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新・「自由研究」のすすめ試論(86)

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▼昨日は蓮根の植え替えからちょうど10週目の大賀ハス定例観察日であった。
今年は、10週目で顔を出している花芽(蕾)はひとつだ。花茎は25㎝まで伸びてきた。膨らみもどんどん増してきている。それにしても見事な戦略だ。
 立葉と花芽はセットで顔を出してくる。大きく広げる立葉でたっぷり栄養をつくりだし、それを次世代にツナガル花に栄養補給を行う。
お見事!!
▼まだ、あの葉の「気孔」にこだわっていた。
葉の表側に「気孔」を集中させている。その理屈には一応納得していた。
ハスの葉の表と言えばあの転がる水滴からもわかるように、独特の工夫がこらしてあった。
水をはじく仕組みになっているのある。(乳頭突起が一面に分布しているためらしい)
それと、「気孔」との関係は???
 また中央の荷鼻(中盤)との関係は???
 見えない二酸化炭素、酸素の出入りはどのようになっているのだろう。
それだけではない。まだ「あこがれの4日間」の「ふしぎ!?」も保留にしたままになっていた。
今年の夏は「大賀ハスまるごと大研究」だ!!
▼「ふしぎ!?」を保留にしているのは大賀ハスだけではなかった。
私自身の自由研究テーマを宿題のままにして残していた。
いっきょにそれをやりあげるなんて「ゆっくり」な私にはとても無理な話だ。
でも、今年の夏はこれまでと少しちがった立場で自由研究に取り組むことができる。
オンライン「寅の日」でいちばん最近読んだ「雑感」(『理科教育』より・青空文庫より)のなかで寅彦も言っていた

 小学校でも中学校でもせめて一週間に一時間でもいいから、こういう「自由研究」の時間を設けて、先生も生徒も一緒になって、何でも手近な題目を取扱い、そうして、自然が如何に分らない事だらけであるかという事、その分らない事が、熱と根気で向って行けば少しずつ少しずつ分って行く事、その少しずつ分って行く少なくも分ったような気がして行く事が如何に愉快なものであるかという事などを実習したらいいだろうと思う。先生の分らない事は大抵誰にも本当はよく分らない事である。分らない事は恥でも何でもない。分らない事を分ったような顔をするほど恥ずべき事はない。 

と。
 「これから」を論ずる前にまずは自分自身が
「少しずつ分って行く少なくも分ったような気がして行く事が如何に愉快なものであるか」
を体感したいものだと思っている。

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