・枯れ果てたヒガンバナがまだ流さずにあった。
・そのとなりのコケのなかから以前みつけたクマムシ!!このごろ見ていないがきっといるはず。
・門先に転がる石ころごろごろ どこからやってきたのだったかな。
・遠くに見える水平な山脈。まだその「動く大地の物語」は序章もはじめていなかった。
・東にもどり大賀ハスの葉を転がる水滴!!梅雨時はこの観察のチャンスだ。
・大賀ハスの葉、立葉も浮葉も表側に気孔が集中しているってほんとかな!?
・タンポポ本葉のギザギザはよりはっきりしてくるのはいつかな。形状記憶合金より正確に記憶が復元するのはどうして…。

ちょっと見渡すだけでこうだ。
身近に「教材」はゴロゴロ存在するのだ。
▼しかし、それは正確な表現ではない。
存在するのは、「教材」の元ネタである。そのままで即、「教材」ではない。
「教材」に仕上げる必要があるのだ。
「教材」化の可能性を持ったネタ、種である。
種は蒔かねば育たない。
育ててこそ「教材」になるのである。
▼「教材」の元ネタ(種)さがし!!
種を育てる営み!!
 いずれもきわめて面白い、楽しい作業である。
 ひとりでコツコツとやるのも楽しいが、多くの人とツナガリながら共同作業としてやると楽しさは何倍、何十倍にも拡がる。それはすでに実証ずみだ。
さあ…。
 「ふしぎ!?」の数だけある「教材」の種探しから はじめよう!!

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新・私の教材試論(101)

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▼近畿地方も梅雨入り宣言があった。
季節は確実に変化していた。生きものたちもそれぞれにそれを感じとっているようである。
5/2に弁当箱に蒔いたタンポポの種子も一ヶ月ちょっと。どんどん成長を続けていた。
 子葉のまん中に伸びてきた本葉は土ポットの容器をはみ出すまでに成長してきた。
 本葉を少していねいに観察してみるとあのタンポポの葉を特徴づける「ギザギザ」の気配がでてきた。
まちがいなく「タンポポ」に育とうとしていた。
アタリマエだけど感動だ!!
▼このアタリマエだけど「感動!!」を与えてくれるもの、
自然の「からくり」を教えてくれるもの、それを私たちは「教材」と呼ぼう。
この「新・私の教材試論」もついに100回を越えた。
授業に関わり続ける限り書き綴っていこうときめていた。少し授業への関わり方が今年から変わった。
サイエンスコミュニケーターという立場に変わりはない。
そこであらためてその立場で「教材」をとらえなおしてみたい。
▼「教材」とは何か!?の原点にもどって考えてみる。
・私の「ふしぎ!?」と私の「科学」をつなぐもの
・等身大の「ふしぎ!?」を「科学」に高めてくれるもの
・「高いレベルの科学」を教えてくれるもの
・自然科学の面白さを教えてくれるもの
・自然の豊かさ、多様性を教えてくれるもの
・自然の謎解きの鍵を与えてくれるもの
・自然科学の基本的概念形成に資するもの
・自然科学の「ルール」づくりに役立つもの
・…
 うーんあげればきりがなさそうだ。
どれがいちばんピンとくるか。変わっていきそうだが今日のところは
・アタリマエ!!の感動を与えてくれるもの
ということにしておこう。
▼では、それはどこにあるのか?
理科教科書や理科室だけにあるわけではない。
ではどこに…???

(つづく)


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新・私の教材試論(100)

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▼3日の朝、あの子蜘蛛たちの「まどい(円居)」に大きな変化が起こっていた!!
2日の夕方、風にゆれるハンモック状態で眠りについたかに見えた子蜘蛛たちの数は激減していた。(6:10)
数えられるぐらいの数になっていたのだ。
2日の夕方から3日の朝方かけて、貴奴らは旅立ったのだ。
聞けば、子蜘蛛たちは自ら糸を出し、その糸を上昇気流にのせて大空をめざす。
着地したところで網を張り自立生活をはじめるという。
では、子蜘蛛たちはいかなるレセプターをもって「上昇気流」を感知したのだ!?
面白い!!面白すぎる!!
「感動」である。
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▼実は6/2にもうひとつの「感動」があった。
それは、あの大賀ハス観察池に起こっていた。立葉がのびてきたことを確認したばかりなのに、次の花芽(花茎)が顔を出しているのに気づいたのだった。
 3日の朝にはまちがいなく花芽であることを確認した。昨年の「大賀ハス観察日記」を見なおしてなお驚くことにほぼ同日に花芽を確認しているのだった。
 こいつのなかにどんな「目覚まし時計」がしかけらいるのだろう。
「ふしぎ!?」だ。
▼私の夏は、今年も「感動」と「ふしぎ!?」で幕をあけた。
自然はやっぱり最高の教科書だ!!
この「感動」と「ふしぎ!?」を「私の科学」にまで結びつける「教材」のことを考えてみよう。
これもこの夏の課題のひとつである。
繰り返してみよう。
すぐれた教材の法則2つ
「3K1A(感動・簡単・きれい・安全)の法則」
「3H(ホット・本質的・ホンモノ)の法則」
自然を「教科書」にしながらこの法則の再吟味を繰り返してみよう。
▼やや中途半端に保留したままになっていることもある。
・現代理科教材発展史「究極のクリップモーター」
である。
 他の「定番実験」でその発展史もぜひ追いかけたいものもいくつか出てきている。
拙速になってはいけないが、いつでもOKというわけでもない。
今しかできないこともある。
遅々たる歩みになってもいい、歩みを止めないでおこう。
ゆっくり 急ごう!!

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「蜘蛛の子を散らす」を見た!!

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▼私の夏ははじまっていた!!
それを見たのは昨日の朝のことだった。いつものように朝の散策に出ようとしてカメラを持って外に出た。
いきなりだった。西の庭の金柑の木にそれを見たのだった。
「蜘蛛の子を散らす」を見たのだった。
私は、ずっとずっとそれを見たいと思っていた。
こんな言葉も知っていたし、使ったこともある。だが、実際に意識してそれを観察したことはなかった。
昨年、「クモの世界」に興味をもって以来益々これをこの眼で見たかった。
そのときが訪れたのだった。
▼昨年の夏、偶然コガネグモの「狩り」見た。それ以来ずっと夏は「クモばっかり病」に取り憑かれたままだった。
今年もまた夏のはじまりはクモとの出会いなんだろうか。
気がついたのが昨日の朝というだけで、実はもっと前から居たのかも知れない。
少し離れて位置からはあまりはっきりわからなかった。
皿網や棚網のかたまりのようにも見えた。近づいていって確認をした。まちがいなく黒い粒々が動いていった。
黒い粒々はまちがいなく赤ちゃん蜘蛛だ。夢中になって写真を撮りまくった。(6:14)
西の庭だから直接朝日はあたっていなかった。裏側にまわって南の空に向けても写真を撮った。(6:24)
この子ぐも集まりを後で調べたのだが、「まどい」というらしい。
いったい何匹ぐらいいるのだろう?数え切れない数だ。
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▼もう少し直接日の当たり出した時間帯にも見に行った。(10:17)
朝方の観察からするともう少しかたまっているようにも見えた。お昼にはさらにかたまって活動があまりみられないように見えた。かたまりから少し離れているやつのみに動きが見られた。(12:23)
夕方には、ハンモックのなかで風に揺られがら眠っているかに見えた。(17:00)
▼この念願の「蜘蛛の子を散らす」と出会いは、とてもうれしいものだった。
「ふしぎ!?」はどんどん脹らんでいった。
・この子蜘蛛は誰の子?
・昨年の12月末までこの金柑の木に居座っていたのはジョロウグモだった。だとすると…?
・この「まどい」をつくっている糸は誰がつくったのか?
・「まどい」から旅立つのはいつか?
・春先から見かける蜘蛛はもう旅立ってきたものか?
・大空へ飛び立つってホント!?
・このうち何匹が親蜘蛛になるのだろう?

しばらく「ばっかり病」かも知れない。
これぞ夏のはじまりかも。


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【Web更新6/1】14-22 クラウド「整理学」試論 等 更新!!

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アカシロの ツメクサ眺む 田植えかな 14/05/31 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】14-22
週末定例更新のお知らせ
 6月だ!!
 「6月というのはやっぱり夏なんだ!!」
このアタリマエ! 昨年度までとはちょっとちがう感覚である。
これは、いきなりやってきた「真夏日」だけが原因ではなさそうだ。

◆表紙画像集2014 更新 人里の自然シリーズ アカツメクサ(ムラサキツメクサ)
 今朝も蛙の鳴き声がうるさい!
 家の前の大きな田んぼに水が入って日が経つ。突然、眼前に出現した巨大なビオトープはこれまでに見たことのないような風景をいっぱい見せてくれている。
 見慣れたはずの畦のシロツメクサ、アカツメクサ(ムラサキツメクサ)までもまったく新たな驚きをもって見るようになった。不思議なものだ。

◆新・クラウド「整理学」試論 更新!!
 「夏の創造2014」でこの夏にやってみたいことを書き綴った。これをいつでも参照できるようにどこかのページに貼りつけて置きたかった。そこでいちばんふさわしいページはと考えたらここになった。
 この夏、何度ここを見返すことがあるだろう。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 やっていくうちにピタッと来る取り組みというのがある。
このオンライン「寅の日」というのが、それである。
 何気なく面白そうだと思ってはじめた取り組みであるが、回を重ねるごとに病みつきになっていった。
 面白い!!
予想もしなかった展開が待ち受けていそうな気配もある。
6月の展開も楽しみである。

さて「夏の創造2014」第一週はどこまでいくだろう。
ゆっくり 急ごう!!

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「夏の創造」2014!!(4)

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▼5月最後の日は大賀ハス定例観察日であった。
蓮根の植え替えから9週間がたっていた。連日の真夏を思わせる天気で大きく展開して行っていた。
一日の間でも朝と夕方では成長を確認できるほどだ。観察池の水面の7~8割が浮葉で覆われいた。立葉になるのであろうものも出現してきた。根茎も水面から顔を出しているところもある。
光合成とはなんと偉大なる営みであることか!!
▼今日から6月だ。
今年の「夏の創造」プロジェクトは、実施期間を長めにする。
今日6/1からはじめて、8/31までとする。
ここまで計画してきたこと少しずつはじめていこうと思う。
その前にもうひとつ残っていた。
それが、新タイムテーブルで導入した「作業の時間」についてである。
▼「作業の時間」には大きく分けてふたつあった。
ひとつが「整理」の作業である。
遅々として進まぬ作業であるが、立ち止まることなく楽しみながらすすめていきたい。
「空間の整理」
「情報の整理」
「思考の整理」
をそして、究極の「時間の整理」を。
▼もうひとつの「作業の時間」は、屋外での作業である。
自然観察を兼ねた畑仕事だ。
暑いなかではあるが、考えたよってはこれほど面白い作業はない。
作業を通していっぱい「発見」がありそうだ。 o(^o^)o ワクワク

さあ、はじめよう!!「夏の創造」!!

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