ファラデーラボ「学力のかがく」は勉強になった!!
▼大賀ハス蓮根の植え替えをしてから6週目だった。観察池に浮葉を広げているのは8枚、水面から顔を出している葉芽は2つ。浮葉の面積も加速度的に広がっていた。生産工場が広がれば製品もたくさんできる、それを基にしてさらなる「成長」が期待できる。きわめて単純な理屈だ。
▼昨日(2014/05/10)はファラデーラボ第50回かがくカフェ「学力のかがく」の日であった。
たった3年2ヶ月で50回もかがくカフェを実施されたなんてすごいことである。
このかがくカフェで多くことを学ばせていただいたひとりとしてあらためて感謝である。深謝。
さて、その記念すべき第50回かがくカフェは次のような内容だった。
講師 下末伸正さん (科学教育研究協議会 広島支部)
内容 学力のかがく
-理科教育と読み書き計算-
▼私は、この4月から自らの一日のタイムテーブルに「学習の時間」と「作業の時間」を設定している。
「学習の時間」には、いつかちゃんと勉強しとてみたいと思いづけてきたことを学生になった気分で学習しはじめている。内容はどちらかというと今まで苦手意識があり遠ざけてきたことが多い。
だから、今回の下末さんのお話は実は「理科教師」としてというより、ひとりの学徒として切実な課題として聞いた。
帰宅してから、そのとき配布していただいた冊子『中学生と高校生が頭をかかえる 算数の計算力の弱さ』を読み返していてよりそれを実感した。これは生徒の話でなく私自身の話であった。
その冊子にうれしいことが書いてあった。
むしろ限界を分かることの方が創造的である。なぜなら、次につながる課題は、限界において存在するからだ。分からない、と嘆く子どもたちには次のように言い続けた。
「よかったじゃないか。どこを勉強したらよいか分かったからね。すべて分かったりしたら、何の喜びも楽しみも、成長もないよ。すべてを知っている神様は成長できないんだ。寂しいよ」
自分が声をかけてもらい励まされている気分になった。
▼さらに言葉をつづけて書かれていた。
ソクラテスは、「知の無知」と同時に「無知の知」という弁証法的な認識のしかたを提起した。知っていると思うほどに無知である、知らないと思うほどによく知っている、ということなのだ。知れば知るほど、知らないことが広がる。私にとっては、勉強とは、「知」と「無知」の対話である。
なんとも勇気を与えられる言葉だ。
「汗をかき、恥をかき、字を書く」の呼びかけは、私の「学習の時間」をどのようにすすめるかにヒントをもらったような気がしてきた。深謝!!
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