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新・「自由研究」のすすめ試論(95)

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▼いつもの定点観測地からの「雲見」!!
ほぼ毎日やっていること。でもなぜか久しぶりのような気がした。
地上に次から次へとやってくる「ふしぎ!?」に夢中になりすぎているせいだろうか。
でも「雲見」「宇宙見物」を見逃してしまったらもったいない!!
▼これからの「自由研究」をつづける。
書いてるうちに何を書いているのか見失ってしまうことがある。
これはあくまで自分の頭の整理のためのもの!!自分のための心得!!覚え書き!!

(2) 「科学の眼」をもって観察を続けること。
 「ふしぎ!?」にこだわると言っても、単発的な「ふしぎ!?」では何も見えてこない。
持続する観察力が必要だ。
繰り返し繰り返し飽きもせずに観察すること。
▼似たようなことになるが
(3) 根気よく自然に問いかけ続けること。

どこまで行っても「自然こそ最高の教科書!!」これは変わらない。
「ふしぎ!?」の答えは自然のなかに必ずあるはず。
▼そこで思いだしたのが
池内了さんの「新しい博物学」だ。

 もう一つは、「新しい博物学」である。モノを収集して共通性と異質性によって分類するという博物学は、十八、十九世紀に盛んとなり、そこから物理学・化学・生物学・地質学などの専門分野が分化してきた。それによって科学は進歩したのだが、一方では科学はますます専門分化が進み、「極」とか「超」が接頭詞として付く状態になってしまった。(極低温、極微物質、超高温、超高エネルギーなど)。科学が細分化され縁遠くなってしまったのだ。そこで再度学問を総合化して身近に引き寄せることを考え、科学だけでなく、歴史や文学や民族学や神話など広く文化全体の眼でモノを見直すことを構想するのが「新しい博物学」である。(『寺田寅彦と現代~等身大の科学をもとめて~』(池内了著 みすず書房) p111より)

ここに、これからの「自由研究」テーマ選びの大いなるヒントがあると思うのだがどうだろう。

(つづく)


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